目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

古代の青龍、野川下りコース源流編 約4.6km

2018-05-07 08:13:42 | ウォーキング
下見をしてから実施は二年後などということもある中、下見から実施まで約一週間というのは珍しいパターンです。先日のブログと同じような内容になってしまうことはお許しください。


写真:えきから時刻表
えきから時刻表はYahoo!の乗換案内と並び、ウォーキングの企画には欠かせないツールです。以前は時刻表を購入しなければわからなかった情報が、ネットで簡単に検索できるので便利です。時刻表で思い出すのは生前の父の話で20年くらい前のことです。近所の書店で売っている時刻表の必要なページを開き、コピーを依頼しことわられたそうです。「わかってねぇんだよなぁ」という父に、「わかってねぇのはあんただよ」と心の中で突っ込んだ思い出です。顔なじみの店主だったらコピーしてくれるのですが、その時はパートの女性だったため断られたという背景もあるのですが、売り物ですから普通はコピーしてくれません。
余談でしたが、この画面を載せたのは赤字の「土曜日に停車する列車はありません。」にびっくりしたので。中央線快速下り列車で土曜日に新宿に停車する列車がないなんてことは考えられません。どうした、えきから時刻表!


写真:新宿駅10:31発中央線快速武蔵小金井行き
土曜日と休日はたいして変わらんだろうということで調べると、35分発の特別快速に乗るか、37分発の快速に乗るか。25分の快速の後、31分の武蔵小金井止まりがあり、35分の特別快速という並びなので、特別快速は混んで座れない可能性がありそうです。37分の快速ならば空いていて座れる可能性が高いと考えたのですが、国分寺まで特別快速で20分のところ、快速では28分かかります。
そこで浮上したのが31分の快速武蔵小金井行き。武蔵小金井は国分寺より手前なのでどこかで乗り換える必要がありますが、空いていて座れる可能性が高い。えきから時刻表でこの列車の詳細を見ると、これまた不可解で理解不能です。三鷹駅に10:49に到着し、10:49に出発すると書いてあります。新宿駅35分発の特別快速は三鷹駅10:48発となっており、複々線ではない中央線快速では走行中に追い抜くことはできずあり得ません。会員に三鷹駅で特別快速に乗ることができれば三鷹で乗り換え、特別快速に乗ることが出来なければ武蔵小金井で乗り換える指示をして新宿10:31発の快速に乗車しました。
結果的に快速電車は三鷹駅で特別快速電車と待ち合わせをしたので、三鷹10:47着が正しい時刻だったようです。とても便利に利用させてもらっている「えきから時刻表」で誤った情報提供は初めてです。だれがどのようにデータを入力しているのかわかりませんが、がんばれ、えきから時刻表!
もう一つ結果的には、新宿10:35発の特別快速は座れそうになかったのですが、それほど混んでいませんでした。次回同じ時間帯に乗るときは乗り換え不要のこちらの特別快速を利用することになります。


写真:中央線快速電車
ウォーキングの企画で国分寺に行くことを考えると集合場所を井の頭線渋谷駅改札にするか、中目黒GTにするか迷うところですが、今回は中目黒GTにしました。東横・副都心線で新宿三丁目。新宿駅まで歩き中央線快速に乗る流れです。


写真:西武多摩湖線ホーム

写真:恋ヶ窪東遺跡

写真:日立中央研究所
国分寺駅でトイレを済ませ、遺跡がある公園へ移動しストレッチ。この公園も日立中央研究所に隣接しています。


写真:中央快速線

写真:日立中央研究所
日立中央研究所と中央線線路の間の道は自転車置き場となっており、車は通りません。フェンスのわずかな隙間から野川の流れを確認することができ、歩道側には野川の説明プレートがあります。



写真:万葉植物園
万葉植物園は国分寺の境内にあり国分寺市の重要天然記念物に指定されています。三月に国分寺を訪れた時に、植物園を見ている会員もいるかもしれません。植物園のページから引用します。
国分寺万棄植物園の概要 万葉植物園は、国分寺が建立された頃、編まれた歌集で、中には万葉の歌人たちが植物に託してその心を歌ったものが多くおさめられている。そこで、跡を訪れる方々に、植物を通じ、またそれらを詠んだ歌を通じて当時の人々の考え方や生活などを知って、その昔をしのぶ一助にしてもらいたいとの意図のもとに造られたのがこの万葉植物園である。これらの植物は、当時住職星野亮勝が、昭和25年から38年までの13年間を費やし独力で採集したもので、現在では、当地にて栽植の及ぶ限り、約160種(他に各植物約700種)が8,019平方メートルの園内に植えられています。



写真:線路沿いの道

写真:野川が削った崖の階段

写真:押切橋
線路沿いの道には大きな境界石があるので、線路沿いはJRの土地なのかもしれません。通路として市民が利用しています。現在水量わずかな野川ですが、源流付近にこれだけの崖を形成しているということは、国分寺崖線から染み出す水はかなりの量だったことが想像されます。日立中央研究所から出た野川の初めての橋が押切橋です。研究所内にも橋らしきものがあるかもしれませんが、押切橋が野川の最初の橋と言っていいでしょう。


写真:シャクヤクかな?

写真:野川が作った崖

写真:あやめ橋

写真:野川

写真:真姿の池湧水群から来る支流
この時期は花がきれいでそれを眺めながらのウォーキングが最高です。野川はハケと呼ばれる国分寺崖線の湧水を集めて、水量を増してゆきます。


写真:野川の不動明王と庚申塚

写真:野川にかかるこいのぼり
「不動明王」と書いてあるだけですが、大切にされてきたようです。押切橋から1kmくらい下ったかなと思いますが、水量が増えて川らしくなってきました。


写真:遊歩道

写真:もみじ橋

写真:マンションの門
もみじ橋脇に門を残して建設されたマンションがあります。広いお屋敷丸々マンションに変わったのでしょう。


写真:川沿いの道

写真:東京経済大学付近
ようやく川沿いを歩ける道が出現しました。この先しばらく川を眺めることが出来ず、東京経済大学付近の鞍尾根橋から遊歩道が整備されているようです。この日はここから国分寺駅に引き返すことにします。


写真:東経の森

写真:新次郎池

写真:ハケ沿いの道
新次郎池については前回下見編で書いているのでそちらを参照していただくことにして、東京経済大学についてWikipediaから引用します。
東京経済大学の前身は、大倉財閥を作った大倉喜八郎によって1900年に現在の東京・虎ノ門に創立された大倉商業学校。大倉は、その設立の趣旨を次のように述べている。

『条約改正が実現し、内地雑居が近く行われる。しかしわが国の商業者の知識は昔と変わらない。このままで進むと対等条約と内地雑居の実施の結果、わが国の商業界は外国人に独占されることになろう。自分が外国に支店を設けて有為の青年を派遣してきたのは外国人に対抗するためである。そこで、自分の還暦と結婚満25年を記念して、商業学校を設けて多数の商業者を育成し、世のために尽くしたい。』

創立委員として大倉の友人である石黒忠悳(大倉商業学校と大倉高商で理事・督長を歴任)・渡邊洪基(大倉商業学校の督長を歴任)・渋沢栄一が参画し、1919年には旧制専門学校の大倉高等商業学校(大倉高商)を開校。1946年には大倉経済専門学校(大倉経専)として現在の国分寺キャンパスに移転、その3年後に大学に昇格。

創立時の所在地は、大倉喜八郎の邸宅(現在はホテルオークラ、大倉集古館が建つ)の隣接地であった港区赤坂葵町(現・港区虎ノ門)であった。しかし空襲による校舎消失により、1946年1月20日に現在のキャンパスがある国分寺へ移転する。なおこの国分寺の土地は大倉財閥系列企業であった中央工業(新中央工業の前身)所有の土地であり、赤坂の校地との引き換えによって取得したものである。赤坂葵町の校地には現在、虎ノ門ツインビルディング(旧新日鉱ビルディング)が建設されており、ビル敷地内の緑地には創学の碑がある。

11万人近い卒業生がおり、経済界をはじめとして政治・会計・ジャーナリズム・芸能・スポーツなどのさまざまな分野に人材を輩出している。



写真:南町ひだまり公園
こちらの公園をお借りしてウォーキング後のストレッチをして解散となりました。解散後多くの方が殿ヶ谷戸庭園を訪れたようです。

いつもの有志5名で、この日は日高屋飲みでした。お値段リーズナブルで、味も悪くありません。〆に半ラーメンを食べても二千円でおつりが来ます。五月からウォーキングのスタートが午前中になり、これからは日高屋飲みも増えてゆきそうです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする