2010/11/16~2010/11/22
お約束・予定調和の中でどれくらい上手くやるか?それがわかって消費していると言っても掌の上の猿(麻薬の害を知りつつ麻薬を使用しているからと言って、一体何が救われると言うのか?)。ウェルメイドの限界[徹底して予定調和的であるがゆえにその構造を浮き彫りにするソウルイーター]。偶然性を包含しうる様々な要素を盛り込んだハイブリッド。わかりやすいが、作品論に限定して理解される恐れ。東の動物化がオタク分析と限定して認識されてしまう。大きな物語なくなった以上、快ー不快的二分法と思考停止広い範囲適用可。正しくは価値観の多様化(相対主義)のもと各々が小さな真理に閉じこもると言った方が正しい(自分には相対主義向けない)。不安によりしがみつく。「空気」が言明されるほど再度重要視されるようになった理由。承認の欠落を生み出す[「純愛」の件]=ただ、そこに合わせているから受け入れられているだけのこと[沙耶の唄にも関係する]。
572システムと紛らわしいの概念~分かりやすいであろうか。中略573ギデンズならば~574注目していることが大きいのだ。沙耶の唄の記事で書く内容を多少先取りすると、価値観の多様化に絡んだ今日的な厄介さとは、真理に到達できないなどという分かりやすいものではない。もしそうなら、私たち人間は自らの必謬性を意識しながら粛々と生を営むことで問題は解決する。問題は真理に到達したかどうかの観測不可能性。いつでもユーレカと宣言することはできる。しかしそれは合意不可能・共有不可能。すぐに梯子を外される
<灰羽の深淵>
説明不足で材料は揃っていた。納得がいくまで書かない。書くこと(情報増)によって、ますます離れていく?単純化→同じ目線で見れるからこそ、それが荒削りに見えながらも「なんとなくいい話」と受け取られる(≠大上段、キャラ無害化)。設定をあれこれ考察して通時的?な視点を離れることで登場人物の眼差しと乖離してしまえば、この作品の根幹となる実存の描き方とその受け取られ方という本質的な要素を見失わせる。宗教を広める気はさらさらないが、それが果たしてきた機能に目を向けることなしに拒絶するのは、盲人が絵を駄作と決め付けるがごとき愚行だ。
<よつばまーじゃん>
写真。だばだ~と血がなくなる。やめろ~死にたくない~。最近そんなんばかり。
<中途半端な記事感想か一般か>
ファミレスでのすれ違いだらけの会話を思い出し苦笑。極端な話、「敬愛する」と評した人物に対して白痴という言葉を使ったら、読者は私の真意か日本語能力のどちらかを疑うだろう。定義の概念、共通前提。その言葉がもたらす印象。主張を広げると言うなら、自分のそれが相手のより妥当である理由が示されていないのは不可解。少し前に仕事でUnskilled writers are usually not aware of the tone they give their writing.という文を見て全くその通りだと思った。誰かを説得したいと思うなら戦略性は不可欠であり、文章の印象や言葉の選択は肝要なのだ。
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