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雑感や書評など

入江曜子「溥儀―清朝最後の皇帝」

2006-10-01 07:15:53 | 書評
「ラストエンペラー」を久しぶりに見たくなった


なんとなく新書が読みたくなって、「溥儀―清朝最後の皇帝」を読みました。

そんなに小難しくなく、かと言って、簡単も過ぎず。

「これくらは知っているでしょうから、詳述なんかしないわよ」という箇所もあり、また、微妙に文学的表現を駆使して、複雑な人間の立場・感情を表現するところで惑わされることもありましたが、まぁ、「悪文だ!」と非難するほどではなく。

と言うよりは、そう感じるかどうかは、個々人の好みの範囲だと思います。


さて、内容。

清朝最後の皇帝として、激動の時代に奇異な人生を歩んだ男(←ありがちな表現)の一生が書かれております。

一言であらわせば、「あわれ」。

権力者であったことは一度もないのに、常に清朝の血筋を継いでいるという一点で、権威者であり続けなくてはいけなかった。

それは、常々、時の権力者に利用されるしかなく、もちろん、本人の小賢しさもあろうが、自分以外の巨大な力におもねることでしか、生きていくことのできない存在であった。


しかし、時に権力に依存して行動しなくてはいけないというのは、その立場になってみれば、誰にでもあること。

文革期に、溥儀を批判闘争の対象として吊るし上げを行っていた際のこと。
このとき、一旦党と政府が改造した特赦した人間をふたたび批判闘争の対象とすることは、国家に対する批判になる、と気づいた患者がいた。入院中の三司の学生である。「闘争する相手を間違えるな」と書いたメモを渡された紅衛兵が姿を消した後、会議の空気は李玉琴には同情するが、現権力の改革をめざす文革のテーマとしては筋違いだという方向にトーンダウンし、結論らしい結論もないままに溥儀は解放された。
入江曜子「溥儀―清朝最後の皇帝」228頁 岩波新書
李玉琴というのは、溥儀のかつてのお妃様の一人。文革期になって、その過去の経歴への批判の矛先をかわそうと、溥儀へ詰め寄ったのですが…………。

短い記述ながらも、人間の「小心」と「権力欲」が、つまったエピソードです。

「溥儀」の人生というのも、この二つが延々と続いており、それが楽しめるのなら、「買い」だと思います。


溥儀―清朝最後の皇帝

岩波書店

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