⑴紀貫之は『土佐日記』を漢文ではなく仮名で書いたのはなぜか
⑵ダンテの『神曲』がトスカナ語で書かれたことはなぜ重要なのか
⑶国民国家形成において、言語がナショナリズムの重要な軸となったというのはどういうことか
一体何の話かと思われるかもしれないが、⑴は高校の言語文化で習う事項。⑵は高校世界史で習う事項、、⑶は現代の国語というか、入試現代文などで頻出するテーマの . . . 本文を読む
なるほど、全体の流れを踏まえずに一部の言葉や表現だけをフォーカスするようなコメントや、そもそもちゃんと全体を読んですらいないでしょ?と思わせるコメントの数々を見ていると、思わず「書いていないことを読む=読解力がない」として、正しい読解のあり方を勧めたくなる心情は理解できる(それで誹謗中傷やらクレームやら入れてくる輩もいるのでなおさ . . . 本文を読む
前回、「初夜権」とその虚実に関する見解を通じ、史料批判の重要性を元に、現在の古典教育の堕落した状況と、それが現代風に言えば情報リテラシーの欠如ともなっている点を指摘した。そして、こういった教育の弊害の一つが、実は「現代中国は嫌いだが中国古典は大好きな日本人」というメンタリティの形成なのだと思われる(ちなみにこれは現代だけでなく、明治期以降の日本から継続的に見られる現象であるのは『近代日本の対中国感 . . . 本文を読む
一年越しでとうとう出会ってしまったか~。
番長がこの世に現れてから、必ずおちょろちい悪魔と死合う日が来るとは思っていたが、案の定そこには視聴者も巻き込んだ言語的ねじれが発生することとなった。
でび「必殺技持ってんの?」
はじめ「刺殺技・・・??」
はじめ「はじめは勝ちまつからね」
でび「は、はずめは、はち . . . 本文を読む
仕草という話し方といい、「静かに正論で詰める」のお手本みてーなブチ切れ方だなw
しかもこの動画には、「いや、警察にここを走るよう言われたんですよ」「何ですと!?」という展開で「冷静に狼狽する」様まで観察できるというオマケつきで、非常に満足度が高いw
なお、スコットランドには適応されない模様(・∀・)
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「現代日本語の文章を読んでいても、その内容を理解できている人は一体どれだけいるのだろうか?」
この問いに対しては、「ちゃんとした教育を受けてきた人間なら誰しも理解できて当然だ」くらいの認識がまかり通ってきたが(今でもそう思っている人間は多そうだ)、ネットとその普及はその(共同)幻想を破壊した。
すなわち、別に難解な用語を使って . . . 本文を読む
「カツオパーティー」と聞いても意味がわからないし、それが本来は「仮装パーティー」だったと聞いても、ますます意味がわからなくなるだけだろう。
しかしこれを、”Kasou party”→"Katsu(o) party”と置き換えたならどうだろうか?別言すれば、sがtに変換されることで、「 . . . 本文を読む
「中世の歴史史料と物語の作られ方」という内容の記事を準備していたが、「国語の勉強つまらない人に欠ける”古文の奥深さ” 解釈が色々あるからこそ、学んでいて面白い」という文章を読んで興味が湧いたので、そちらを先に取り上げたいと思う。
そこでは「春はあけぼの」の文章がどこに句読点を打つかで解釈が変わる(解釈の多様性)という話が書かれておりなかなかに興味深いのだが . . . 本文を読む