ダンボールを二年半ぶりに。
100冊売る
岡崎京子なんて食器棚だぜw . . . 本文を読む
俺はアラクネ様を見るとつい前かがみになってしまう、そんな男だった・・・ シド・バレット著『エロスの涙』より
ソウルイーターは元々狙っていることもあってなかなかにエロい、そして萌える作品である。ちなみに個人的に萌えるベスト3は
1.太陽何か声が愛らしいw夕方で死にそうになっている姿もかぁいいwシリアスな内容が展開されても、こいつがいるおかげで世界全体の明るさは保たれてる・ . . . 本文を読む
ソウルイーターを見終わって四カ月。最後の締めが決まらねえとか何だかんだ言いつつここまで来てしまった。いつか考える時間も出るだろうと思っていたが、忙しさは増すばかりで待っていても埒が明かない感じがしたので、ぶつ切りにして感想を掲載していくことにした次第だ。
まず始めに自分の評価をはっきりさせておくと、ソウルイーターは非常にすぐれた作品であると思う。と同時に、私はこの作品のよい評者で . . . 本文を読む
前回の記事において、私は人の行動や評価が文脈によって変化するのは当然であるがゆえに、郁紀(主人公)の行動を全く不自然だと思わないと述べた(=交換可能性の認識)。そしてこのような評価は、郁紀が元の知覚を取り戻すエンディング(「エンド1」)が惨劇に終わるだろうという予測と完全に連動するものであったと言える。
周知のように、エンディングの内容はこの予測を完全に裏切るもので、以降作品の内 . . . 本文を読む
先日私は、「終末の過ごし方」に関して、早くも二日目から不治の病のアナロジーを持ち出すことによって、一見すると不自然に感じられる作中人物の行動の背景(精神性)を極めて適切に説明していると述べた。
ところで、この作品における終末の設定ないしは位置付けについて、「ズルい」と評する人がいるかもしれない。たとえば、「終末そのものに関して一切説明しないのは主人公たちのような一介の市民が置かれた状況を体感させ . . . 本文を読む
沙耶の唄をプレイして、「これは~のオマージュだ」といった発想しか出てこないような想像力を私は軽蔑する。
もちろん、「ホットショット2」のようにオマージュに満ちていることを楽しむ作品も存在する。
しかし沙耶の唄においては、映画と違って主人公主観が自然なものとして採用され、マンガや小説と違って音声や音楽があり、アニメと違って自分のペースで物語を読み解くことができる。
このような表現形式上の特異性 . . . 本文を読む
率直に言って、私は沙耶の唄が視覚的(直接的)にホラー作品として成功しているとは全く思えない。また沙耶の正体が実は・・・という認識による(セックスシーンなどでの)恐怖も、どういう意図か恋愛幻想を維持するような演出(cf.「二項対立と交換可能性」、「エンディングの『失敗』」)がなされていることによって、不徹底に終わっている。
むしろこの作品にホラー要素と呼べるものがあるとすればそれは . . . 本文を読む
私は沙耶の唄が「恋愛モノ」だと評価される必然性を繰り返し説明し、むしろそれに驚く作者こそ内容や表現形式への自覚が足りないのだと述べてきた(「虚淵玄の期待とプレイヤーの反応の齟齬」~「異物に対する同一化傾向」)。
ところで、前にYou Tubeの動画コメントを見ていた時、「郁紀は前と同じように耕司たちと接するべきだった(should)」という意見があってなるほどと思った(なお、SO . . . 本文を読む
「終末の過ごし方」をプレイして、カタストロフであってもなお、これは幸福なる者たちの物語だと言う人がいるかもしれない。
なぜなら彼らには、終末をともに過ごそうと言ってくれる人たちがいるのだから。 . . . 本文を読む
え、緑シナリオの話するつもりだったんちゃうの?予定が変わった理由は別の機会に話すとして、今回は「終末」の状況と作中人物の行動を不治の病で喩えてみたいと思う(余談だが、かつて「君が望むサバイバーズ・ギルト」という記事では末期ガン患者の振舞を例として挙げたことがある)。
このアナロジーは俺が後付け的に持ち出したものではなく、二日目冒頭のラジオでD.J.WALKが言及したものである。以 . . . 本文を読む