古典教育、伊勢物語、都と辺境:当時の貴族の世界観と精神性を理解するには

2024-05-30 11:28:19 | ことば関連

 

 

古典教育の不要論が強く主張される理由に関し、「道具主義的に教わるものは、役に立つと実感されない限り、否定されるのが当然である」に続き、「再び古典教育不要論に関して」「『ガラスの小びん』、古典教育、公益性」を書いてきた。そこで述べたのは、グローバリゼーションによって経済合理化と国民意識の解体が進むことにより、そもそも古典教育が目的として掲げているものに説得力を感じにくい人が増えていること、そして古典教育のあり方が本来の目的を忘れてお題目化しているのではないか?ということである。

 

後者は要するに、「生徒に古典文法を暗記させ、正しい現代語訳をさせる」という行為が、手段ではなく目的化しているという話だが、「むしろそれこそが目的なのだ」という見解及びそれへの批判(そのような主張はなぜ説得力を持たないのか)については次回取り上げるとして、ここでは古典教育の「目的」及びそれに関する現状の古典教育の問題点について私見を述べてみたいと思う。

 

さて、冒頭の動画でも言及され、実際よく耳にするのは、古典を学ぶことの意義とは、「その時代の人間=他者の考え方を知る」ことであり、特に古文については「日本人の精神性を理解する」というものだとされる。この見解に立脚するなら、古文の学習や古文の解釈ができるというのは、あくまで目的のための一手段に過ぎないと言う事ができよう。では古文の授業は、一般的にそれを成し遂げるような展開がなされているだろうか?『伊勢物語』の「東下り」を例に考えてみよう。

 

「東下り」とは、平安時代の主人公が、ごく少数の人とともに京都から東国へ旅する話である。そこにはしばしば京に対する郷愁の念と見知らぬ土地への不安が見られ、和歌とそれに対する反応も、それに基づいている。

 

さて、この文章を読むことで「その時代の人間の精神性を理解する」のが目的なら、それを逐語的に和訳することで十分かと言えば、全くそうではないだろう。

 

まずそもそも、この箇所からは主人公が何者かよくわからない。旅の目的もよくわからない。「東」の三河や駿河が今の静岡あたりなのはまあ調べればわかるとして、それを辺鄙とする感覚も今一つ理解できない。

 

地理感覚について、何を馬鹿げたことを言っているのかと思われるかもしれないが、例えばこの「東下り」を学習した高校生当時の自分(ちなみに熊本出身)の認識で言うと、京都と静岡の正確な地理感覚もわからなければ、むしろ静岡は東京とそんなに離れていないことから、「静岡が辺境?うちの方がよっぽどですけどw」ぐらいにしか思わないわけである(もちろんアホの極みだがw)。だから、東国にいてやたら涙している主人公たちの様子を見ても、「あ~、大切な人を残してきてるから心残りなのかねえ」ぐらいには思うが、その地理感覚や世界観がわからないので、その深刻さが全くピンと来ないわけだ。

 

とするなら、この主人公たちの心情(やそれを読でんいる当時の上流階級の人々の認識)を正しく理解しようと思うなら、主人公とされる人物の来歴と、当時の貴族の世界観を知らなければならない。

 

まず前者は、浮名を流した有名貴族の在原業平であろうとされており、彼が都でやらかして、離れた地に行かざるを得なくなった=「都落ち」的な落差があることはどの授業でもなされていることだろう。では次に地理感覚だが、これは伊勢物語だけ見ていても今一つピンと来ないだろうから、例えばもう少し後に成立した『源氏物語』などを参考にするのもよいだろう。

 

そこでは、やはり都で朧月夜とやらかした源氏が須磨に蟄居する話が出てくる。そこで源氏はそのあまりの鄙びた様子に驚きつつも、明石の入道やら明石の御方と出会い新たな人間関係を取り結んでいくわけだが、先に述べた現代熊本人の地理感覚からすると、そもそも京都から明石・須磨=兵庫に行ったぐらいで刑罰的な意味合いがあるのが全くピンと来ない。しかし、そこでの描写からすると、京都の人間にとって、その距離の落差が相当大きなものだったことがひとまず了解されるのである(ちなみに紫式部がこの顛末を描いたのは、在原業平の影響があったともされる)。

 

その他、玉鬘の当て馬として登場しながら、最終的には全くの道化として笑いものにされた近江の君もまた(この対比は源氏と頭中将の政争の行方をも暗示する)、その名前と辺鄙な地への認識の一端を垣間見ることができるだろう(まあ私はしち面倒臭い宮中の人物たちより、このキャラの方がよほど好きなのだけどw)。

 

さらに言えば、『源氏物語』には宇治十帖なる続編が存在するが、そこからわかるのは、現在京都府に含まれる宇治ですら、隠居先で済むような人のあまり訪れない場所だった(と京都の貴族からは認識されていた)ということである。いやそもそもだ。今の銀閣がある東山辺りについても、以前は洛外として厳密には京都に含まれていなかった(まあ東京在住の人間が、板橋区や練馬区、足立区を半ばネタで「別世界」のように語るのを想起してもよいかもしれない)・・・とここまで来て初めて、中央貴族の感覚からすれば、東=静岡が辺境も辺境であり、そこに少ないお供で旅をするという行為が、どれだけ心寂しく、危険なものであったかが多少なりともわかるだろう(それゆえに、「都鳥」の歌を聞いて乾飯がふやけるほど涙を流すことになる、と)。

 

そしてここからさらに発展させれば、いわゆる「坂東武者」とその台頭が中央貴族にとってどれだけインパクトがあったかも理解しやすくなるはずだ。言ってしまえば、到底自分たちが行くところではない「未開の地」からやってきた文化的素養などロクにない連中が、政治の中枢に食い込んでいったわけで、その中から平氏政権、そしてのちには東国に鎌倉幕府が誕生するのはよく知られたところである・・・

 

というわけで、ここまで述べたことで私が伝えたいのは、仮に『伊勢物語』の「東下り」を材料に「当時の人々の精神性を理解する」ことを目的とするなら、当時の日本や当時の貴族の世界観が今の私たちとどれだけ違うかを把握するために最低限これだけの周辺情報が必要ということであり、本文を逐語訳したところで全く足りていないのである。逆に言えば、この「東下り」を教える時に、本文の品詞分解や正しい逐語訳を目的として授業が行われているのであれば、私には手段と目的が転倒しているようにすら見えるのだ(文法や正しい現代語訳を教え、それを定期試験などで確認し、入試に備えさせることが目的化していませんか?て話)。

 

このような意見は「古典の授業というよりはむしろ、地理や歴史を含んだ総合的な学習内容では?」と疑問に思われるかもしれないが、むしろ今の高校の授業や大学入試は「科目横断的な知」が重視されるようになってきており、ゆえに今のような教え方の何が問題なのかむしろお尋ねしたいぐらいである。

 

また、こういった教え方は、時間的制約や教師の知識により実現が難しいという意見は出ると思われるが、それも映像授業の導入であったり、あるいは事前にYou Tubeの動画を見てきてもらうことを課題とするなどで解消は可能だろう。つまり古典教育の目的である「当時の人々の精神性を理解する」という目的を最大限効率化して達成可能性を高める(=効能の最大化の)ためには、教師はあくまで教室管理や質問対応、テストの結果確認といったチューター的な役割を担うようにすべきである、とさえ言いうるのである。この話はシステム的な議論になるので、機会があれば別で扱いたいが、要するにこういったことまで視野に入れることなく、ただ古典教育の重要性を訴え続けるのは、単なる既得権益の維持や、旧体制の思考停止的な存続であるとまで見なされるのではないか(要は単にポジショントークしてるだけなんちゃうんか?)、と述べておきたい。

 

以上。

 

 

 

【補足】

ちなみに今述べた話は、何も古典学習に限った話ではない。例えば以前も取り上げた、昭和歌謡(昭和28年)の「街のサンドイッチマン」で考えてみよう。

 

 

 

 

歌を聞けばわかる通り、歌詞を理解することは何ら難しくはない(まあ「燕尾服」とか「おどけ者」なんて言葉は最近とんと耳にしなくなったのでとっさには受け取りづらいかもしれないが)。

 

ではここで、「この歌は当時のどのような精神性を反映しているのだろうか?」と問われたらどうだろうか?内容的に、おそらく「貧しかった戦後間もない頃の昭和を象徴している」といった連想はできそうだ。しかし周辺情報として、このサンドイッチマンのモデルが、海軍大将っだった高橋三吉の息子であると聞けば、また大きく印象が変わる(深化する)はずだ。つまり、なぜ海軍大将の息子がサンドイッチマンなどやっているのか?という問いが生まれることで、高橋三吉がA級戦犯となったこと、その影響で息子の高橋健二も職を終われ、サンドイッチマンのような職業で糊口をしのがなければならなくなった、という情報に到る。

 

つまりこの歌は、確かにサンドイッチマンの悲哀を歌ったものではあるが、そこには公職追放、つまり戦前→戦中の価値観の変化であったり、かつて栄華を誇った人々の没落といった要素が背景にあるのであり、これが時代の人々の心情とも重なり、流行の一つの要素ともなったのである(「街のサンドイッチマン:それが象徴する時代」。なお、これを先の『伊勢物語』とのアナロジーで述べるなら、高橋健二は在原業平であり、そしてサンドイッチマン=没落した姿は、東=京都から離れた場所への都落ちと重ねることができる)。

 

こういった理解は見田宗介『近代日本の心情の歴史-流行歌の社会心理史』といった研究とも接続するが、重要なことは、繰り返しになるが、ただ書いてある内容を逐語的に理解したところで、そこにある精神性を深く理解するには程遠い、ということに他ならない(流行歌を元に当時の人々の世界観を分析するというのは、「『九段の母』から見る神仏習合の実態と神仏分離の影響度合い」などでも書いたことがある。そこでは、戦中に「九段の母」が流行したことを元に、国家主義の風潮が強まっていた当時でさえも、民衆のシンクレティズム的宗教意識がなお強く残存していたことを強調した)。

 

よって古典教育の目的が真に「古典の学習を通じて当時の人々=他者の思想や精神性を理解すること」であり、その達成に心血を注ぐべしと言うのであれば、周辺情報での補足(作品単体の点的理解ではなく他作品とのアナロジーなど含めた面的理解)が決定的に重要であることを再度強調しておきたい。


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