目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】古代の青龍、野川下りコース多磨編 約6.9km

2018-08-27 09:34:21 | ウォーキング
新しいコースの下見です。通常新しいコースを設けるときには周辺地域の情報収集→地図上でのルート作成→下見→ルート作成という手順をとります。しかし今回は9月8日に歩くこのコースの下見が猛暑のためにできなかったので、仮ルートで歩行計画を作成→送付した後の下見となりました。

野川下りのシリーズものです。一回目は武蔵の国の国府、府中と武蔵国分寺跡を歩き、野川を青龍に見立て国分寺が建立されたこと歩いて体験しました。二回目は野川の源流、日立中央研究所から東京経済大学までの源流域を歩きました。三回目の今回は東京経済大学から、多磨駅を目指します。



国分寺崖線
国分寺駅から国分寺崖線を左手に見ながら歩くと、目黒ではあまり見ない玉石垣が多く残っていることが印象付けられます。モルタルで固められているのでそれほど古いものではないのでしょうが、多摩川から近いこの地域では昔から河原の石を運んで石垣を作っていたことが想像されます。そう考えると、国分寺崖線と玉石垣は相性がいいのでしょう。


鞍尾根橋から見た野川
前回歩いた場所までたどり着きました。ここから先は遊歩道があるのでそこを歩いてゆくことになりますが、川のすぐわきにも人が歩いたような道が出来ており、そちらも楽しみです。


遊歩道

支流
遊歩道には車止めが設置されており、サイクリング目的には向かないようになっています。ウォーカーにはありがたいですね。野川の下流に向かい左側に国分寺崖線があり、そこからの湧水を集めたような支流が左岸のみに見られます。


野川、川岸
川岸に降りて歩いてみると思ったほど快適ではありません。風が通らず暑い!


前原小の暗渠
小金井市前原小で野川が暗渠になり、小学校の南側残る古い野川の跡に沿って遊歩道がありました。


小金井街道を横断して
小金井街道を横断すると野川の川幅が少し広くなり、風景が開けてきます。調布飛行場の向かう飛行機が写っているのですが、小さすぎてわかりませんね。


ハゼノキの紅葉の始まり
野川はこのあたりからとても良い雰囲気です。やはり川幅が広がって、風景が開けてきたことがこの雰囲気を作り出しているものと思われます。現在は川幅が広がったといっても小川ですが、護岸整備をする前は相当な広さの川原を持っていたのでしょう。


都立武蔵野公園

野川第二調整池

ススキ

カンタン保全地

都立武蔵野公園

ガガイモ
子供が川原に降りて遊んだり、BBQをしたりしている広々とした公園です。公園の概要をWikipediaから引用します。
園の南部を東八道路に面しており、園北部を野川が西から東に流れる。野川沿いに東へ細い市道を越えると東京都立野川公園である。
園東部に駐車場、噴水、中心部に苗園を備える。中央部の野川南側の雑木林内にバーベキュー場がある。園西部に小高い「くじら山」という丘があり、これは、園西部に隣接する小金井市立南小学校を作ったときに出た土砂を積み上げてできたものである。
野川北岸側の遊水池の完成、バーベキュー場の整備、除草剤散布の中止の一方、年間数度にわたる草刈り、落ち葉や枯死木の撤去が徹底されるようになったため、林床の乾燥が進み、昭和時代に比べると昆虫などの小動物の生息数は著しく減少してきている。また、スズメバチの集まりやすい樹液を出している広葉樹は積極的に伐採撤去されている。



都立野川公園
この公園に足を踏み入れた途端「素晴らしい公園」だと思いました。予報以上に気温が上がりちょっとばて気味だったし、日陰が少なくちょっとつらそうと思いつつも、自然が濃く広々としたこの公園が気に入りました。これまで都内のお気に入りの散歩道は玉川上水沿いだと思っていましたが、それ以上のお気に入りなりました。この先少し野川公園の写真が続きますが、その前にWikipediaから引用しておきます。
園を東西に東八道路が横切っており、その北側を野川が西から東に流れる。(園の東端近くで東八道路と野川が交差する)
東八道路以南は開園が遅かったため、一部地域住民からは「新野川公園」と通称される。
もとは国際基督教大学(ICU)所有のゴルフ場であり、現在でもかなりの面積で芝生が広がる。園南西部にテニスコート、西部にデイキャンプ場、南部にバーベキュー場、駐車場、中央部に児童遊具施設(わんぱく広場)とアスレチック場を備える。東八道路と野川に挟まれた区域や東八道路以南の各所には武蔵野の森が多く残存する。ただし、ゴルフ場時代に多量の農薬を散布していたため、開園直後は生息する生物相が貧弱であった。2年ほどしてクワガタムシなどが普通に見られるようになっている。
野川の北側は池が3つ規則的に並び、1980年代前半まではザリガニ採りの子供たち等で賑わったが、場荒れが進んだこと、水の事故、入水自殺事件の発生などを理由として立ち入りが制限されるようになった。また、地域トラブル(ICUキャンパス内居住のアメリカ人職員夫人と子供たち)も当時は頻発していたとのことである。現在、同区域はフェンスで囲われ定められたゲートから出入りする自然観察路となっている。フェンス外の東端はわき水広場となっている。
自然観察園から西方へ野川沿いに細い市道を越えると、東京都立武蔵野公園である。また、人見街道(東京都道110号府中三鷹線)を挟んで南に200mほどの所に東京都立武蔵野の森公園がある。



バードサンクチュアリ

野川公園自然観察園の案内
 野川公園の野川と、国分寺崖線に挟まれた細長い敷地が、自然観察園です。このなかでは、「ハケ」からわきでる湧水がみられるほか、都市化の中に今も残る武蔵野の自然を観察できるように、木道、水路、池などを設けてあります。むかしはどこにでも見られた自然の風景も、今では貴重なものとなっています。
 身近な自然の中で、四季折々の変化を楽しみながら、自然の姿や仕組みを学んでいく場所として、自然観察園を利用してください。
  都立野川公園サービスセンター



野川公園


自然観察園

木道

シュウカイドウ
今回はバテバテで自然観察園の中を歩く気にはなりませんでしたが、本番では時間をとって中を歩いてみたいと思います。



野川のあらまし
今回は多磨駅で終了ですが、次回、深大寺あたりをどのように歩くか参考にさせてもらいます。


ワルナスビ

ドングリ

わき水広場

野川
すこやか歩こう会の皆さんと野川公園を歩くのを楽しみにしています。



龍源寺


近藤勇墓所

庚申塔

六地蔵
近藤勇の墓所は他にもあるようです。Wikipediaから引用してみます。
東京都三鷹市の龍源寺(先述の出身地、現・調布市野水のすぐ近く)や処刑場の近隣であるJR板橋駅前(寿徳寺)にも旧同士だった永倉新八により建立された墓所がある。福島県会津若松市の天寧寺には土方歳三が遺体の一部を葬ったとされる墓があり、山形県米沢市の高国寺にも近藤勇の従兄弟 近藤金太郎が首をひそかに持ち帰り埋葬したとされる墓がある。毎年、民間団体が近藤勇を弔う為に「近藤勇忌」を流山市や会津若松市等で行っている。戒名は貫天院殿純義誠忠大居士。
辞世の句は漢詩(七言律詩)で作られており、この句が刻まれた句碑が龍源寺境内の墓所にある。



蕎麦・懐石御狩野

近藤勇生家跡

都立野川公園
生家は戦時中の調布飛行場拡張時に取り壊されてしまったようです。戊辰戦争の影響でしょうか?



掩体壕大沢二号
この戦争遺跡は武蔵野の森公園内に残されています。


調布飛行場

ご一行様横断中

修景池
武蔵野の森公園は調布飛行場に隣接した公園で、飛行場の様子を見ることができます。修景池は災害時の生活用水とするため、雨水や湧水を貯めたものです。

自然の風を受けて気持ちの良い下見だったのですが、やっぱり暑くて多磨霊園の墓マイラー下見などは割愛して多磨駅に向かいました。
ミュンヘンのヴァイツェン生ビールを飲もうと思って吉祥寺のケーニッヒへわざわざ行ったのに、黒ビールを買ってしまったのはやっぱり暑さでぼーっとしていたのかな?


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代々木公園コース2 約4.1km

2018-08-20 09:41:10 | ウォーキング
暑い時期に短い距離のコースを作ろうと思い、駒場東大前駅から代々木公園を目指す「代々木公園コース」を作成しました。このコースの近くに春の小川の碑があることが分かったので、少しルートを変更して「代々木公園コース2」としましたが、当初の代々木公園コースを歩くこともなく、数年経過するとなぜ「2」なのかという意識も薄れてくるので、「春の小川コース」にすべきだったかなとか、でも歩くのは春ではなく残暑厳しき秋だしな、などと考えているのですが、会員さんにとってコース名はそれほど重要視されていないのかもしれません。
真夏の空気が一気に乾いた秋の空気に代わり、熱帯夜から解放された週末のウォーキングで24名くらい参加者がいたでしょうか?この日のウォーキングも盛況でした。


東大駒場一号館

駒場博物館前のヒマラヤスギ

学内のイタリアントマト
井の頭線駅改札に集合し、東大駒場正門前に移動してストレッチを行います。学内では何か試験が行われていたらしく、守衛さんから「静かに通行してください」とお願いされ、正門から裏門まで静かに歩いて山手通りに出ました。


三田用水
三田用水の暗渠化が始まったのが昭和4年ということですが、さすがに当時の様子とは違っているものと思われます。茶屋坂隧道がなくなるなど、三田用水の遺構が徐々になくなる中、看板も無く扱いが軽いですね。


ヤマザキカレッジ

鍋島松濤公園
Wikipediaから引用してみましょう。
元々当地一帯は江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があったところで、1876年(明治9年)に佐賀の鍋島家に払い下げられた。鍋島家は当地に茶園を開いて「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売も行っていた。1932年(昭和7年)になると茶園は廃止され、湧水池のある一角が児童遊園として整備され、1932年(昭和7年)に東京市に寄贈された後、1950年(昭和25年)からは渋谷区に管轄が移されて現在に至っている。
静岡県の牧之原台地を開墾して茶畑にしたのは旧幕臣であったというドキュメンタリー番組を見て、士族を救済するための茶業は一般的だったのだなぁと思いました。
黒船来航が1853年で、その翌年に日米和親条約、1858年に日米修好通商条約に調印しています。1868年の輸出額割合は生糸の40%に対し、茶は23%でした。1875年(明治8年)の輸出額割合は生糸35%に対し、茶38%と茶の輸出額が逆転しています。日露戦争開戦後の1905年となると茶3%、生糸23%、絹織物12%と茶の輸出はインドやセイロンに負けて下火となってゆきました。


宇田川緑道
宇田川は渋谷川の支流で、1964年の東京オリンピックの際の下水需要の急増により暗渠化されました。あのオリンピックがなければ今でもボットントイレ、ということはなかったと思いますが、水洗トイレの普及はもっと遅れていたことでしょう。


光子館

SENSUOUS

セバスチャン
緑道沿いにある光子館は着ぐるみを作る会社でテレビ業界では有名なようです。SENSUOUSは熱帯魚屋さんというより、水草をレイアウトした水槽を熱帯魚ごとレンタルしている会社で、NHKニュース番組の背景になった水が流れるガラスをこまめにメンテナンスするためにこちらに移転してきたとか。セバスチャンはかき氷をベースにしたケーキで有名なお店です。この手前にある丸木屋商店の角打ちはディープな世界でなかなか足を踏み入れることができません。


東京フェニックス
河骨川が宇田川の合流するあたりで、宇田川が渋谷西武A館B館の間を流れて宮下公園あたりで穏田川と合流して渋谷川になること。渋谷川は天現寺橋で笄川と合流して古川になり、東京湾に注いでいることなどを説明しました。会員にラグビー選手の娘さんを持つ女性がいるのですが、東京フェニックスの選手ではないようです。


春の小川看板
河骨川暗渠を歩いているとこの看板をいくつか見ることができます。


小田急線
現在小田急線が走っているところも元は河骨川の川原です。小川と言ってもそこそこの川原を持っていたのでしょう。


小田急線から見える看板

春の小川の碑
春の小川のモデルとなった言われる川はいくつかあって、河骨川もその一つとなっています。


代々木公園参宮橋門
現在の参宮橋は小田急線を越える跨線橋ですが、もともとは河骨川にかけられた橋の名前でした。参宮橋門となっていますが、小田急線参宮橋駅からは800mあり、450mの代々木八幡駅が最寄り駅となります。


代々木公園バードサンクチュアリ


東京オリンピックの選手宿舎
代々木公園内を時計回りに歩いて、原宿門近くに一棟だけ残されている1964年の東京オリンピックの際の選手宿舎を見学です。この建物は選手宿舎として建てられたものではなく、太平洋戦争後、進駐軍のアメリカ軍将校の家としてワシントンハイツに建てられたものを流用しています。いろいろな意味で貴重な資料だと思うのですが、あまり紹介されることはないようです。

この後先週に引き続き串カツ田中へ。今回は百軒店店でなく神泉店を利用させてもらいました。しかも先週の6名からボリュームアップで14名。この人数で来店されると手が回らなくなるところが多く、なかなか悩ましいです。ゆっくり串カツを楽しみ、大いに酔っぱらいました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原宿とその界隈コース 約4.8km

2018-08-14 09:47:53 | ウォーキング
先週も猛暑のためウォーキングは中止となり、二週間ぶりのウォーキングでした。このコースはもともと渋谷区役所のホームページで紹介されていたのですが、現在リンクが切れており地図をダウンロードすることはできなくなっています。


代々木公園の通り
この日の集合場所、代々木公園原宿門まで歩いて向かうことにしました。原宿駅前から代々木公園沿いを通るこの道は名称がなく、原宿駅前までは表参道。代々木公園交番から先は井の頭通りと呼ばれます。深緑がきれいな季節です。



噴水

バラ
噴水はいちばん高くなるまで数枚撮ったのですが、高くなると空と一体化してしまい、写真としてよくわからなくなりました。



代々木公園原宿門
こちらが集合場所。暑さに負けず21名が集まりました。ストレッチをしていると外国人観光客が写真を撮ってゆきます。そんなに珍しい光景でもないと思うのですが。。。


五輪橋

原宿駅

神宮前一丁目
五輪橋を渡り原宿駅前の人混みの中へ突入しました。まもなく改修予定の原宿駅です。何度もそのように紹介しているのですが、いまだに健在です。駅の対面は大きなビルが建つのかな?


竹下通りに突入
私にとって「日本の歩きたくない道、筆頭」にあげられる竹下通り、お盆時で他の街は閑散としているのですが、繁華街はいつもより人が多い。いつも以上に歩きにくい道でした。100円ショップダイソーの一部が、ビックカメラになっていた!




東郷神社
こちらは人が少なくホッとします。


東郷記念館
明治通り側に出てくると「東郷記念館」と書かれた真新しいビルが建っています。一階にはショップが入っていますが、上の方は何になるのでしょう。


ニューバランス

アシックス
竹下通りの出口あたりはスニーカーを扱う店が多いです。アシックスは東郷記念館のテナントで、最近オープンしたばかりでしょうか?


eggs'n things
パンケーキ屋さん。行列ができていました。


表参道ヒルズ

表参道
表参道ヒルズはケヤキ並木のの景観を損なわないよう、並木に合わせた高さになっています。欅は日本人にはなじみの深い樹木ですが、分布は東アジアと日本に限られ欧米にはないようです。和英辞典で調べると“zelkova”なのですが、この単語はなじみがないようで外国人にはほとんど通じません。“a kind of elm tree”くらいが妥当なようです。


キャットストリートのたこ焼き屋
ブラタモリの初回は表参道で、このたこ焼き屋で買って食べていました。お相手は久保田祐佳アナウンサーでした。


Jack Wolfskin

Columbia

サムソン

Patagonia
キャットストリートにはキャンプ用品の店が並びます。表参道に並ぶ店とはちょっと違うということかな。


穏田神社参道

穏田神社拝殿

旧第一鳥居の柱基部
旧第一鳥居の柱基部
 此の鳥居は、旧穏田三丁目七十九番地(現神宮前六丁目二十八番、三十二番、三十三番)に鎮座した熊野権現の参道に、今から約三百三十年余り前に建立されました。
 この柱の基部の『延宝七年末四月二日』の刻印は、解体中偶然に見つかりました。(平成十年の解体時には見つからず。)
 社史には「旧第一鳥居の柱基部に『延宝七年末四月二日 浅野但馬守 浅野将監』の刻みあり」と伝わっていましたが、人命が刻まれてなかったのが残念であります。
 鳥居は、明治十八年、熊野権現を合祀の際、現在の第一鳥居の場所に手水石(広島藩浅野家二代藩主松平安芸守光成晟室自昌院の家紋梅鉢の刻んだ手水石)とともに移設されたものです。
 震災・戦災を免れ、平成二十四年まで三百三十有余年もの間、大神様の御稜威と共に、宮居を守り氏子の発展を見守って参りました。
 手水石と共に穏田神社の創建当時をしのぶ物証として、後世に伝え残す者であります。
   平成二十四年十二月吉日
    穏田神社 宮司 船田泰次
         総代一同



大山史前学研究所
この場所には大山公爵邸がありました。


アップルストア
再び表参道を横断して神宮前四丁目へ。


FLYING TIGER COPENHAGEN
雑貨屋さんのようですね。


古そうな建物

とんかつまい泉

古そうなお蕎麦屋さん
まい泉青山本店前の通りはまい泉通りとも呼ばれます。この建物はもともと銭湯だったそうで、元銭湯の脱衣所がレストランになっています。調べてみて写真を見て、一度訪ねて見たくなりました。


穏原小学校旧跡
穏原(おんばら)小学校旧跡
 この道路の向かい側に、かって穏原小学校がありました。
 この学校は、妙円寺などの寺子屋の児童を収容し、穏田・原宿両村の連合公立小学校として、明治14年(1881)に、当時の原宿七十番地に開校したもので、当初の児童数は24名にすぎませんでした。しかし、付近の住宅化が進むにつれ児童数も増加したため、明治21年(1888)にこの場所に校舎を新築し、移転してきました。
 その後、校地が再び狭くなり、明治33年(1900)に原宿百七十番地に移転、さらにまた、現在原宿中学校がある場所に移りました。
 この間、大正11年(1922)には分教場(現在の神宮前小学校)を設け、めざましい発展を遂げたのですが、昭和20年(1945)5月の空襲によって校舎を焼失し、児童数も激減したため、在籍児童を神宮前小学校に移し、昭和21年(1946)3月、65年にわたる歴史の幕を閉じましたが、この間はぐくまれた建学の清神は、多くの卒業生によって受けつがれております。
 渋谷区教育委員会

「おんぼろしょうがっこう」と呼んでいたと、どなたかから聞いたことがあります。


妙円寺

釣瓶

原宿発祥の地

浄行菩薩
釣瓶にアサガオでも這わしておいてくれればいい写真になったのになどと考えながら、境内をお借りして休憩しました。原宿は前出の「どなたか」が幼少時代を過ごした場所で、このウォーキングもふるさと探訪シリーズとなっています。体調を崩され今は歩くことができない「どなたか」の快癒とウォーキングへの参加を、浄行菩薩様にお祈りしました。


キース・ヘリング

ロータス

ボーネルンド
明治通りの坂を上り、千駄谷小交差点を左折します。このあたりのコースは少し冗長なので、変えてみようかなという気持ちがあります。


原宿駅竹下口
知らない間にこんなお店ができていました。
この後代々木公園原宿門へ戻り、ストレッチをして解散しました。残暑の中でのウォーキングで汗びっしょりになりましたが、汗を流すのも健康にいいかなぁと思います。

有志は道玄坂上まで歩き串カツ田中渋谷百軒店店で大いに盛り上がりました。安く酔っぱらえてなかなかいいね!


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする