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AI生成画像、商品としてのイラスト、自己表現としてのアート:あるいはAIと人間社会

2025-04-16 17:36:35 | AI

 

 

 

安倍吉俊の配信はじめて見たわ~。lainとか灰羽連盟とかむっちゃ好きだったなあ・・・内容としてはまあわかりやすいというか、「歴史は繰り返さないが韻を踏む」系の話かなと感じた。

 

というのも、ここで話されているAI画像と手書きの話は、写真が登場した19世紀前半でも起こったものだからだ。この頃、絵画は新古典主義からロマン主義への移行期で、そこから写実主義やら印象派が出てくる訳だけれども、ここで重要だったのは、「ここまで精緻に現実が写し取れるのなら、写実的な絵を描く意味とは?」というものであった。そしてそのような探究は、例えば単に眼前の景色を瞬間的に切り取るのではなく、見え方の傾斜をそのまま写し取ること、例えば時間経過をそのままキャンバスに落とし込む、という印象派のような形で結実した。

 

そしてそこからは、物理学の知見などとも結びつきつつ、描写法を科学的・理論的に探究したスーラなどの後期印象派、あるいはロマン主義的な内面の表出に回帰したドイツ表現主義、さらにはシャガールやピカソらの表現方法が世に出てくるわけだが、その土台にあったものの一つは、繰り返すが「目の前の情景をただそのまま写し取るのなら、写真で事足りる」という技術的な変化であった。もちろん、ベクトルとしては単に写実から離れて現実の切り取り方やはたまた不可知の世界を描こうとする手法の精錬だけでなく、例えばポスターのごとき日常的なものをアート化する、またはそれらをアートとして見倣わすアール・ヌーヴォー(その代表がミュシャ)、あるいは一種日用品を芸術として考えるアール・デコのような潮流が生まれてきたことも補足しておきたい。

 

で、AIが急速に発達した現在、そのようにして新たに生み出された諸々の表現方法は、学習によっていとも簡単に模倣・混淆・統合を行いうるわけで、かかる状況において絵を描くとはどういう行為なのか?というのが改めて問い直されていると言えよう(ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』で述べられていた状況が、いよいよここまで一般化・前景化したと言える)。

 

もちろん、「自己表現方法としてのアート」が消滅するとは全く思わない。しかし少なくとも、商品としてのイラストは極めてそのハードルが高くなって過酷な生き残り競争が起きることが予測されるし(エンドユーザーにとってAI製と手製の区別がつかなければどちらも価値は同じなので)、芸術としての絵画もまた、その価値を問い直さざるをえなくなるだろう。例えば後者について、仮に「人間が手ずから描いてこそアートだ」などと無邪気にも嘯く向きがあれば、人文知の欺瞞を暴き出したアラン・ソーカルの偽論文よろしく、人が書いた絵画とAI画像を並べ、どれだけの人間が区別できるかを判定してみるのも良いだろう。令和版「銀と金」による審問というわけだ(・∀・)

 

 

 

 

 

なお、これはひとり芸術だけの話ではない。例えばAIの発達で人間の労働時間が減るとも言われているし、また人間の労働形態が変化することも予測されるが、そのことで「人間にとっての労働」という自体が問い直されることは当然ありうるだろう(ブルシットジョブ、ホワイトカラーとブルーカラーの逆転etc...)。

 

あるいは性愛も同様だ。「沙耶の唄」という作品に関連して述べたことでもあるが、要するに生身の人間同士が生殖し合って子孫を残していくことが、あらゆる人間にとって幸福か?という話で、それが自明でないことは、そもそも身体的な事情で子供を作れない人もいれば、あるいは産後うつのような状況で生活が破綻する人間もいる現実を見れば、思い半ばに過ぎるというものだろう。そして前述したことが真理ではなく単なる傾向の問題で、いささか極端に言えば信条・イデオロギーの一種に過ぎないのだとすれば、それはAIが性愛の領域に入り込んでくることで、やはり大きな実態の変容を伴わざるをえないだろう(その参考例が映画「her」)。

 

これは極めて抽象的な問題を話しているように思えるだろうが、全くそうではない。価値観の複雑化・多様化した社会では、生身の人間とパートナーシップを作れない人間が成熟社会で増加しているが、仮にその状況で旧来のままの価値観を是とするのであれば、それが叶えられない相当数の人間のルサンチマンを、どう社会的に包摂・コントロールするのかという問題が出てくる。例えば男性においてはすでに「インセル」と自称する集団がおり、女性に対する攻撃的言説・行動を取り始めているが、こういった形ですでに現実の問題として存在しているのである(もちろん、このような傾向がマジョリティだと言うつもりはない。また、念のため言っておくが、私はインセルのような連中の主張する極めて手前勝手な理屈に全く賛同するつもりはない)。

 

かかる状況を踏まえれば、パートナーシップを作れない人間に対して娯楽と承認(孤独の解消etc)を与え、それによりルサンチマンを抱いた人々が結束して社会のアーキテクチャー(インフラや社会システム)をくり返し攻撃することで社会の存続を脅かす事態を防ぐためにも、AIを活用しない訳にはいかなくなるのではないか(一応AIでない形態としては地域猫などによるアニマルセラピーなども考えうるし、また性愛に限らず電子ペットによる孤独・孤立の解消についても以前述べたことがある)。

 

また、そもそも地球環境の状況を踏まえると、今述べたような状況が生まれやすい成熟社会は、消費活動が著しい地域でもあり、それゆえ途上国の人口増加とバランスを取るためにも合法的な範囲で人口減少してもらう必要があり、その意味できたる縮小社会へのソフトランディングのツールとして、性愛の面でもAIを活用することが重要になってくる、という話である(各々が自国のことだけを考えた場合、人口増加は税収減や経済規模の縮小などに繫がるので容認しがたいのは理解できるが、地球規模で見ればむしろ逆の可能性が十分ある、ということ)。

 

そして仮に前述のような動きが始まるや、老人がどれだけ同じ話をくり返し語っても嫌な顔一つせず聞いてくれる存在や、極めて自己中心的な欲求をも受け入れてくれる存在として、今でも見知らぬ他者よりペットに愛着する人間が少なからずいるのと同じように、「AI>人間」という意識を持つ人間は増えていき、とはいえ旧来の価値観を持ったままの人間もそれなりの数残り続けるので、それがさらに分断の複雑化・深刻化などの形で、人間社会のあり方を変容させていくのではないかと思うのである。

 

以上。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (Unknown)
2025-04-16 19:31:28
本文と関係なく申し訳ないです。
gooblogサービス終了とのことですが、引っ越し予定はあるのでしょうか。(すでに言及されてたらすみません)
返信する
Unknown (ゴルゴン)
2025-04-18 00:49:41
>Unknown さんへ
>本文と関係なく申し訳ないです。... への返信


コメントありがとうございます。引っ越しを行う予定ですが、仕事と旅行の兼ね合いで早くても五月中旬になると思われます。

引っ越し先でも変わらぬご愛顧を賜れますと幸いです。
返信する

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