目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

神田川玉川上水コース 約6.1km

2024-08-30 15:23:09 | 東京都杉並区、三鷹市
8月に入りこれまで3回予定していたウォーキングで実施できたのは一回のみです。この日の熱中症予報は12時に「危険」に達する予報でしたが、9時から12時は「厳重警戒」にとどまっていること、7時の暑さ指数実測値が“26.2”と前日より3.6ポイント低いことを根拠に実施を決定しました。しかしながら活動中の実測値は10時が“31.7”、11時が“32.4”12時が“31.2”と「危険」レベルに達していました。そんな暑さを見込んでか参加者は8名と少なめでした。






くりのないとう
集合は井の頭線高井戸駅です。駅は環状八号線の上にあり、まずは環八を北へすぐに左折して栗畑の脇を歩きます。ここは神田川へ向かって南向きの緩やかな傾斜地になっていて、収穫時期には栗の販売も行っているようですが今回そのお知らせはありません。
高井戸わんぱく公園でストレッチをして出発です。暑さのせいかわんぱくキッズも遊んでいない静かな環境です。


神田川

神田川の鯉

ヘクソカズラ

京王検車区
神田川沿いに歩いてゆくと富士見ヶ丘駅を過ぎて、井の頭線の検車区脇を通ります。ヘクソカズラの花を見ると夏も終わりの感じがあります。神田川は源流に近くきれいです。


ケイトウ

カリン

アサガオ

ムラサキシキブ
アサガオ以外秋の気配を感じさせるものばかりと思っていましたが、歳時記を見るとアサガオも秋の季語でした。早く涼しくなって楽しく歩きたいです。




スッポンの甲羅干し
遠くからでもミシシッピアカミミガメではないとわかりましたが、写真に撮って拡大してみるとやっぱりスッポンでしたね。こんなところにスッポンがいるのですね。


井の頭一丁目の農場
以前はキウイの棚が広がっていましたが、新しく植えられているのはブルーベリーのようです。


玉川上水
長兵衛橋から玉川上水沿いを西へ向かいます。


葛の葉

クズクビボソハムシ
大胆に食害を受けていると思ったら犯人はクズクビボソハムシという外来種で、2016年位から勢力拡大中とのこと。

ほたる橋まで歩いて、井の頭公園でストレッチをして解散となりました。暑かったけど気持ちよかった。いい運動不足解消になったという感想ですが、会員には暑すぎると不評でした。


井の頭井戸
現在はポンプで地下水をくみ上げていますが、昔は自然湧出で江戸の水源。井の頭は「ナンバーワン水源」の意味で、徳川家康が命名したと説明しましたが、家光の命名とのことです。


野口雨情の歌碑

井の頭池
井の頭線で渋谷へ向かい、ハチ公御用達山家で焼き鳥を楽しんだ後、レディガガ御用達天狗でデザートを食べて帰りました。お客さんがいない天狗は寒かった。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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等々力渓谷自由が丘コース 約3.1km

2024-08-04 12:33:13 | 東京都目黒区、世田谷区
酷暑が続き7月は4回中3回を中止にせざるを得ず、8月も全滅の恐れがありました。この日は熱中症予報が12時まで「厳重警戒」となっており、実施する旨連絡を出しましたが、実績を見ると9時と11時は「危険」、10時が「厳重警戒」でやっぱり暑かった。
コース名に等々力渓谷が入っているものの倒木のため渓谷の公園は閉鎖されており、等々力駅までのウォーキングとなります。



自由が丘駅前
再開発が始まってから初めて降りたような気がしていますが、大きく変わるんでしょうね。なお熊野神社の例大祭は9月7日・8日とのことです。


九品仏川緑道

ちょっと変わった松

シラユリ

城向橋
自由が丘駅前ではストレッチをする場所がないので、時間になったら出発して西へ向かいます。九品仏川の橋の名前を見て、浄真寺が奥沢城の跡地にあることを思い出しました。


浄真寺東門

山門


仁王像

緑豊かな境内

枯山水
緑が多く幾分涼しく感じます。



サギソウ
この時期にこのコースを採用している最大の理由はこのサギソウを見るため。数は多くないのですが今年も見ることが出来ました。


下品堂

下品上生

下品下生は修復中

天皇陛下お手植えの松

上品上生

上品堂三体の阿弥陀如来坐像

中品上生

中品三体

ミソハギ

シラサギ

御本尊の阿弥陀如来坐像

上品堂

銀杏

鐘楼
かつて奥沢城だったことは知っていましたが浄真寺の歴史についてあまり考えたことはありません。1678年江戸時代の創建だそうで、祐天寺(1718年)も江戸時代創建の浄土宗のお寺です。




閻魔堂

浄真寺総門


参道
本隊は浄真寺でストレッチをして等々力駅へ向かいますが、私はここまでにして九品仏駅から帰りました。
学芸大学の天狗ですこやかアルコール会をして本隊の様子を聞いたところやはり暑かったそうで、一時間程度の活動が限界かなという話でした。熱中症も怖いけど運動不足も心配。うまい妥協点を見つけたいものです。


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目黒健康ウォーキングマップN(緑ヶ丘コース) 約4km

2024-07-20 11:11:04 | 東京都目黒区
前週は暑さ指数31以上「危険」で活動は中止、この日は多少の雨予報でしたが気温は高くなくこんな日に歩いておかないと夏の間ずっと歩けない感じがしたので活動を行うことにしました。会員の皆さんも同様に感じたのか多くの方が参加されました。
呑川緑道でストレッチをして線路沿いを自由が丘方面へ。都立大学駅付近は呑川の谷になっており、自由が丘駅周辺は元湿地。都立大学駅と自由が丘駅の間は代官山山脈ほど険しくありませんが、小高い尾根道となります。


東横線



立源寺
立源寺の前の尾根道は鉄飛坂から続く品川みち。豪徳寺を経由し大國魂神社へ至ります。立源寺も目黒台の上にあり祐天寺と同じくらいの標高かと確認してみると、37メートルあり祐天寺の28.2メートルより高いです。碑文谷公園が30メートルで祐天寺とあまり変わらないのですが、碑文谷公園近くの環七は37メートルあります。立源寺の標高は河川の浸食を受けていない目黒台本来の高さなのかな?立源寺の石柱には「武州荏原郡衾村」と書いてあります。







立源寺の花々
この時期に立源寺を訪れるのはハスの花を見るため。お寺の紋にもハスが描かれています。雨が降ったのでハスの葉の上の水玉もきれいです。


キバナコスモス

九品仏川緑道

フヨウ


九品仏川緑道呑川接続付近
キバナコスモスの黄色はもっと鮮やかなのだけれどデジカメでは再現しにくい色で、いつもがっかりしてしまいます。九品仏川は元々多摩川に流れ込む川だったのですが、今回歩いている緑道を開削し呑川に接続して、自由が丘あたりの湿地の水抜きをしたようです。


みどりの散歩道
今回歩いているコースはこの散歩道にほぼ沿っています。


ザクロ

サルスベリ

十一中

ヒマワリ
九品仏川合流点から呑川本流緑道を北へ向かいます。目黒区立第十一中学校は八中と統合され目黒区立西中学校となります。八中を仮校舎として十一中の場所に新校舎が建てられ2027年度に移転するそうです。昭和22年5月3日に新制中学が開校した時に目黒区では北から順番に番号を振ったものと思っていましたが、十中はそんなに南ではないと気づき地図で確認してみました。北から七中、八中、九中。十一中と並んでいますが十中は七中よりわずかに北に位置しているので、番号の法則はいま一度考え直さなければなりません。


鉄飛坂庚申塔群帝釈堂
庚申堂ではなく帝釈堂であることは数年前に気づいていたのですがそのつながりを目黒区のサイトで見つけました。
帝釈天(たいしゃくてん)堂内に板碑(いたび)型の庚申塔(こうしんとう)が3基、柱型の庚申塔(こうしんとう)が1基納められています。

庚申塔は通常は青面金剛(しょうめんこんごう)、太陽と月、二羽の鶏、三匹の猿が彫られることが多いのですが、この庚申塔群は、板碑(いたび)型のものには帝釈天像が彫られ、柱型のものには、日蓮宗の題目が刻まれています。

目黒区内には現在70基ほどの庚申塔が残されていますが、帝釈天(たいしゃくてん)信仰と日蓮宗信仰が結びついているのはここにあるものだけで、この地域の信仰のようすを伝える資料です。また、地域の人により今もその講が続けられているところに特色があります。



志のぶ幼稚園
開園当初は小石川にあり、昭和11年に平町へ移転してきたようです。歴史ある幼稚園ですね。


桜森稲荷神社
こちらにも庚申塔が残されています。桜森児童遊園でストレッチを始めたら雨の降りが強くなってきたので途中でやめて解散しました。このタイミングでの雨はもう終わりだったので活動にとってはラッキーでしたね。暑かったり雨が降ったりしてなかなか活動できない七月に多少雨が降っても歩くことが出来てよかったです。


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【下見】箱根・小田原

2024-06-22 15:47:23 | 神奈川県箱根町
アド街ック天国の小田原の会を見て「久しぶりに小田原を歩いてみようか」という気になりました。目黒区の保養荘があるときは箱根にたびたび泊で行っていたのですが、保養荘がなくなってからは「いい宿がないかなぁ」と足が遠のいていました。
今回の下見はホテル花月園。目黒区の契約施設で宿泊費もちょうどよい感じなので様子を確認したい。できれば箱根と小田原のウォーキングコースを確認したい。


仙石原文化センター前バス停
箱根ビジターセンターに車を置いてバスに乗り仙石原文化センター前へやってきました。箱根のウォーキングコースは仙石原湖尻自然探勝道。ずいぶん前に歩いたことがあるのですが、新任の企画員に様子を感じてもらうための下見です。バス停から自然探勝道スタート地点まで1.3kmを歩きます。


早川に架かる橋
箱根湿生花園前を通ってゆくのでこの案内の通り進みましたが、この先に案内はなく結果的には遠回り。


ミヤコワスレ

ホタルブクロ

箱根湿生花園

仙石原湖尻自然探勝道スタート地点
箱根湿生花園でトイレを借りることが出来るのですが、スタート地点まで1.3kmは距離がありすぎなので何とかしたいところ。


ニワフジ

マーガレット

アジサイ

道標
仙石原浄水センターあたりで手元の地図と道標のルートが異なるのですが、地図は2011年に作成されたもので道標の通り進みます。


展望案内図

モミジ

早川に架かる橋


早川
浄水センターの裏で早川を渡ります。コースは早川沿いを進みます。早川は芦ノ湖を水源とする川なので上流部から水量があります。


ウツギ

檜木立

サイクリングロードに合流

分岐点
サイクリングロードをそのまま行くか山へ入ってゆくかの分岐になります。登り坂嫌だなぁと思いながら、山へ入ってゆきました。


スイカズラ

たくましく育つ木

展望案内図

ヤブヘビイチゴ

探勝道

マタタビ
山道を30分くらい歩いたのかなぁ?



耕牧舎跡
一般社団法人Jミルクのサイトから引用します。
困難をきわめた仙石原の開墾
1880(明治13)年に渋沢栄一は、箱根・仙石原の広大な草原を牧場経営の適地と考え、江戸時代以来、村民共同の秣場(まぐさば)であり、既に神奈川県が牧畜試験地として買収していた約700ha余りの土地の払い下げを受け、牧場にした。三井物産の益田孝、東京株式取引所の小松彰、栄一の従兄である渋沢喜作とともに設立した、「耕牧舎」による牧畜開拓の始まりである。

 栄一の従弟である須永伝蔵を総支配人に松村泰次郎、新原敏三が牧場経営を始めた。新原敏三は、小説家・芥川龍之介の実父に当たる。

 この耕牧舎の所有地は、酸性の火山灰土のやせ地で、冷涼多雨の気象条件に冬季の厳しい寒気や強風により一面に萱が繁茂していた。そのため土地を開墾し、牧草の栽培をするため、力仕事に使う牛や馬を購入して耕し、収穫から脱穀、運搬や収納に使用する農機具を購入して、西欧式の家畜を活用した畜力農機具を酷使して大規模な開墾が行われた。

しかし、西欧式農法は、千葉の下総牧羊場で伝習を積んだ須永伝蔵や松村泰次郎でも経験がなく、従業員も不慣れなこともあり、大規模な開墾作業は困難をきわめ、開墾できた土地はわずかであった。

耕牧舎経営に一生を捧げた須永伝蔵
 須永伝蔵は、耕牧舎の総支配人として、牧草や乳牛の改良、牛乳販売も行い、牧場経営に一生を捧げた。そして仙石原の村民にも慕われ、村会議員のみならず村長にも推挙された。しかし、芦ノ湖からの引水による開田計画のため奔走した水利権紛争(逆川事件)では敗訴し、収監されている。この計画は、牧場経営の傍ら水田開発を行い、米で経営の安定化を図る遠大な構想でもあったが、当時の牧畜政策は大型牧場の経営を推進するためには多くの課題を抱えていたのである。

 伝蔵は、耕牧舎と仙石原村のために奔走したが、1904(明治37)年に病死。さらに、翌年には耕牧舎も、閉鎖を余儀なくされた。

 渋沢栄一は、伝蔵の牧畜事業の功績を称えて彼の故郷である群馬県成塚(明治39年)と、箱根仙石原(昭和6年)の2か所に伝蔵の石碑を建立した。当時が偲ばれる仙石原の石碑は、耕牧舎の跡地に現存している。

 この地に耕牧舎が誕生したことは、仙石原の村民にとってそれまでの箱根細工用に立木の伐採や搬出などを主とした生活から、季節的に集中する青草刈りや牧場における牛馬の管理など、新たな事業に雇用されたことで、村民にとって重要な収入源にもなり、村を豊かにすることができたのである。

乳牛改良と飼育状況
耕牧舎の開設から25年間(明治13~37年)で牛の飼養状況は、洋牛と和牛の合計で多い時には200頭以上にもなった。箱根町立郷土資料館々報第10号によると、最初から洋牛を基礎牛として事業を起こしており、明治政府の勧農局からショートホーン種(短角種)の牛2頭を借用し、1881(明治14)年にも短角種を再び借用、その後にデボン種(ハワイ産)も導入した。当時の輸入牛は乳肉兼用のショートホーン種及びデボン種が中心であり、耕牧舎では、優良な雄牛を種付け用の牛として、洋牛と雑種牛など和洋の牛を掛け合わせるなど交配改良し、雌牛を乳用牛として飼養した。そして、耕牧舎の各支店に乳用牛を移動させ、牛乳を搾乳販売したのである。同時に同業者をはじめ関係者に乳牛を貸与や売却もした。

 明治初期の輸入牛はジャージー種、ショートホーン種、デボン種、エアシャー種であった。ホルスタイン種については、「輸入種牛馬系統取調書」(農商務省農務局)によると、1885(明治18)年に、津田出が米国からホルスタイン種を導入したというのが定説となっている。しかし岩手県岩泉地方で飼育された岩泉牛の由来についての記録に「『ホルスタイン』種ノ輸入モ亦岩泉村ヲ以テ嚆矢トス。」という記述がある。さらに「東京耕牧舎ヨリ『ホルスタイン』種牝牡2頭ヲ購入ス、該牛ハ明治17年渋沢栄一氏ガ米国ヨリ輸入セル和蘭産純血種ノ血統ナリト云フ。(原文)」と書かれており、とすると渋沢栄一は津田出より1年早くホルスタイン種を輸入したことになる。

牛乳事業の概況
当時、箱根へは、幕末から外国人居留地のあった横浜などから、豊富な温泉と富士山の景観を求めて避暑に訪れる外国人が多く、耕牧舎は積極的な牛乳の製造販売を行った。

 明治14年にはバターも製造販売した。その証拠として勧農局よりバターチャーンを購入している。明治14年の1,358㎏から逐次伸び、明治20年には3,422㎏と倍になっている。ただし、明治22年の7,030㎏をピークに、その後は次第に減少している。

 明治20年には箱根・宮ノ下まで道ができ、さらに東海道線や小田原馬車鉄道の開設により多くの顧客から牛乳の需要が高まった。明治23年には富士屋ホテルからの支援を受け、宮ノ下支店を設けて雌牛5頭を飼育して牛乳を販売した。このように牛乳販売が伸びた理由は、外国人をはじめ、上流階級の多くの人が季節によって箱根を訪れ保養地として滞在したことであった。

 当時珍しい箱根にあった入浴用の牛乳についても、中外物価新報(第521号、明治15年)に、「避暑入浴の御方牛乳御入用の節は」と、牧場から牛乳を届ける旨の広告がある。また須永伝蔵からの栄一あての書翰(明治16年)には「当時井上勝之助様湯本ヘ御入浴ニ付日々牛乳相送り居申候」と記述がある。入浴用の牛乳を販売したのは耕牧舎が我が国で初めてあった。これは温泉療法の研究に度々きて、指導的役割を果たしたエルヴィン・フォン・ベルツ(ドイツ人、東京医学校教師)の影響によるものである。

 耕牧舎は、支舎(店)を東京、神奈川、山梨、静岡などに設けた。当時は生乳を運搬する手段がなかったので、仙石原の牧場は乳牛の育成に専念し、乳牛を各支店に移動させた。そして各支店が牛乳を搾乳・販売した。このように渋沢栄一は営業主流の経営方針による都市商圏における利益率の高い牛乳販売に力点を絞ったものと思われる。



サイクリングロード



大涌谷

檜木立のサイクリングロード

芝?
遠景に大涌谷が見える光景は箱根らしく雄大です。サイクリングロードと言っても自転車との遭遇は一度もなく、バイクが一台通り過ぎてゆきました。


道標
距離が書いてない道標が多かったのでやっと2/3と感じました。ちょっと疲れてきたのでまだまだあるなぁといった感じです。


早川

ゴールの湖尻

芦ノ湖の水門
最後は登りばかりで結構お疲れでした。あとで調べてみると湖尻の標高は仙石原より120メートルも高いのです。本番は逆にした方がよさそうです。


湖尻周辺散策マップ

箱根ビジターセンター
湖尻からビジターセンターまでまた登り。結構疲れました。


ホテル花月園

部屋からの景色
この日の一番の目的、ホテルの下見です。対応は親切、ご飯もおいしく、宿泊費もすこやか歩こう会の旅行で訪れるには妥当な金額でした。景色も最高です。


翌日の景色
残念ながら雨、この後大雨になりました。小田原の下見はあきらめて、早々に帰京しました。

このコース、来年五月の旅行を予定しています。


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ウォーキング塾地区活動(北部) 富士コース 約7.1km

2024-06-13 11:35:08 | 東京都目黒区、渋谷区
最近の活動では参加者が20名を超えることが多かったのですがこの日はちょっと少なめ16名でした。ウォーキング日和の曇り空でしたが途中からは少し暑くなってきました。


東京大学教養学部正門

一号館の時計塔
集合は東大駒場キャンパス正門前、井の頭線の駒場東大前駅が最寄になります。ストレッチをして正門からキャンパスの中へ。


キャンパス内のイチョウ並木
開校当時「駒場農学校」だったことを確認し、青々と茂った銀杏並木を歩きます。


駒場公園正門

旧前田邸洋館
野球場のわきを通り北門で東大を出て西へ、今回は駒場公園に正門から入りました。



祖霊社跡地
昭和4年(1929年)、前田利為侯爵が駒場に本邸を建設し、同時に霊社が本郷からこの場所に移築されました。古写真や旧平面図から、霊社本殿、幣殿、拝殿、神饌所、参道などがあったことがわかっています。また、手水鉢、灯籠など石造工作物やコンクリートの基礎部分が、現在も残っています。昭和20年(1945年)に終戦となり、ここ本邸は連合国軍に接収され、霊社は解体されることになりましたが、菅原道真公を祖として仰いできた前田家にとって、ゆかりの亀戸天神が空襲により大きな被害を受け、再建される計画を知り、ここにあった拝殿を昭和22年(1947年)に、亀戸天神社に寄進し、ご本殿として生まれ変わりました。昭和30年(1950年)、亀戸天神社御本殿が再建されることとなり、寄進された社は境内の御岳神社のご本殿として、移築されました。月日は流れ昭和51年(1976年)、御岳神社が再建されることとなり、社は解体され境内各所の建築・修理の用材とされました。こうして、霊社の建造物として長い歴史に終止符が打たれました。なお、前田家は菅原家と同じ幼剣梅鉢紋を家紋としています。
菅原道真公(845-903)は、平安時代の貴族であり、学問、政治、文学にも秀で学者として名が高かった。天神様とは、菅原道真公のことで「学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国から崇敬を集めている。



ケルネル田圃

トマト
駒場公園南門を出て井の頭線踏切を渡り駒場野公園へ。二週間前と違うところは田植えが済んでいる点。駒場野公園内を通り抜け南へ行くと淡島通り沿いに飛び地になった駒場野公園があり、淡島通り向かいには筑波大学付属中高の門があります。この門が明治時代騎兵第一連隊の門として作られたことを説明しました。またこの場所は目黒区と世田谷区の区界にあたりかつては上目黒村と池尻村の村境で、疫病が村に入ってこないよう上目黒川に締め切り地蔵があり今もお参りする人が絶えません。
淡島通りを東へ進みプラウド駒場の先を右折して大橋通りを南へ向かいます。「御用屋敷跡」の説明看板があるので鷹狩りに来た徳川将軍が休憩する御用屋敷があり、管理していたのが綱差し川井権兵衛で、三週間前に寿福寺でお墓を訪れた権兵衛さんの職場であることを説明します。
さらに南へ向かい公務員住宅の大橋住宅の敷地内にある天覧台を見ます。現在の駒場高校陸上練習場を見下ろすこの場所は練兵場で、明治天皇や大正天皇が訪れて帝国陸軍を閲兵した場所となります。江戸時代は徳川将軍、明治になって天皇陛下がたびたび駒場を訪れていたのですね。


ミヤコグサ

オミナエシ

ネジバナ

春秋共演
玉川通りを横断する歩道橋の上で上目黒氷川神社に富士登山道と浅間神社があることを説明し、クロスエアタワーのエレベーターに乗って目黒天空庭園へ。ミヤコグサは菅刈公園の和風庭園にもありますが鳥が種を運ぶのかな?秋の七草のひとつオミナエシと初夏の花ネジバナが並んで咲いているところが面白くて共演写真をとってみました。


ヤマボウシ

ブドウ

ハマナス
エアクロスタワーをバックにヤマボウシの風景はいかにも天空庭園らしい風景です。


猿楽神社

旧山手通りのジャガランダ
目黒川沿いを歩き山手通りを横断して菅刈公園。坂を上り西郷山公園を見て旧山手通りを南東に向かいます。猿楽神社は代官山ヒルサイドテラス内にある古墳です。頼朝がこの場所で猿楽を催しその道具を埋めたので猿楽塚と聞いたことがあるのですがその説は最近見かけません。この先代官山交番近くで元富士の説明をしてさらに南西に向かいます。


別所坂公園
鎗ヶ崎交差点から目黒区渋谷区の区界になる路地を南下してゆきます。私が代官山山脈と呼んでいる淀橋台地の縁が鑓のように狭くなっていたのが鎗ヶ崎で、最初はトンネルが掘られました。路面電車玉川線を通すにあたりトンネルを崩し切通しにしたので、渋谷川の谷と目黒川の谷を行き来するには比較的坂がゆるい通りとなりました。
別所坂公園が目黒新富士であることを説明し富士コースは終了となります。ストレッチをして解散。

めぐろウォーキング塾の地区ウォークはこの日が最後となるので塾生もお誘いして鳥元でランチを食べながら懇談しました。


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