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目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

目黒健康ウォーキングマップN(緑ヶ丘コース) 約4km

2025-07-14 10:51:57 | 東京都目黒区
昨年暑さのために七月に一回、八月に一回ずつしか歩けませんでしたが、今年七月は二回連続で実施することができラッキーです。木曜日に前線が南下しオホーツク海高気圧の影響で涼しくなった名残でこの日スタート時間10時の暑さ指数は27.3で「警戒」12時の暑さ指数は29.1で「厳重警戒」でした。日向は暑かったけどこの時期とすれば快適といっていいでしょう。
都立大学駅近くの呑川緑道でストレッチをしてスタート。線路沿い自由が丘へ向け坂を上ってゆきます。





立源寺
このお寺のハスの開花を目指しこの時期にこのコースを実施して、今年もきれいに咲いています。
本隊は九品仏川緑道を歩き緑が丘駅まで行って、呑川緑道さかのぼり、鉄飛坂庚申塔群や桜森稲荷に寄って都立大学駅に帰ってきますが、私は元会長と二人でショートカットし自由が丘から帰ってきました。
この夏は運動不足にならないように暑さほどほどで活動できればいいなぁと願っています。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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東部地区コース 約5.3km

2025-07-08 12:06:43 | 東京都目黒区
関東地方は梅雨も明けていないのにすでに猛暑に襲われています。この日の暑さ指数予報は「厳重警戒」レベルで、実測でも「厳重警戒」レベルで済んだようです。ウォーキングも夏モードで距離短めの設定。


祐天寺境内
祐天寺一丁目ふれあい公園でストレッチをしてスタートし祐天寺へ。境内駐車場にはやぐらが組まれ、祐天寺み魂まつり子ども盆踊り大会の準備が進められています。
祐天寺についてお寺のサイトから引用します。
江戸の高僧・祐天上人
祐天上人は江戸時代中期に活躍した浄土宗の高僧です。寛永14年(1637)に四倉(福島県いわき市)でお生まれになり、芝増上寺で修行されました。50歳の時に増上寺を離れて牛島(墨田区)に草庵を結び、念仏三昧の日々を送りながら「南無阿弥陀仏」の名号を書写して多くの人々に授けました。やがて、その名号を手にした人々がさまざまな利益を得ます。名号の噂は5代将軍綱吉公の生母桂昌院のお耳にも達し、将軍家や皇室、諸大名家からも帰依を受けるようになりました。正徳元年(1711)には6代将軍家宣公から増上寺36世住職を命じられました。一度引退した身でこのような出世を遂げたのは前代未聞のことでした。正徳4年(1714)に増上寺を退隠したのちも、ひたすら念仏と名号書写の生活を送り、享保3年(1718)7月15日に82歳で遷化されました。

目黒の念仏道場・祐天寺
「念仏の道場を建てて欲しい」との祐天上人の遺命を受け、弟子の祐海上人が享保3年に建立しました。当時は新しい寺院の建立が禁止されていましたが、8代将軍吉宗公のお取り計らいにより、善久院という小庵に祐天寺の名を付す形で建立することが特別に許可されました。将軍家から寄進された諸堂宇によって伽藍が整えられ、百萬遍講などの念仏講も結成されて、多くの参詣人で賑わう念仏道場として発展してきました。しかし、明治27年(1894)の火災により本堂などを焼失し、祐天寺は起立以来の危機を迎えます。明治31年(1898)に境内にあった将軍家代々の御霊殿を本堂として曳き移し、そこへ内陣・外陣を増築して復興しました。その後も増改築を繰り返し、平成19年(2007)から同29年にかけて免震工事が施され、現在に至ります。



祐天上人墓
墓地にある東京都指定文化財旧跡に指定されている祐天上人墓も見学。


ノウゼンカズラ
今の時期鮮やかなこの花が目に付くとともに暑い季節がやってきたという感じがしてきます。祐天寺を出て南へ向かい、谷戸川の谷を越え油面地蔵通りへ。



油面小学校100周年
大正14年に「東京都荏原郡油面小学校」として開校と沿革にあります。昭和3年に中目黒小学校が「中目黒尋常高等小学校」に改名しているのですが、名称に統一感が感じられないのが気になります。東京都の誕生が昭和18年なので沿革の記述に誤りがあるのかもしれません。油面小学校は中目黒小学校の分校と認識していたのですがそんな記述も見つかりません。


七夕飾り
油面地蔵通りをさらに南下して油面交差点で目黒通りを横断。さらに南下。


林試の森公園
公園のサイトから引用します。
ここは明治33年(1900年)6月に当時の農商務省林野整理局が「目黒試験苗圃」としてスタートしたのが始まりで、その後「林業試験場」に名称を変更、林野庁の付属となり昭和53年まで営々として使用されてきました。
そして、筑波研究学園都市の建設に伴い、移転した跡地を整備し、「目黒公園」の暫定開放期間を経て、平成元年6月1日に「都立林試の森公園」として生まれ変わり開園しました。
この公園は東西に700m、南北に250mと細長く、外周の園路をぐるっと一周すると45分程で廻れます。


木が生い茂るこの公園に入ると体感温度が下がります。公園内を歩き東門から出て目黒不動へ。羅漢寺川の川跡をたどり羅漢寺の交差点で山手通りを横断して柳通りへ。蕎麦店川せみの先の信号を右折して太鼓橋を渡り、目黒川沿いを北上。目黒川船入場でストレッチをして解散しました。暑いし汗だくになったけど、運動不足にならないよう活動を続けてゆきたいと思います。


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ウォーキング塾地区活動(北部) 北部公園コース 約6.0km

2025-05-28 11:57:00 | 東京都目黒区
5月16日から「めぐろ健康ウォーキング塾」が始まりました。講師を招いた5回の講習、区内北部、東部、中央、南部、西部毎で毎週行われる地区ウォーク実習、すべての地区を一堂に会した地区合同ウォークで構成されています。講習はすでに二回が終了し、北部すこやか歩こう会の地区ウォーク実習は初回残念ながら雨で中止になりましたが、北部公園コースは朝方雨が上がり実施することができました。今回は説明専念で写真はほとんど撮っていません。


菅刈公園のスモークツリー
中目黒GTに集合し4名の健康ウォーキング塾生が参加してくれました。目黒川舟入場へ移動してストレッチ後出発。駒沢通りを横断して難読漢字「皀樹橋(さいかちばし)」を案内。宿山橋でこの道が鎌倉街道であり、西へ進み小川坂を上ると宿山という宿場で、東へ向かうと目切坂、八幡通り、並木橋を経由し原宿という宿場につながっていることを説明します。菅刈住区センターですこやか歩こう会の名前の由来が北部を構成する四つの住区、菅刈の「す」駒場の「こ」東山の「や」烏森の「か」からきていることを説明。菅刈公園でかつて岡藩の下屋敷であったこと、明治時代に西郷従道の屋敷になり、その後国鉄の官舎が立ち並びその奥に国鉄スワローズの合宿所があったこと。三島由紀夫の豊饒の海の冒頭で描かれる松枝侯爵邸のモデルが西郷邸であることを説明しました。
坂を上って西郷山公園から旧山手通りを西へ向かい神泉交差点を過ぎて淡島通りを西へ。松見坂で大和田道玄が松の木の上から旅人を見張り追いはぎをしていた説明はしましたが、道玄が和田合戦の残党であった説明は忘れました。駒場一丁目の細い道を歩き、駒場バラ園が現在営業している日本最古のバラ園であることを案内。東京大学駒場キャンパスに炊事門から入り、正門わきのバラの花壇のバラも駒場バラ園からきていることを説明し、正門から再入校。テニスコート脇、野球場脇を歩き北門から出てフレッシュネスバーガー富ヶ谷が一号店であることを話しました。駒場公園を東門から入りトイレ休憩を取り、駒場野公園正門前で駒場農学校の話、ケルネルというお雇い外国人の話、実習場だったケルネル田圃で東京教育大学の流れをくむ筑波大学駒場の高校生が稲を育てていることを説明しました。この日のコースはここまで、ストレッチをして解散となりました。


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自由ヶ丘コース 約4.9km

2024-12-20 12:22:28 | 東京都目黒区
都立大学駅付近を出発し、自由が丘の熊野神社に行き都立大学駅へ戻ってくるコースです。


呑川本流緑道
工事が行われるようで囲われていました。いつもストレッチをする場所を人が通れなくなり、通行の邪魔をする心配がなくなりました。ストレッチをしてスタートです。


忘れ物かな

都立大学駅付近

目黒区みどりの散歩道


谷畑弁財天
自由が丘方面へ向かうと坂を上ると立源寺の前を通る品川道がありその先は下り坂です。都立大学駅は呑川の谷、自由が丘は湿地だった場所を呑川まで放水路を作り田畑としています。その放水路も現在は暗渠となり九品仏川緑道と呼ばれています。


目黒区みどりの散歩道




熊野神社
弁財天から西へ向かう道が緑小通り、熊野神社の裏手になります。これ以上駅に近づくと人があふれているのでウォーキングではこのあたりが適当。


セネガル大使官邸

クリスマスツリー

サザンカ


農産物直売所
緑小通り西の突き当りを北へ。目黒通りを横断してさらに北へ。


呑川本流緑道

呑川駒沢支流合流点

みどりの散歩道
呑川本流緑道を東へしばらく歩くと駒沢支流との合流点。こちらを北へ。


東京都立桜修館中等教育学校

めぐろ区民キャンパス万葉歌碑

府立高等学校と東京都立大学の門跡
桜修館の前の通りはやくも文化通りとなっていますが、近所ではないせいかあまりなじみのない名前。この通りは世田谷区に入ると深沢学園通りとなっています。桜修館は現在中高一貫校となっていますがわれわれの世代では都立大学付属高校でした。
ちなみに東急都立大学駅、開業当初は柿ノ木坂駅。五島慶太氏が誘致し学校が麹町から移転して府立高等前駅へ変更、翌年府立高等駅へ変更、都立高校駅を経て都立大学駅になっています。都立大学の名を有する学校がなくなった後、駅名を変更する検討を始めるかどうかのアンケートを行い変更派が過半数を占めたものの「3分の2以上の賛成で新駅名を検討する」という条件に達しなかったため現在も都立大学という駅名になっています。変更するとなっていたらどうなっていたんだろう?やっぱり柿ノ木坂駅かな、それもよさそう。


めぐろ区民キャンパスの紅葉

常圓寺大イチョウ
区民キャンパスから八雲氷川神社経由で都立大学駅へ戻るコースでしたが、私の勘違いで常圓寺参道を通り呑川本流緑道へ戻ってきてしまいました。最近区民キャンパスでストレッチをして解散してしまうケースが多かったので忘れていました。


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東部地区コース 約5.4km&忘年会

2024-12-10 11:58:45 | 東京都目黒区
12月の第二週は忘年会のため忘年会会場の近くでウォーキングを終える、忘年会の開始時間に合わせてスタート時間を決めるなど忘年会仕様になっています。


祐天寺墓地の広い空
集合は祐天寺駅改札、祐天寺に移動してストレッチをしてスタートです。私が子供のころは近所で広い空が見られる場所はいくらでもあったのですが、最近はこんな空が見える場所は少なくなりました。


油面小学校前の立派な門
個人のお宅のようですがヒマラヤスギも立派ですね。油面小学校は向田邦子さんが一時通っていたそうです。小字「油面」について目黒区のサイトから引用します。
目黒の地名 油面(あぶらめん)
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 油面
「油面(あぶらめん)」は、衾(ふすま)・碑文谷(ひもんや)などとともに、初めての人にはまず読めそうにない地名の一つ。もとは、現在の中町一丁目に、同二丁目、中央町二丁目の一部を加えた一帯の旧字名だが、その名は、油面小学校、油面公園をはじめ、商店街通りや交差点、バス停などに今も残り、「住区」の名称ともなっており、その長い歴史に新たな一ページを加えている。
さて、「油面」の地名は、多くの地名の例に漏れず、土地の産物にちなむもの。江戸時代の中ごろから、この辺り一帯では菜種の栽培が盛んとなり、絞った菜種油は芝の増上寺や、その流れをくむ祐天寺の灯明用として使われていた。この油の奉納に付随して、絞油業に対する租税が免除されていたらしく、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」が、いつしか「油面」となったと伝えられる。
ただし、「面」については、韓国などで、村長のことを面長といっているように、「村」の意味とする説もあり、この説によれば、「油面」は、単に「油のとれる村」の意味となる。
なお、菜種の栽培は昭和の初めごろまで行われ、開校当時(大正14年)の油面小学校は、菜の花畑と竹やぶ、雑木林に囲まれた、畑の中の学校だったという。路線バスが商店街や住宅地を縫うように走る今日の町並みからは、想像もできない風景である。



油面子育地蔵尊
関連する情報を目黒区のサイトから引用します。
目黒のみち 油面地蔵通り
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒のみち 油面地蔵通り
目黒消防署の筋向かいの油面交番を北に入る道が、高地蔵尊を中心として栄える商店街、油面地蔵通りである。
現在、地蔵尊は商店街のほぼ中央の堂舎内にあるが、元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。
子育て・眼病にも霊験あらたかとして、お参りする人も数多い。



林試の森公園 くぬぎ門

林試の森の紅葉

寒さを吹き飛ばして遊ぶ子供たち
ずっと南下し、くぬぎ門から林試の森公園に入ります。この日はこの冬一番の冷え込みで北風も強くとても寒い夕方でしたが、子供は元気ですね。


目黒不動仁王門とイチョウの黄葉

ジュウガツザクラと紅葉

車祈祷所

イチョウの黄葉

コダチダリヤ

仁王門と月
目黒不動でトイレ休憩。この日は階段下から遥拝するだけでした。


五百羅漢寺

目黒川
羅漢寺川跡に沿って山手通り、一本裏に入り電車道。電車道について目黒区のサイトから引用します。
目黒のみち 電車道
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒のみち 電車道
権之助坂の下、目黒川に架かる新橋のたもとから、不動前方面へ向けて斜めに走る道がある。歩道を含め、最大幅員18メートルに及ぶ立派な道だが、全長わずかに600メートル足らず。山手通りに交差した途端、こつ然ととぎれる、太く短い道である。
戦前、東京市が天現寺・恵比寿長者丸間の市電路線を延長するために買収した軌道敷用地が、この道の前身。昭和19年に、既存の路線自体が廃止となったため、戦後、新橋から終点予定地までの軌道敷用地が、そのまま道路に生まれ変わった。
柳並木があったため「柳通り」の名もあるが、現在はハナミズキの並木道である。昔を知る人の間では、今も「電車道」と呼ばれる、歴史を刻む道である。


太鼓橋で目黒川を渡ります。昔の太鼓橋はこちら
太鼓橋については八百屋お七に絡む話もあるのでWikipediaから引用します。
最初の架橋と伝説
1769年(明和6年)に完成した。建設された当時としては珍しい石造りであった。長さ8間3尺(約15.3メートル)、幅2間(約3.6メートル)であり、名前の通りいわゆる「太鼓橋」の形状をしていた。
斎藤月岑が『江戸名所図会』(第三巻、1834年)に選び、歌川広重が『江戸名所百景』(1857年)にも描いた。周辺には目黒不動や行人坂、千代ヶ崎(上大崎村千代ヶ崎、現在の品川区上大崎3丁目)等の名所が多かった。
太鼓橋を造った人物には諸説あり、八百屋お七の恋人の吉三郎が出家した西運上人だったという伝説がある。修行中に江戸の民衆から寄進を集めて太鼓橋を造ったという。橋の東側にあった大円寺には吉三の伝説が書かれた標識があったほか、旧太鼓橋に使用された石材が置かれてある。ほかにも、木喰上人(木食養阿)が1700年代の始めに作り始め、江戸・八丁堀の町人が資金を出し合い、完成させたという説がある。
同地は、1889年(明治22年)までは荏原郡下目黒村、1922年(大正11年)までは同郡目黒村大字下目黒、1932年(昭和7年)までは同郡目黒町大字下目黒であった。当初の石橋は、1920年(大正9年)9月1日に豪雨で流された。


目黒川沿いを北へ向かい、船入場でストレッチをして解散。多くは忘年会へ。


代官山花壇

この日のメニュー
贅沢な忘年会で楽しい時間を過ごしました。


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