たとえ人工授精でも…

2008-11-22 01:52:21 | 生活
この前渋谷の「俺のハンバーグ」へ同期のヤツと事務の子とで飲みに行った時のこと。どういうきっかけだったか忘れたが、俺が娘を欲しがっていることを話したらかなり意外だという反応をされた。子供の頭を撫でたくなるとか肩車をしたいとか、そういうことを言いそうな感じではないんだそうな。


そこから、子供が三人はほしい(さすがに名前も決めてることまでは言わなかったが)とか、そうすると最低三部屋は必要になってくるだとか(家族という消費システム)、家は等々力あたりがいいとか、管理職選考会(物欲・名誉欲の欠落)、実家に帰るメリットなど生活設計の話にまで発展したのだが、相手が最も驚いたのは、「自分の娘がほしいだけだから、人工授精でも一向に構わない」と俺が言った時だった。事務の子曰く「それ女の思考ですよ」と。今度は「え、どの辺がそうなの?」と俺が驚く番だった(元々ちょっと変わった言い方をする人なのである程度慣れていたつもりだったが)。「女の思考」ねえ……それスゲー気になるわ。まあその場では突っ込むことなく終わったが、これは機会があれば色々調べてみたいものだ。


さて、人工授精云々と言いはしたが、俺みたいに自身が人格的・生活的に破綻している場合は、子供が愛玩動物ではない以上、母親の存在が必要不可欠だろうとは思っている。その事を話したら、ますます意外な顔をされた。一体普段どんなイメージを持たれているのやらwいやまあ普段のイメージ以前に嫁や結婚よりも子供に優先順位を置く考え方(もっとも、俺はそれが自己愛に過ぎないと思ったりもするのだけど)が不可思議な印象を与えるであろう事は感覚的にわかるんだけど、ま、ウソついてもしゃーないしね…


この感覚も変容を免れないだろうが、それゆえにこそ記録しておく価値は十分あるように思える。さて、いかように変化していくのか、いやあるいはほとんどそのまま維持されるのか。興味深いところである。
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