目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

目黒健康ウォーキングマップA(駒場コース) 約5.4km

2019-07-29 15:11:20 | ウォーキング
季節外れの上陸となった台風6号により天気予報がころころ変わる展開となり、実施の判断が難しいことは前日から感じていました。前日になってもメディアにより予想最高気温に27度から34度と幅があって、気象予報士も季節外れの台風が去った後の天気は予報しあぐねていたことが想像されます。当日朝雨の心配がないことは各メディアの統一見解でしたが、最高気温は33度という予報が目立っています。7時前の天気予報でNHKの南予報士が32度としたことを根拠に実施の運びとなりました。実際最高気温は32度程度でしたが、朝方まで雨が降って湿気が多かったので汗びっしょりになりました。


ニイニイゼミ

蝉が出てきた穴
今シーズン蝉の声を初めて聴いたのはつい先日でした。朝の天気予報で「セミが鳴き始めています」と聞き、出かけた時にミンミンゼミが鳴いていることに気づきました。「最初に鳴き始めるのはミンミンゼミか」とその時思いましたが、東京で一番初めに鳴き始めるのはニイニイゼミです。羽化したばかりなのか近くによっても飛び立たないこの蝉を見て思い出したところです。抜け殻を探したのですが、この日は見つかりませんでした。


苔むした桜の木
この木はソメイヨシノだったかヤエザクラだったか忘れましたが、駒場野公園の通路に個人の記念樹として植えられている桜の木は苔むしていたり他の植物に寄生されていたり。植えられている場所の環境によるものでしょうか。


駒場野公園のバラ

御用屋敷跡
 江戸時代、この周辺は約5万5千坪(約18万㎡)におよぶ御用屋敷の敷地です。この辺りに建っていたと推定される建物は、徳川将軍がこの近くの駒場野へ鷹狩に来た際には食事や休息場所となり、また平素は狩場の管理や準備にあたる鳥見役が詰めていました。
 御用屋敷を含むこの地域は元々、上目黒村の加藤家が拓いた土地でした。寛永3年(1626)に御用屋敷になる土地が加藤家より伊予宇和島藩伊達家へ献上され、同家の下屋敷となりました。そして、幕府によって江戸周辺の鷹狩場が整えられるに従い、享保3年(1718)に伊達家より下屋敷は建物を含めて幕府に差し出されて、御用屋敷になりました。御用屋敷には、将軍家のための「御薬園」も設けられ、薬用の植物が栽培されていました。
  平成22年12月
    目黒区教育委員会



第三機動隊

東邦大学大橋病院

冬はこの方向に富士山が見えます

馬神碑
玉川通りから大橋病院の前を通り高台に第三機動隊がある道、以前は歩道が狭く歩きにくいところでした。私が通っていた小学校の徒歩遠足で駒場公園へ行くときにとおるのですが、印象が悪かった記憶があります。上り坂だし、歩道が狭かったからでしょう。第三機動隊の外壁が改修され、小さな休憩場所が出来ました。
日本通運が使っていた広大な傾斜地を東邦大学が購入し新しい病院が建設されました。目黒川側からの入り口が出来て、通院される方には便利になったようですが一番恩恵を受けているのは東邦大学中高の生徒さんたちかな。池尻大橋駅までの通学路にショートカットが出来たようです。目黒台の台地を目黒川が削った南向きの台地の縁では縄文時代から集落があり、発掘調査が行われました。
馬神碑も南向き台地の縁にあり、明治時代ここに騎兵第一連隊が置かれたため戦争や訓練のために命を落とした馬たちを弔っています。中央競馬が行われない時期のためか、人参はなく供えられているのは蹄鉄のみですね。


東仲橋わきの工事現場
お世話になっている美容師の方が昔住んでいたアパートはなくなりました。


ギボウシ


キバナコスモス

ノコギリソウ
目黒川緑道はボランティアの方のおかげで花盛りです。ボランティアの方も暑いでしょうが、日差しを遮るものがないので歩いている我々も暑いです。


目黒富士登山口

目黒富士登山道
元富士の富士塚は岩倉具視邸となった時に破壊されたものと思っていましたが、破壊されたのは昭和になってからなのですね。目黒富士が設けられたのは昭和52年ということですでに玉川線は廃止になり、首都高三号線の建設も終わったあとです。目黒富士についてWikipediaから引用します。
目黒富士
江戸時代、富士山を対象とした民間信仰が広まった。人々は富士講なる集まりを作り、富士山に登頂したほか、身近な所に富士山を模した「富士塚」を築き、祠を作った。
目黒区内では現在の上目黒1-8付近に文化9年(1812年)に築かれたものがあり、高さは12メートルあった(目黒富士)。文政2年(1819年)には現在の中目黒2-1にも新しく富士塚が築かれたことから、上目黒にある方を「元富士」と呼び、中目黒に造られた方を「新富士」と呼んだ。いずれの富士塚も歌川広重の「名所江戸百景」に描かれた名所であった。
元富士は、1878年(明治11年)に同地が岩倉具視の別邸となった際に石祠や石碑類が上目黒氷川神社に移され、浅間神社も同神社内に遷座した。塚の場所はその後根津嘉一郎邸となり、1939年(昭和14年)の改築の際に破壊された。新富士も1959年(昭和34年)に取り壊された。
その後、1977年(昭和52年)に上目黒氷川神社内の一角が新たな「目黒富士」とされ、毎年7月には山開きの例祭が行われている。



上目黒氷川神社
御祭神
 素戔嗚尊 悪疫退散の神様
 天照大御神 太陽の神様
 菅原道真 学問の神様

御由緒
天正年間(1573~1592)に甲州武田信玄の家臣であった加藤家が上野原より産土の大神をこの地に迎えたと言われております。昔より、この氏子は疫病知らずといわれておりました。現在では、厄除けの神様として親しまれております。
正面の石段は小松作りで、文化十三年(1816年)に作られました。明治三十八年(1905年)には大山街道(現・玉川通り)拡張に際し、現在の形に改修されました。正面階段左には、自然の崖を利用した富士浅間神社登山道があります。昭和六十年頃までは、頂上から遠く富士山を見ることが出来ました。



浅間神社
御祭神
 木花咲耶姫 鎮火・安産の神様
江戸時代に富士山信仰が盛んになり、全国各地に富士塚を作り浅間神社がお祀りされました。富士塚を登り浅間神社をお参りすることで、実際に富士山に登って参拝したこととしました。
当浅間神社は、上目黒一丁目の目切坂にあった元富士を、明治11年氷川神社に末社として遷したものです。


賽銭箱にある丸旦は、元富士を気づいた富士講「丸旦組」のマークです。


稲荷神社
御祭神
 宇迦之御魂神 農耕・産業全般の神様
創建は不明。昔はこの山を稲荷山と呼ぶことがあったことから、創建は氷川神社よりも古いと言われております。
現在では産業の神様とし、3月の午の日に合わせ、のぼり旗を立て、氏子・崇敬者と共に初午祭を斎行しております。


氷川神社の御由緒で初めて知ったのですが、キンケロ劇場前の北野神社は氷川神社の末社とのことです。私が子供のころ、北野神社のおみこしは土曜日烏森神社に渡御していたこと、現在でも烏森神社と同じ日に祭礼が行われることから烏森神社の末社だと思っていました。




ボラーチョ
雨上がりで苔が一番きれいに見える季節かもしれません。淡島通りのボラーチョは一時期よく通った洋食屋さんです。


駒場バラ園

井の頭線
駒場東大前を出て渋谷駅へ向かう井の頭線はここからトンネルに入り、次の神泉駅もトンネルの中にあります。


一二郎池

駒場図書館

一号館

野球場
本郷の三四郎池をもじって教養学部は一二郎池です。誘導者がここを避けて池に行かなかったので蚊に刺されずに済みました。一号館は旧公衆衛生院や東大病院を設計した内田祥三の内田ゴシックです。


旧前田家洋館

駒場野公園門扉


ケルネル田圃
駒場農学校の実験田圃では、稲がすくすくと育っていました。公園の一角をお借りしてストレッチの後解散となりました。

有志八名は渋谷へ出て、ライオンのおいしいビールでのどを潤しました。この時期のウォーキングは暑いけれど、終わった後のビールは最高です。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北沢川松蔭神社コース 約4km

2019-07-22 10:05:33 | ウォーキング
昨年入会した会員さんから「このコースを歩いてもう一年になりますか?」と聞かれ、「そうですねぇ」などといい加減なことをこたえていたのですが、調べて見ると昨年は中止になりこのコースは歩いていません。彼は歩き始めが同じ別のコースをイメージしていたのかもしれませんね。このブログ内で「松陰神社」を検索すると2016年7月24日の記事がヒットするので、三年ぶりなのかもしれません。
昨年のこの時期はすでに梅雨が明けていたのか、緑ヶ丘コースと二週連続で中止になっていました。昨年は七月に二回、八月に二回「猛暑中止」と記録があるので、ずいぶん暑かったようです。
この日のウォーキング、気温は31度でしたが湿度が高くやはり暑かったです。


ヤブカンゾウ

メドーセージ

東邦大学大橋病院
東京燃料の前をお借りしてストレッチ後目黒川緑道を歩き始めます。集合場所こそ目黒区ですが、ここはすでに世田谷区になります。目黒川緑道は玉川通りから始まり、北沢川烏山川合流点までなので距離にして600m程度で500mが世田谷区、目黒区内は100mしかありません。


テッポウユリ

ヒオウギズイセン

ミゾハギ
お盆花も咲き始めて夏のウォーキングという感じがします。


ラカンマキ
会員さんが「ラカンマキ」と教えてくれました。木にはあまり興味がないのでその名前も初めて聞きました。「羅漢とは市井の人々」と教えてくれましたが、Wikipediaで調べると「最高の悟りを得た人」とあり、彼の話は高尚過ぎて私にはついてゆけないのかもしれません。


ハンゲショウ


カンナ

アジサイ
アジサイの季節は終わって半夏生ですね。分岐点から北沢川緑道へ入り、池尻北児童遊園のあたりで工事をしていました。緑道の再整備にしてはおかしいなぁと思ったら、環状6.5号(通称)の工事でした。小田急線東北沢駅付近はずいぶんセットバックしていますが、池尻からどのようなルートでつながってゆくのかまだ見えません。


フヨウ

ヒルガオ

ハトムギ

ヤブミョウガ

代田付近の北沢川緑道
淡島通り、茶沢通りを横断し代田あたりまで来て北側を見るとそこそこの上り坂になっており、北沢川が削った谷が思いのほか深いなぁという印象です。考えてみれば環状七号線宮前橋から北へ向かうと結構な上り坂になり、赤堤通りとは立体交差になっているのは切通しにして傾斜を緩くしたためでしょう。現在の北沢緑道は細くて小川のようだけど、自然の北沢川は広い川原を持っていたようです。何気なく使っている「しもきた」は上北沢とともに北沢川の上流と下流という意味で地名となったのでしょう。さらに下流で烏山川と合流し目黒川となり、上流域が上目黒村、下流域が下目黒村、その間に中目黒村と川が生活に根差していて地名となっていったことが想像できます。



若林公園
北沢川が環七を横断する宮前橋で緑道と別れて南下します。削り残された台地を越えてゆくと烏山川があり、若林公園の崖は烏山川が削った自然の傾斜を残しています。この場所も元は長州藩の下屋敷だったのでしょう。NHKの番組で「体を冷やすには手のひらを冷やすのがいい」と言っていたので、井戸水で手のを冷やしてリフレッシュしました。



桂太郎墓所
以前は若林公園と松陰神社のあいだのちょっと奥まったところにありましたが、わかりやすくなっていました。




松陰神社
若林公園でストレッチした後松陰神社がこの日のゴールとなります。神社にお参りし、解散後昼食のため三軒茶屋へ移動しました。

以前は大人数での食事もありましたが、ウォーキングの参加者が常に二十名を超えるようになるとみんなで入れる食事処もなかなか見つかりません。串カツ田中にあたってみると席が空いていたので十四名での食事となりました。二次会は日本酒を飲みながらうどん。「武蔵野うどんじんこ 三軒茶屋店」のうどんは評判通り美味しかったです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【下見】会津若松

2019-07-12 09:54:10 | ウォーキング
秋の旅行はふるさと探訪シリーズで福島県会津若松を予定しており、下見に行ってきました。福島出身の方は複数いらっしゃり、以前中通りの須賀川をすこやか歩こう会の旅行で訪れたことがありますが、会津は遠すぎて旅行代金が高くなりすぎるという懸念があり、なかなか踏み切れずにいました。普通に払うと上野からの交通費が片道9,070円かかり、宿代を含めると三万円をオーバーします。今回はツアー料金が25,700円、「被災地応援ツアー」で東京都からの補助が三千円あるので22,700円です。65歳以上はさらに500円の割引があります。


喜多方ラーメン
上野9時02分の新幹線に乗り、郡山乗換で磐越西線会津若松駅に到着したのは正午ごろ。コインロッカーに荷物を預けて駅前のまるたか食堂で昼食にしました。写真はねぎ増し、玉子はサービスです。ラーメン美味しかったですが、本番の秋の旅行でここを訪れるかどうか、諸事情を検討しなければなりません。


あいづっこ宣言
大河ドラマ「八重の桜」は見ていなかったのできちんと理解できていないのかもしれません。この看板が町のいたるところにあり、「説教臭い町だなぁ」というのが私の印象でした。子供にこれを強いるということは立派な大人が多いのでしょう。武家の街ですが、金沢とはずいぶん違う印象を受けます。


沙羅双樹

鶴ヶ城のお濠

鶴ヶ城の案内板

お菓子屋さん



鶴ヶ城のお濠
まちなか周遊バスハイカラさん・あかべぇが30分に一本の頻度で走っているので、観光の足は悪くありません。ハイカラさんは反時計まわり、あかべぇは時計回りでそれぞれ一周一時間くらいです。ハイカラさんに乗り鶴ヶ城を目指しました。鶴ヶ城入口でバスを降りて鶴ヶ城会館まで三分くらい。
春の旅行では荷物を預ける場所がなく宿泊用の荷物を持ってのウォーキングだったのでかなりばてました。秋の旅行は荷物を預けられること、歩く距離を調整するための交通機関があることを重要視しました。今回、郡山からの交通手段を磐越西線にするのか、高速バスを利用するのかが下見のテーマの一つでもあります。鶴ヶ城会館にコインロッカーがあり、高速バスは鶴ヶ城まで運んでくれるので秋の旅行は郡山からバスを利用します。
案内図では「北出丸」が下にかかれており、南北が逆転しています。参考にした「あいばせ」の市街図は東が上にあり慣れるまでかなり混乱しました。



曲輪



曲輪



鶴ヶ城

歴代城主

鶴ヶ城案内図
会津若松一番の見所でしょう。天守閣に登りたい人やゆっくり見たい人など様々だと思うので、この場所の観光は昼ご飯を絡めて自由見学ということになるでしょう。今回の下見でも天守閣へは行きませんでした。お城の醍醐味は見上げてこそだと思うんですよ。城の案内図は北が上になっていました。


お菓子屋さん


宮泉銘醸
こちらの蔵では清酒宮泉を試飲できます。県内ブランドが宮泉で県外には寫楽の名前で販売しており、私の好きなお酒の一つです。焼酎も試飲できました。


会津若松市役所本庁舎

小澤ロウソク店

野口英世青春通り

旧黒河内胃腸病医院

山新商店

福西本店

旧會陽医院跡

会津天宝醸造
宮泉銘醸さんで試飲した後本隊はまちなか周遊バスあかべぇで、私は写真を撮りながら歩いて七日町駅へ向かいました。野口英世は猪苗代の出身で青春時代をこちらで過ごしたようです。古い建造物を見ながら歩くのがこの町の楽しみ方だと思いました。


下駄屋

小野屋造花店

鶴乃江酒造

おんば様祭り

東軍墓地


渋川問屋

バンダイスポーツ
七日町通りには見どころがたくさんあります。新潟と会津を結ぶ会津沼田街道であるため、古くから商店が並んでいたようです。七日町中央バス停からあかべぇに乗り会津若松駅へ。ロッカーから荷物を出して再びあかべぇに乗り、会津武家屋敷まで宿の車で迎えに来てもらいました。


宿から湯川
今回の宿は秋の旅行でも予定している東山温泉の原瀧です。公共の宿ではないので食事のアルコール代が高かったりするのではないかと思いチェックポイントでしたが、居酒屋レベルでした。お酒の種類もあり食事もおいしかったので秋の旅行では皆さんに喜ばれることでしょう。


東山温泉案内図

東山温泉駅

湯川

竹下夢二

宵待ち草の歌碑

射的場

向瀧
東山温泉駅まで宿の車で送ってもらってハイカラさんに乗ります。


白虎隊

霊牛神堂

厳島神社


さざえ堂
飯盛山下バス停前のお土産屋さんで荷物を預かってくれたのですが、何も買わない食事もしないではちょっと心苦しい感じでした。さざえ堂は国指定重要文化財とのことですが、一度見ればいいかな?



犬が店長のまちの駅
ハイカラさんで会津若松駅へ行きコインロッカーに荷物を預け、再びハイカラさんで七日町中央へやってきました。


野口英世洗礼の地

末廣酒造嘉永蔵
江戸時代嘉永年間に建てられた蔵です。蔵以外は焼失して再建したものだそうですが、30分ごとにツアーで酒蔵の解説をしてくれます。ツアーに参加しなくても試飲をしたり、お土産を買ったり。


清酒末廣

この蔵で原料となる酒米

お酒造りのお勉強

昔の釜、麹室

酒ふね
お酒造りのお勉強をしてから昔使われていた道具の見学です。知っているつもりでも知らないことが多く、勉強になりました。受賞する日本酒はほぼ山田錦を使用しているそうで、兵庫産の山田錦を使用しているとは意外でした。勝手な想像で会津の水で育った米と、会津の水で造る日本酒がおいしいのだと思っていました。調べて見ると山田錦の北限は新潟県上越で会津で山田錦は育たないようです。また、山田錦は八割がた兵庫産とのこと。



古酒貯蔵蔵
日本酒には賞味期限というものはないそうで、古酒も好まれるとのこと。値段はそれほど高くなくて、500円×年数+元のお酒の値段とのこと。光に当たると酸味が出るので暗い部屋に貯蔵してあります。見学を終えると電気も消され真っ暗になります。


伝承山廃
「山廃」という言葉は知っていましたが、意味を考えることはありませんでした。山卸という大変な行程を廃止した酒造りということで画期的な発明のようです。山卸をWikipediaから引用します。
ひとくちに言えば、山卸(やまおろし)とは、蒸した米、麹、水を混ぜ粥状になるまですりつぶす工程である。
酒造りが近代化される明治時代以前は、精米は水車で行なわれ、半切り桶の中に蒸米と水をいれ、櫂(かい)で丹念にすりつぶすという大変な重労働であった。明治以降、産業革命の波がしだいに日本の醸造業にもおよび、精米はある程度まで機械で行なえるようになると、これにともなって麹の酵素が白米に吸収されるので、蒸米をつぶす山卸は必ずしも要さなくなった。蔵人のあいだでは山卸の心得を「櫂でつぶすな麹で溶かせ」などという。



コンサートホール


社長の居室

酒器も販売していました

精工舎の時計
階段を上がると社長の居室があります。お酒だけではなく酒器も製造販売してたそうです。時計のメーカーはSEIKOではなくSEIKOSHAでした。


扇の欄間

室井東志生作品




欄間に描かれた扇と末廣の説明を受けその時にはなるほどと思ったのですが忘れてしまいました。


仕込み水
近所の人が水をもらいに来ていました。末廣酒造嘉永蔵の見学はお勧めです。説明を受けてからの試飲も格別です。


蕎麦

七日町パティオ

まちなか周遊バスバス停

会津若松駅

磐越西線と只見線
酒蔵見学の後そばを食べ、会津若松駅へ戻り、予定より一本早い磐越西線に乗り郡山へ向かいました。

すこやか歩こう会の皆さんは、秋の旅行を楽しみにしていてください。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東部地区コース 約5.3km

2019-07-07 15:10:51 | ウォーキング
7月8月は真夏モードで予想最高気温が33度を超える場合はウォーキングが中止になります。真夏モード初日はそんな懸念は全くなく涼しいくらいの日でしたが、天気予報では雨となっているものの実際は降っていないという点で判断に迷いました。近所を歩くので雨になったらそこで中止にすればよいと思い、ウォーキング実施のメールを配信しました。


祐天寺駅
けっこう長くかかっていた駅改修工事が終了したようで、中央改札の通路も東西に通り抜けができるようになりました。集合場所も南改札前から中央改札前に変更です。


貴婦人の動輪
Wikipediaから引用します。
動輪のみ保存
C57 38:JR東日本宇都宮線小金井駅の西口ロータリー内に動輪がモニュメントとして保存されている。
C57 100:長崎県長与町(長与駅東口前広場)。長崎県長崎市中央公園で被爆救援列車牽引機の代替として保存されていたが、移設時に老朽化が激しいため現地で解体。動輪等の一部の部品が保存された。
C57 117:祐天寺駅付近にあるカレー店「ナイアガラ」にて保存。JR九州日豊本線西都城駅ロータリーにナンバープレートと動輪がモニュメントとして保存。
C57 130:JR北海道旭川支社敷地内および神居古潭にて保存。
C57 155:新大阪駅正面口近くに第1動輪保存。
C57 181:JR東日本新津運輸区の敷地内に第2動輪がモニュメントとして残されている。



祐天寺表門前

火消の集まり?

御本堂

境内
祐天寺さんの鐘楼前をお借りしてストレッチをします。法被姿の方がたくさんいらっしゃいましたが、寄りあいかな?まもなく盆踊りということでやぐらが組まれています。


フヨウ

ノウゼンカズラ

谷戸前川の谷
暗渠になっている谷戸前川を見ると小川ともいうべき細い川だったようですが、その谷は思ったより幅広です。


油面に油麺

お風呂屋さん

油面小学校

子育て地蔵
油面はもともと油免で、増上寺などに納める菜種油を作っていて年貢を免除されていました。油そば屋さんのコピーはうまいですね。


目黒消防署

元競馬南泉公園

競馬場のバックストレッチ
目黒通りを横断し、目黒消防署があるのは下目黒六丁目。目黒通りは中目黒村と下目黒村の境だったようです。かつては二子の渡しへ向かう二子道でした。


羅漢寺川緑道

林試の森公園つばき門

七夕飾り

アザミ

せせらぎ橋から

カワヅザクラ
林試の森公園の中を歩きます。先頭がなんか変な方向へ向かうので「クアオルトウォーキングを実践しようとしているのかなぁ」と思ったら、単なる方向音痴だったようです。クアオルトウォーキングでは土の上を歩くことによりアスファルトより不安定なのでより筋肉が鍛えられるとして推奨しています。これからアザミは方々で見られるでしょうが、この時期から咲き始めているのですね。



仁王門前の狛犬
「ん」形の狛犬が気になりました。こんな歯をむき出しにした「ん」形があるかな?真一文字に唇を結んでいるイメージだったので、今度様々な場所の狛犬を見てきます。


独鈷の滝

七夕祭りのお知らせ

御縁日のお知らせ
独鈷の滝では島津斉彬の病気快癒を願い西郷隆盛が滝に打たれました。目黒台の台地を羅漢寺川が削り南向きの崖となっており、寺社を建立するにはもってこいの場所。崖から清水も流れ出すし。ここに来ると西村知美さんを思い出すのですが、その理由を彼女の公式ブログから引用します。
かなり久しぶりに、ここに来ました!!
10何年振り? 20年振り?

TV「からくりテレビ」の中で、さんまさんをはじめ、共演者の皆さんと不動前駅で待ち合わせしたのに、誰も来なかった想い出の場所です(笑)
皆さん、ノリで「行く行く」TOKIOの松岡くんも「僕も行きま~す」と言っていたのに、誰もその場のノリだと思って忘れていたみたいで、本当に誰も来なかった(笑)

それなのに、番組スタッフの方はカメラを抱えて来てくださったんです



羅漢寺川緑道のノブドウ

五百羅漢寺
この日は龍泉寺御本堂にはお参りせずトイレ休憩だけして、羅漢寺川緑道を目黒川方面へ向かいます。


太鼓橋から目黒川

ふれあい橋下のイラスト
目黒区で一番標高が低いのは太鼓橋あたりで4メートルと聞いた記憶があり、皆さんに説明していたのですが調べて見ました。標高4メートルはあっていましたが場所は下目黒二丁目の品川区との境の目黒川沿いでした。ついでに近所の標高を調べると烏森小学校が26.2m、東山中学校が28.3mでした。


目黒川舟入場親水広場

マルバルコウ
目黒川を上流へ向かって遡り舟入場でストレッチをします。梅雨のこの時期突然の大雨に備え、親水広場は閉鎖されていました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東横フラワー緑道・中華街コース 約6.6Km

2019-07-04 11:46:04 | ウォーキング
中華街での会食を予定しているこのコースですが、昨年は暑さのためウォーキングは自由参加で歩かない人は中華街へ直接向かってねということになっていました。今年は雨がいつやむのかという判断に迫られ、横浜は東京より早く雨が止むという情報をもとに実施ということにしましたが、直接中華街へ向かわれた方が少なからずいらっしゃいました。すこやか歩こう会では「歩きたい人が歩きたいだけ歩く」をコンセプトにしており、途中参加や早退もあり。各自体調に合わせて活動に参加します。


東白楽駅
中目黒GTに集合し、東横線で東白楽へ。ここからウォーキングをスタートします。


東横フラワー緑道

変わった木の枝



アジサイ

ちょこっと紅葉

スズカケ
東横フラワー緑道はかつての東横線の線路跡に整備された緑道です。みなとみらい線と相互乗り入れのため、横浜駅が地上から地下へ移り、東白楽の先で線路は地下に潜っています。このあたりはまだ地上の電車を見ることができるのですが、ストレッチに場所をお借りする二ツ谷公園の脇から東横線は地下へもぐり、横浜駅までのかつての線路跡は絶好のウォーキングコースとなっています。


アバカンサス
昨年より数日早く歩いているのですが、この花の開花具合は昨年より遅い感じがします。この時期たくさんのアバカンサスが緑道を彩ります。


東横フラワー緑道

ススキ

ミッキーマウスの木

モジズリ
この緑道は線路跡ということでレールを埋め込みオブジェにしています。梅雨明け前ですがすでにススキが準備を始めています。


東横フラワー緑道反町駅付近

高島山トンネル

台町入口の変な外装のビル
地図で見て知ったのですがトンネルの上の本覚寺には「青木城址」という、豊臣秀吉の小田原攻めで廃城になった城址があるようです。環状一号を横断する台町入口交差点で東横フラワー緑道は中断です。計画では桜木町まで伸びるようですが、横浜駅付近の工事が進められているため全線開通はいつになるやら。


横浜駅

北通路

中央通路ポルタへの入り口

皀(さいかち)の木

横浜駅
横浜駅中央通路は多くの人が利用しますが、北通路は比較的すいており乗換で利用するのに便利です。この日はウォーキングで利用させてもらいました。線路下をぬけ東口に出て駅前でトイレ休憩の予定だったのですが、汗をかいてトイレの必要はないとのこと。休憩せずに出発しましたが、水を飲むべきでしたね。この日は風が強く暑さを感じないという点ではよかったのですが、脱水症に注意しなくてはなりません。東口前の東海道を歩道橋で越えます。


そごう前の鐘の塔

大黒ふ頭の風力発電

スカイライン2000GT-R 1969JAFグランプリ優勝車仕様

ハコスカ、ケンメリ、Z

日産グローバル本社通路
みなとみらいの入り口は日産グローバル本社です。いい車をたくさん出しているのに、経営でいろいろもめているのは残念でなりません。いい意味でも悪い実でもトヨタをライバルとしていたからかな。ルノーとの協力もよかったんだか悪かったんだか。2000GT-Rの奥の四台は右からハコスカ、ケンメリ、フェアレディ240Z、フェアレディ200Z-T Tバールーフだと思います。バイオニック・ジェミーが240Zから降りてくるシーンは憧れでした。


みなとみらい地区


グランモール

スズカケの実

横浜美術館
このあたり吹き飛ばされそうになるくらい風が強かった。横浜美術館では現在原三渓コレクションを展示しています。先ほどのスズカケとはちょっと異なりますが、これが頭の上に落ちてきたらちょっと痛そう。


旧横浜船渠第2ドック

シーカヤック

日本丸

スカイダック
このルートは見どころが多いと改めて思います。強風の中シーカヤックをしていたので、安定した乗り物なのだと思いました。水陸両用車スカイダックが飛び込むところを運良く写真に収めました。


汽車道の鉄橋

赤レンガ倉庫

象の鼻パーク

横浜税関
20世紀初頭、鉄橋はまだ輸入品だったのですね。赤レンガ倉庫は横浜税関の保税倉庫です。クイーンの塔がある横浜税関は第二次世界大戦後の接収されGHQがおかれ、その後連合軍総司令部は日比谷の第一生命ビルへ移ったとのこと。それは知らなかった。よく見なかったけど、象の鼻パークにはマンモスが展示されている?


山下公園

西洋理髪発祥の地

横浜中華街
山下公園についてWikipediaから引用します。
山下公園は関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが瓦礫などを使って海を埋め立て造成して、1930年(昭和5年)3月15日に開園した。面積は 74,121m2。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としている。
開園後40年に渡り、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている。


いつも通らないところを通ったのでザンギリ頭の像を見つけました。「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」というやつですね。

山下公園の木陰で時間調整をして、菜香新館で待っていた7名が合流して飲茶のランチを楽しみました。めぐろウォーキング塾からの入会者二名も参加し、楽しんでいただけたようです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする