キリスト教はなぜ明治以降の日本に普及しなかったのか?

2013-12-22 18:34:50 | 宗教分析

これまで様々書いてきたように、「キリスト教」というカテゴリーに厳密にこだわらないならば、日本の歴史上すべからくキリスト教が広まらなかったという見解はそもそも誤りであると言える(もしこだわるのなら、カテゴリーの正当性とそれを採用する機能的合理性を示す義務があると思われる。今私には思いつく根拠というか視点が一つだけあるが、それはまた別の機会に述べたい)。

 

とはいえ、今日日本にいるキリスト教徒が1%程度であるのは事実。ではなぜそのような状況になったのか?隣接する韓国の例で考えてみよう。そこには現在30%程度のキリスト教徒が存在している(ちなみに「宗教なし」と答えている人も50%弱いる)。しかしキリスト教が伝わって右肩上がりに信者が増えていったかというと全くそんなことはなく、随分長い間弾圧する政府の下で細々と信者が存在しているという状況だった。日本の影響力が増大し日韓併合が行われた後に関しても、特にプロテスタント教会が抗日運動の中心となったこともあって、教会の破壊や信者の検挙など様々な弾圧が行われた(これは韓国に限った話ではなく、日本国内でも大本の弾圧などが著名な例として挙げられる)。その頃に急速に信者数が伸びたわけではなく、韓国全土にキリスト教が広がったのは第二次世界大戦後のことである。

 

このことからすれば、弾圧の影響はやはり大きいことがわかる(ローマ帝国の例からもわかるように十分条件ではないが)。そこからも、日本とキリスト教に関しては文化論的な話をする前に、まずは戦国時代のキリスト教の布教に寛容だった(為政者が許可していた)時代に急速に広がったこと、そして後に徹底的な弾圧が行われたことを、まずは今日的状況の要因として考えるべきではないだろうか(このことについて、キリスト教的思想・土台がしっかりしていなかったから弾圧に屈したのだと考える人がいるかもしれないが、それならマニ教カタリ派を始めとして歴史上どれほど多くの宗教・宗派が弾圧によって衰退ないし消滅していったのかを考えてみるとよい。今日の成功例=サヴァイブした宗教を前提として考えるから、あたかも宗教が消えないものであるかのごとき安易な結論を出してしまうように思える)。

 

ただそうすると、「弾圧が行われなくなった明治以降にキリスト教が広まらなかったのはなぜか?」という疑問が出てくる。なるほど例えば明治初期に古い民間信仰を禁ずる法令が作られることはあったし、またキリスト教が禁教とされてもいたのだが、後者については諸外国の反発もあってすぐに取り下げられたし、また天理教大本を始めとして様々な新宗教が生まれているのはよく知られている通りだ。それに前述の大本のような神道系の教団と違い、一部を除けばキリスト教諸宗派が大々的な弾圧を被ることはなかった。しかしそれにもかかわらず、キリスト教が広がることも、またキリスト教の新たな宗派が日本で生まれたりすることもなかったのである。

 

いちおう、「江戸時代のごとくキリスト教が邪宗として認識されていたかどうか?」という問いを立てることはできるが、管見の限りでは民衆がそのような認識をしていた様子はない。むしろ(韓国と同じで)「進んだ西洋文明」の象徴としてどちらかと言うとポジティブに捉えられていたのではないだろうか。中国やインドを始めとして、西洋の進出が植民地化とセットになっている地域はそれに対する反発がキリスト教への反発としても立ち現れることがある。(たとえば仇教運動。植民地化がキリスト教化と密接な関係がある点については、フィリピンやアフリカ[リヴィングストンが宣教師だったことも想起したい]、アメリカ大陸の例を挙げれば事足りるように思える)。しかし日本はそのような植民地化を被っておらず、ゆえに大きな反発が生まれる機会はほぼ皆無だったと言っていい。

 

あるいはもしかすると、神道が「無宗教」として天皇崇拝が強要されたことも多少は影響があるかもしれない。近代化を急ぐ日本は、天皇を統合のために利用しつつ、一方で神権政治との批判を受けないような規定をした憲法を作る必要があった。そこで神道は「無宗教」とされ、ゆえにどんな信仰を持つ人にも天皇崇拝を要求することが可能になった、というわけだ。これがキリスト教徒からはどのように見えていたのか、またそれと信徒たちはどのように折り合いをつけていたのかは注目すべき点であるように思える(これについては後述の韓国のカトリック教会を参照)。

 

また、第二次大戦後には「雨後の筍」と比喩されるような勢いで新たな宗教・宗派が誕生した。大雑把に言えば、いわゆる「国家神道」が廃止されただけにとどまらない制度や価値観の変化(とそれへの不安)の中で様々な思想・組織が生まれたわけだが、このような中でキリスト教はなぜ受け皿とならなかったのだろうか?もちろんこれは他の伝統宗教にも言えることなのだが、いちおう仏教ならば、かなり形式化していたとはいえそれを自分の、あるいは「家の宗教」として認識している人は多数いたわけで、目新しさがなかったとは言えよう。しかしキリスト教は完全に少数派だったわけだし、また当時は「鬼畜米英」+「一億総玉砕」から「アメリカさんありがとう」+「一億総懺悔」へ鞍替えした時代でもあるわけだから、キリスト教をマイナスに捉える理由がないように思われる。とはいえまあ、韓国のように「反日運動の中心を担った」というほどのポジティブな理由がなかったのはあるかもしれない(つまり、わざわざ選び取るほどの理由がなかった、ということ。ちなみに、韓国のカトリック教会は二次大戦前の日本に対する態度が微温的で神社参拝も認めていたため、日本が引き上げた後で批判にさらされることになった)。加えて、マッカーサーが日本のキリスト教化に熱心であったこと、そして後にそれが退けられたということもとりあえず指摘しておきたい(もしそれが実施されていたら、キリスト教徒が90%を占めるフィリピンほどではなくとも、韓国に近い状況にはなっていたかもしれない)。あるいは、そこで教勢を大きく伸ばしてきたのは創価学会立正佼成会などの新宗教でもあるから、以前から存在していたものに帰依する(救いを求める)というベクトルが生じなかったとも考えることができるだろう(そもそもこの時点でキリスト教徒の数が大きく伸びるなら、戦前はなぜ信者の数が目立って増えなかったのか、という話にもなる)。

 

ということで様々書いてきたが、「戦国時代から江戸初期にかけてキリスト教徒は急速な勢いで増えたにもかかわらず、明治以降にはなぜそのような現象が起きなかったのか?」という視点が重要であるように思われる。あるいはもしかすると、中国におけるイエズス会の典礼問題を考えるならば、戦国~江戸期と明治以降では土着の信仰に対する態度に違いがあったのかもしれない(仏教で言えば、最澄が戒律を廃したり、専従念仏で救われる浄土宗が現れ急速に広がった、といった変化が指摘できる)。こういった点についてはまた別の機会に述べることとしたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 久しぶりに | トップ | VS観音様 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宗教分析」カテゴリの最新記事