ガラパゴス化、宙吊り、パラダイムシフト

2013-08-05 18:02:58 | 感想など

(登場人物) ポリアンナ=P  タンホイザー=T

 

 

T
人間はなぜ死ぬのだろうか?


P
なんやねん唐突に!?「灰羽連盟」のことを話すんじゃなかったの?


T
宇宙はなぜ存在するのだろうか?


P
お前独眼鉄先生に弟子入りでもしてきたんか?


T
わしは真面目に聞いとるんじゃ。答えい!


P
汝の問い「いかに」に非ずして「いかで」を尋ぬるや?


T
いかにも。


P
じゃーわし知らんわ。どうやって宇宙ができたのか?存在しているのか?てことだったらビックバンやら人間の認識方法やら答えは考えたり用意したりできるけど、なぜ宇宙が「ある」のであって「ない」のではないのか?という問には答えようがないのでね。


T
自己の存在に関しては如何?


P
それにしたってどうやって自分が生まれたのかはおとんとおかんがアレしてとかその出会いのきっかけはとか説明できるけど、じゃあなんで二人が出会ったのであって出会わないことはなかったのか?なんて考え始めると、端的に「出会ったから出会ったんや」としか言いようがない。まあ「縁起」って考え方もあるけど、それで全てを説明できるという考え方には全く根拠がないと思うね。


T
そこに必然性など存在しない、と?


P
そうだね。「そうだからそうなっている」だけでしょ。つまり偶有性とも端的な事実とも言えるし、世界の未規定性とも言える。まあそのブラックボックスに「因果律」だとか「神の思し召し」といったものをはめ込む方法もあるけど、それも多分に恣意的だよね。結果からの逆算というか世界を体系化せんとする欲望の顕れというか。もしくは世界は何かしら必然によって成り立っているはずだ、という思い込みや願望とも言っていい。まあもっとも、そういう風に考えた方が個人的に心の安寧が得られるっていうのなら、別にそこまで否定する気はないけどね。機能主義的に使える(不安による暴走・ファシズム化を防ぐ)のならそれもマタヨシってことでwつうか今さらそんな話を蒸し返してどーすんのさ?「なぜ」系の問いって「無知の知」にも連なるただの端的な事実を言ってるだけなのに、「そういう事を考えている俺ってエライ!」的な勘違い野郎と混同されるからイヤなんじゃなかったっけ?


T
いや「灰羽連盟」って作品がなぜ人の心を打つのか、その根幹に触れるにはこの話を持ち出さざるをえんでしょうよ。「灰羽」という存在不可解な世界の成り立ち「巣立ち」「罪憑き」と承認・・・て感じで様々な問題につながってくるからね。


P
う~ん、でもその問い方は「灰羽連盟」の特徴を誤解させるだけじゃあないか?パフォーマティブに矛盾してるっていうかね。確かに「灰羽連盟」が最終的に行き着くのは、今みたいな問いかけと「承認」の問題だし、それはいわゆる「実存」や宗教のエートスの根幹に触れていると。でもむしろ重要なのは、作者が危惧したように「青臭い」とか、あるいは「小難しい」と思われかねないはずの事柄が、もちろん全てじゃないにしても、どうして伝わりえたのかだと思うわけよ。だから「再考」では一貫してそれを扱い続けたわけだし。


T
それはわかるけど、もう少し違う視点も導入してみないか?たとえば作者は何らかの体系的な宗教的背景を意識していたのか?とかね。


P
いや~それはないっしょ。さっきも言ったように作者は「青臭い」作品と認識される可能性を危惧していたわけだけど、それならある程度の説明を加えるんじゃないかな。もちろん作中では尺の問題があるから入れないにしても、たとえば台本兼設定資料集の「灰羽読本」でさえそういう宗教的・思想的なマターに触れてる部分は記憶の限りないしね。まあ灰羽たちが死者の魂(?)であるという設定とかはあるけど、それがいかなる背景や意味合いを持っているか、という点について作者は完全に沈黙していたはずだ。まあこれはデスノートの作者がしていたような「配慮」も0ではないかもしれんがね。なんせ日本人は「宗教アレルギー」と言われてるぐらいだからわざわざ出すメリットがない。ただ、繰り返すけど体系的な思想とかはないと見ていいんじゃないの?実際、「最初はこんな設定・存在だったらおもしろい、と思いつきで始めた世界にどんどん肉付け・方向づけをしていくうちに一つの作品ができあがったため、途中で試行錯誤しながら製作を進めていた」という趣旨のことを作者の安倍吉俊は「読本」の中で何度も書いてるしね。要するに色々なガジェットの組み合わせとズレがおもしろくて始めたものが、どんどん膨らんでいって形になった作品と言えるよね。


T
それはこの作品にとってプラスに作用したんだろうか?それともマイナスに作用したんだろうか?


P
確実にプラスに作用したと思うね。くり返し話してるんで手短に言うけど、レキのタバコやヒカリのフライパンの演出は、神聖さよりも親近感を抱かせるわけよ。この前の「中間体」で「PSG」に関して天使と悪魔の価値転倒の話をしたのと似てて、まあ受け手にとって垣根を低くする効果があったと。あとは作者自身が手探り状態なため、色々なスタッフの意見をどんどん取り入れていったのも大きかったんじゃないかと。凡庸な実存の話はどうしても一人よがりになりがちだけど、そこに他者の眼差し(他者性)が入ったことでブラッシュアップされたと。


T
レキは気の置けないラフな感じだし、だいたい神聖な儀式に使う道具をパンの型に使うとは何事か!て話だよなw


P
そうそうwただまあラッカから羽が生える場面の生々しさ、痛みの演出があるから完全にはネタになりきらないけどな。これは世界の描き方についても言えることで、タバコやスクーターといったガジェットは、灰羽たちの親しみやすい性格とも相まって距離を感じさせないわけだけど、一方で西欧風の街並みは現代日本では明らかになく、「ここではないどこか」の印象と憧憬を受け手に与えるのに十分だったと予測する。誤解を恐れずに言えば、この作品は「様々な要素の寄せ集め」なんだけど、しかしそのことが、ある種読者を宙吊りの状態に置き続けるがゆえにカテゴライズという名の無害化(e.g.話師やクラモリの位置づけ)を免れていて、それが最終的にこの作品のテーマを極めて受け止めやすいものとしているように思うね。


T
そういった様々な要素のごった煮的組み合わせって、よく言われるように特殊日本的なのかな?


P
計算せずにここまでやってしまうのは特徴かもね。ただ、描いているテーマそのものは昔から続く問題だよ。たとえばレキの行動は、カトリックの善行と「赦し」、あるいは信仰のみによって救われるプロテスタントとその抑圧の強さ(マックス・ウェーバーはそれをバンヤンの作品から引いているけど)を連想させる。あるいは灰羽の親近感についても、アウグスティヌスの「告白録」とその受け入れられ方からすれば、古代西欧世界にも似たような理解の土壌あったわけでしょ。これはたとえば「無欠の聖人」と「堕落せし凡人」の二項対立があるわけではなく、聖人もまた子供孕まして捨てちゃったり、欲望への苦悩から禁欲主義を志向する異教徒(マニ教徒)になってしまったという具合に過つ存在であり、そういう様々な過程を経て教義に叶う存在になったんだ、という話だよね。もし最初から罪が一切あってはいかんし、そもそも罪を犯さないような存在だと認識されてるんだったら、「告白録」出した瞬間に袋叩きにされて永久追放なわけじゃん。そうならんかったということは・・・て話やね。まあこれは全能の神の前ではどんな人間もダメな存在だ、という人間の必謬性の意識でもあるけどね。そしてこれは「絶対他力」や「悪人正機説」にも繋がる発想であると。


T
でも、園子温の「愛のむきだし」で神父親子を通じてカリカチュアライズされて描かれたように、すぐに試行錯誤の結果は前提へと置き換えられてしまう(ベタになる)わけでしょ?そしてむしろ不幸の原因探しの一環として自分の罪探しが始まるって寸法さ。


P
確かにそういった「ネタ→ベタ」って円環構造は幾度となく繰り返されてきたものだけど、二元論的な認識を踏み越える思想があったことを否定する要素にはならんでしょ。だいたい初期ギリシアなんてひっちゃかめっちゃかだしねwちなみに今話題に出た「不幸の原因探し」も灰羽連盟では「罪の輪」という形できちんと描かれてるで。まあ結論を言うと表現方法はともかくテーマ自体は特殊とは言えないよってことで。さっきの話に戻してよい?


T
へいへい。


P
もし仮に敬虔なキャラの不在、つまりキャラの造形も含め最終的なテーマと連動するよう計算づくでやってたら、もっと「あざとい」というか鼻持ちならない作品になったんじゃないかな?というのもそれは、結局ロジカルタイプが読めた時点で「終わり」なんだよね。さっき言ったのと同様、カテゴライズされて安全なものとして消費されるだけでさ、まあ上から目線気味の感心や「神!」的な埋没した賞賛は生まれるかもしれんけど、そこから先のパラダイムシフトには到りようがないね。


T
そういう点では、「太陽を盗んだ男」と類似する部分があるね。一見するととても頓珍漢な事を描いているように見えるけど、むしろそれは茫洋とした不全感や怒りが暴走していくことを適切に描き出したがゆえのものだし。


P
う~ん、その通りだけど、その話を持ち出すと読者が「切実な実存の問題と独りよがりな不全感が同じ!?」てな感じで混乱するだろうし、しかもそのテーマは小林信彦の『抱擁家族』や「君が望む永遠」の主人公の評価、あるいは様々な無差別殺人の話とかにも繋がってくるから収集がつかなくなるで。


T
ふむ、じゃあ「灰羽連盟」に話を戻そうか。



最後は古代文字の読解が一部しか進まなかったことが象徴するように、「世界」や「自己の存在」の真実は全くわからないままで、「私はレキのことを忘れない」とラッカが言って終わるわけだけど、これまた「灰羽連盟」という作品の今までの営為からしてこれ以上ないくらい完全に正しい終わり方だよね。世界は未規定で自分もいつか「巣立つ」かもしれないけど、でも私たちは、確かに支え合いながら生きている。そして自分を支えてくれた人のことを私は心に留めながらこれからも生きていくだろう・・・と。これはしばしば灰羽たちが社会的・精神的に相互扶助の生活を営んでいることも合わせて、今まで見てきた作品の中でも屈指と言っていいレベルの幕引きだと言える。


T
なるほどね~。つーか結局お前も冗長な語りに走ってる点ではパフォーマティブに矛盾しまくってんじゃんw


P
そぎゃんったいね。偶然性やそこから生まれる実存の問題って伝えるのが難しいとよ。しかも、それを扱った作品の無意識的な部分を含めた演出の正しさとかなるとなかなかねえ・・・世界の未規定性の話って傍から聞いとったら因果の探求を放棄した思考停止か、あるいは出もしない答えを延々と考える衒学的な趣味とかにしか思えんからね。


T
まあその点「灰羽連盟」はそもそもグリの街や灰羽の成り立ちからして不明瞭だし、物心ついた状態で生まれて数年単位で巣立っちゃうわけだから、設定が実存の揺らぎに必然性を与えてるよね。しかもそれがあらかじめ醸成された親近感によって受け手にも伝わりやすい。


P
だけど現実世界ではそうはいかんからね。ブッダは悟らせるために「嘘も方便」と言ったけど、「世界の未規定性」を相手が受け入れるためのレディネスを作るには、まあ色々と苦労があるわけだ。


T
ブッダと言えばこないだ「聖☆おにいさん」が映画化されたね。あれはどうなん?あと「承認」の問題が出てきたけど、「沙耶の唄」とか「魔法少女☆まどかマギガ」は?


P
つかいい加減疲れたけん、その前にアイスでも食いにいかん?


T
そうすんべーか。

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