目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

ウォーキング塾地区活動(北部) 南東部公園コース 約7.0km

2024-06-05 14:57:03 | 東京都目黒区
この日は地元から目黒区南東部を目指します。かつての目黒六か村で言えば、上目黒村から中目黒村、下目黒村を通り碑文谷村へ。


アトラスタワーと目黒川
中目黒GTに集合して目黒川船入場へ移動してストレッチ。暑くなりそうなので熱中症予防の水分補給を促しスタートしました。



目黒区民センター
中里橋を渡り目黒川東岸を歩くとすぐに一つ目の公園、中目黒公園。中里橋から新茶屋坂通りを少し歩いて目黒清掃工場緩衝緑地をぬけ、区民センターで一回目のトイレ休憩です。


目黒不動
大鳥神社前で山手通りと目黒通りを横断し目黒通りを少し歩き寄生虫館の手前で左折して南へ向かい大鳥中学校の前で区立中学校の変遷を解説しました。
新制中学は戦後の仕組みなので昭和22年5月3日に目黒一中から目黒十一中が開校します。一中の生徒数増加に伴い開設された分校が東山中学となりしばらく十二校体制が続きます。やがて生徒数の減少により二中、五中、六中が統合され中央中学へ。その後三中と四中が統合され大鳥中学が開校しました。今後七中と九中が統合して目黒南中学校、八中と十一中が統合して目黒西中学校が誕生します。そのころには古い順に一中、十中、東山中、中央中学、大鳥中、南中、西中の公立中学校七校体制。半減とは言いませんが、生徒数は半減どころかかなり少なくなっているようです。


林試の森公園

円融寺西門

釈迦堂


黒仁王
目黒不動を出るとすぐに都立林試の森公園があります。目黒区と品川区にまたがるためか都立公園となっています。この場所に林業試験場が設けられたのが明治33年、昭和53年に試験場が筑波へ移転して跡地が公園として整備されました。
東門から入園して林試の森公園内を歩き北門を出ると羅漢寺川の暗渠、六畝川(ろくせがわ)プロムナードから通称補助26号(都道420号)に出ます。碑文谷ベーカリーの横を入り碑さくら通りを西へ向かうと清水池公園。七中の先左折して南へ向かい円融寺。


碑文谷八幡宮
円融寺を参道から出て立会川緑道。目黒区を流れ海に流れ込む川が三本あり、目黒川、呑川とこの立会川です。立会川、目黒区内はすべて暗渠かもしれません。緑道の行き着く先が碑文谷八幡。碑文谷村の名の由来となった呑川から引き揚げられた碑文石は拝殿の横に展示されています。


雀のお宿緑地公園
碑文谷八幡に隣接する雀のお宿公園で休憩、古民家の縁側に座ります。再スタートして碑さくら通りを東へ向かいサレジオ教会。サレジオ通りを北へ向かい目黒通りを横断してさらに北へ行くと碑文谷公園。このコースのラストを飾る公園です。隣接する碑文谷体育館がゴール、ストレッチをして解散しました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
参加を希望される方はご一報ください。
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ウォーキング塾地区活動(北部) 北部公園コース 約6.0km

2024-05-28 14:09:06 | 東京都目黒区
二回目の地区ウォーク、リピーター、他地区からの参加者など多くの塾生が参加してくれました。


アトラスタワーと目黒川
先週同様中目黒GTに集合して目黒川船入場へ移動。ストレッチをして田楽橋を渡り川沿いを上流へ向かいます。


キンケロシアター

菅刈公園
このブログを訪れる人で「キンケロ」がわからない人はいないと思いますが、愛川欽也さん(キンキン)が奥様のうつみ宮土理さん(ケロンパ)と建てた劇場です。
北部公園コース一つ目の公園は菅刈公園です。


西郷山公園のタチアオイ

ユリ
先週は菅刈公園から東へ向かい菅刈住区、東山住区、烏森住区をめぐりました。今回は菅刈公園から北へ向かい、北部4住区の残りの一つ駒場住区を中心に歩きます。二つ目の公園、西郷山公園は菅刈公園とともに西郷従道の屋敷跡になります。


養命酒ビル

松見坂交差点
旧山手通りを西へ向かい神泉交差点で玉川通りを横断します。その先で淡島通りに入り坂を下ると松見坂です。松見坂の由来は山賊がここにあった松の木の上から旅人が来るのを見張っていたとのこと。山賊は和田合戦で敗れた和田の残党「大和田太郎道玄」。道玄坂の由来となり、渋谷区に大和田の字名を残し、さらに松見坂と目黒渋谷界隈では和田義盛より有名人かな?もっとも大和田道玄という名を知っている人は多くはないでしょう。鎌倉殿の13人をやっていた2022年のほうが説明して盛り上がったかもしれませんが、あのドラマは見ていなかったからなぁ!


東京大学教養学部炊事門

正門付近のバラ園

一号館

野球練習場
松見坂から駒場一丁目の路地に入り込み、現在営業している中では日本で一番古い駒場バラ園の前を通ります。駒場バラ園が規模を縮小するとき多くのバラが駒場のあちこちに移植され、駒場バラの会の方々が手入れをされており、正門付近のバラ園もその一つです。我々は炊事門から入りバラ園を見て再び正門から入校しました。東京大学駒場キャンパスは関係者以外立ち入り禁止となっていますが、通過は許されています。何しろ敷地が広大なので通過できなかった期間近所の人は大変困ったでしょう。キャンパスは公園ではありませんが、この北部公園コースのハイライトですね。


フレッシュネスバーガー一号店
キャンパスを野球練習場近くの北門から出た通りを「行幸通り」と呼ぶのは一般的ではありませんが、一部の方がそのように呼ぶのは宇宙研などがある東京大学 駒場Ⅱキャンパスを天皇陛下が行幸されたからでしょう。確かにこの先三角橋まで通行量のわりに道幅が広い。


駒場公園
三つ目の公園は駒場公園です。江戸時代は徳川家のお鷹場で先週お墓を訪ねた川井権兵衛さんが綱差しとして管理していました。明治時代になり駒場農学校、昭和になり前田侯爵邸となります。第二次世界大戦中は軍に接収され中島飛行機本社に。終戦後は連合軍に接収され、返還後1967年に都立公園となり1975年に目黒区に移管されました。洋館前にあるバラ園も駒場バラの会の方々が手入れをされています。


駒場野公園
四つ目の公園は駒場野公園。アメリカ式の農業を研究していた札幌農学校に対し、駒場農学校ではおもにドイツ式の農業の研究が行われていました。駒場農学校はその後東京大学、東京農工大学、東京教育大学に分かれ駒場野公園は東京教育大学があり、ケルネル先生が実習用に使用していた田んぼが現在でも残っておりケルネル田圃の名で親しまれています。東京教育大学は筑波大学となり筑波へ移転しましたが、その流れをくむ筑波大学附属駒場中学校・高等学校の生徒さんが毎年田植えをしてもち米を収穫しています。
こちらでストレッチをしてこの日は解散となりました。

この後は定番、銀座ライオン渋谷マークシティ店へ。九名が参加する大反省会となり盛り上がり、おいしいビールを堪能しました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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ウォーキング塾地区活動(北部) 菅刈、東山、上目黒コース 約5.4km

2024-05-25 14:29:19 | 東京都目黒区
5月17日にめぐろウォーキング塾の開会式と基調講演があり、その翌日の地区ウォークとなりました。ウォーキング塾の前身「めぐろ健康ウォーク」がすこやか歩こう会を創設したイベントで、ウォーキング塾を経験して多くの会員が入会しています。


ウォーキング塾の様子
ウォーキング塾は4回の講演・実習、1回の講評、4回の地区ウォーク、1回の地区合同ウォークで構成され塾全体を通してウォーキングの楽しさを伝えます。


目黒川とアトラスタワー
すこやか歩こう会の中目黒と言えば目黒川船入場に集合しますがウォーキング塾の期間中は塾生がわかりやすいように中目黒GTに集合し、目黒川船入場に移動してストレッチを行います。


菅刈公園和風庭園

ミヤコグサ

シラン

カワラナデシコ

スモークツリー
船入場をスタートし田楽橋を渡り川に沿って上流へ向かいます。歩道橋で駒沢通りを横断し東横線の高架下を抜け宿山橋が一つのポイントです。ここを通るのは鎌倉街道で東から来た人には宿場宿山の入り口となる橋です。宿山は旧字でかつて上目黒村で一番の集落だったと個人的に思っています。鎌倉街道を東へ向かうと目切坂、金王八幡を経由して次の宿場「原宿」に至ります。
菅刈はかつての荘園の名称、目黒北部から世田谷豪徳寺に至る広い地域でした。廃れていたその名を復活させたのが目黒区で二番目に古く、上目黒村に最初に開校した菅刈小学校となります。菅刈公園は江戸時代は豊後岡藩の下屋敷、明治時代になり西郷従道が邸宅を構えました。その後国鉄の官舎になり敷地内には国鉄スワローズの合宿所がありました。



ミキモト装身具本館
近所ではバラで有名、最近はその近くのスターバックスが世界的に有名で多くの観光客が訪れています。


目黒橋から目黒川
山手通りを少し歩き目黒橋を渡り再び目黒川沿い上流へ向かいます。目黒川を離れ東山貝塚公園へ。かつてこの辺りまで入り江だったことが貝塚の発見により証明されました。その後世田谷区池尻との区界を北へ向かい、帝国陸軍の馬糧庫で現在はクロネコさんが使っている倉庫をみて、国土地理院跡地の東山公園。さらに北へ向かいます。


寿福寺
創建は不明となっていますが、境内と墓地を鎌倉街道が分けているので鎌倉時代にはすでにあって字宿山の中心地であったと考えています。菅刈小学校は開校時この辺りにあったとのこと。


川井権兵衛墓所
「権兵衛が種まきぁ、カラスがほじくる」と歌われた権兵衛さんのお墓です。川井権兵衛は幕府の駒場のお鷹場を管理する「綱差」と呼ばれる役人が代々名乗っていた名前です。現在でもご子孫が駒場に住んでおり、その方お墓がある寿福寺は上目黒村の重要なお寺であったことが想像されます。


アジサイ
寿福寺墓地裏の細い坂道を下り蛇崩川緑道へ。蛇崩川は中目黒で目黒川に合流する河川で、中目黒方面へ向かいます。目黒銀座児童遊園で場所を借りてストレッチをして解散となりました。


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呑川コース 約7.4km

2024-03-25 14:34:24 | 東京都目黒区
五月雨式にソメイヨシノの開花宣言が先延ばしされるような不安定な気温が続いています。今回のコースも満開のソメイヨシノを予想していたのですが。。。


呑川本流緑道で行われているイベント
いつもストレッチでお借りしているこの場所、今日はイベントが行われるようで、ストレッチの場所を探しに出発しました。


東光寺

七福神

雷神

風神

五百羅漢?

門前の地蔵菩薩
ストレッチ場所として八雲児童遊園を目指したのですが主役のお子様たちがすでに遊んでおり、東光寺境内をお借りすることにしました。東光寺は世田谷城主だった吉良氏が開基のお寺で目黒六村の中で衾村が世田谷と縁が深いことを示しています。様々な石像があるのは石屋さんが熱心なせい?


呑川本流緑道のナノハナ
緑道に戻ってきました。菜の花がきれいで、アブラナの香りがしています。


ボケ


ソメイヨシノ
開花宣言前にぴったりな蕾。幹に早めに咲きはじめた花はちょっと汚くなっていました。この先にも花をつけたソメイヨシノが数本ありました。


カンヒザクラ

カワヅザクラ

カイドウの蕾
早咲きのサクラは終わりが近づいています。


ハナニラ

ホトケノザ

ヒメリュウキンカ

ユキヤナギ

サンシュ
ソメイヨシノが咲く前の呑川本流緑道は人が少なくて穏やかな雰囲気です。桜以外の花は結構咲いていて春を感じさせます。


深沢不動交差点
休み休み駒沢通りまでたどり着いて、この日のウォーキングを終了にしました。本隊は三島公園で休憩した後さらに呑川をさかのぼり西山橋で川と別れて東へ。駒沢公園通りから駒沢公園に入り園内を歩いてぶた公園でトイレ休憩。駒沢通りを横断して十中前を通り呑川柿の木坂支流緑道まで行くのが本来のコースなのですが、雨が降りそうとのリーダーの判断で柿の木坂通りを南下。めぐろ区民キャンパスでストレッチをして解散しました。

我々は深沢不動バス停から恵比寿行きのバスに乗り駒沢通りと山手通りの交差点「正覚寺前」で下車。近所のスポーツバーを久しぶりに訪れ大画面で大相撲を楽しみました。本隊で歩いていた企画役員も合流し、ビールやワインを楽しみました。


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文化財めぐり中目黒コース 約3.0km

2024-03-17 14:11:30 | 東京都目黒区
目黒区のサイトにある文化財めぐりの案内をアレンジして作ったコースです。身近にある文化財を知り地域に興味を持つことが、楽しいウォーキングにつながってゆきます。


祐天寺


かさね塚
集合は祐天寺、境内をお借りしてストレッチしました。仁王門(区指定文化財)、海難供養碑(区指定文化財)、祐天上人墓(都指定文化財)などを見学しました。

祐天寺を出て油面小学校方面へ向かい谷を下ると谷戸川暗渠。馬喰坂の出口でUターンして中町通りを戻ると自然園下バス停があるのですが見逃しました。自然園は大正時代の行楽施設でいちご狩りやヤギのミルクが評判だったとのこと。さらに西へ向かうと菅沼権之助墓がある墓地が見えます。目黒駅の権之助坂にその名が残っています。幕府に道路建設をとがめられ死罪になったという話もありますが、罪人の墓があるのもおかしいし、坂に名前が残っていることも矛盾があります。実際にはよくわからないようです。


長泉院附属現代彫刻美術館

長泉院
坂を上ると目黒不動と宿山を結ぶ古い尾根道。東へ向かい馬喰坂手前が長泉院です。


ハクモクレン
少し戻ってかつてガスタンクがあった場所にあるアーバンハイツ中目黒脇の階段を降りると松風園ハイツがあります。明治期のこの辺りには驪山荘や松風園と呼ばれた大邸宅があったとのこと。私の勝手な想像ですが、北向きの傾斜地であるこのあたりは屋根の材料を取るための入会地で維新後明治政府が取り上げて売ってしまったのではないかと考えています。現在区役所がある場所も明治期は牧場でした。関東大震災以降被害の少なかった山の手に移り住む人が増えて、住宅地となりました。


道標
目黒区めぐろ歴史資料館には多くの道標が集められ見ていて飽きません。九品仏、黒仁王(円融寺)など、お寺の名前が書いてある道標が多いです。


中目黒八幡神社
中目黒村の総鎮守。


天祖神社
中目黒のお伊勢様。近くの目黒銀座商店街を「いせわき」と呼んでいたのはこの神社が由来になります。


目黒区役所
建築家村野藤吾氏の名建築と評価されています。千代田生命の本社でしたが、中町の目黒区役所が手狭になった目黒区が清算会社から買い取ったものです。千代田生命になる前はアメリカンスクールがあり、その前は牧場でした。江戸時代牛乳を消費する文化は一部貴族のものでしたが、明治期の洋食ブームで一気に牛乳の需要が高まり冷蔵技術もなかったので、消費地に近い場所に多くの牧場が誕生しました。

中目黒しぜんとなかよし公園でストレッチをして解散となりました。


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