目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

下馬太子堂三宿コース 約6.8km

2022-01-31 14:07:25 | 東京都目黒区、世田谷区
ブログを見返すとこのコースを歩くのは三年ぶりです。2020年はどうしたんだっけとさらに調べてみると雨で中止にしていました。お隣なのに世田谷区をメインに歩くコースはあまりなく、隣村(荏原郡下馬引沢村)の寺社をめぐるコースは改めて面白いなぁと感じたところです。


五本木児童遊園
祐天寺駅改札で集合し、上目黒小学校に貼り出された昔の祐天寺駅界隈の写真を見ながら盛り上がり、こちらの公園をお借りしてストレッチをしてスタートです。



謡坂

アベイズム
木の標柱は目黒区で設置しているもので風雨にさらされ読めなくなっています。石のものは沿道のマンションに設置されたもの。アベイズムはこちらが本社の印刷関連会社のようです。


蛇崩川支流緑道

紅梅

ソメイヨシノの古木

芦毛塚
新導入のミラーレスは「すげえ」と思えるくらい自動で最適露出を選択してくれるのですが、さすがにこの紅梅は無理でした。どう補正しても写真にするのは難しそうだけど。
芦毛塚は下馬の字名の元になった場所。Wikipediaから引用してみましょう。
地名の由来
旧:荏原郡下馬引沢村(しもうまひきさわむら)の省略による。源頼朝が遠征に向かう途中この地を訪れ、土砂崩れに遭った際、「以後ここを渡る際は、馬を曳いて渡れ」と命じたのが由来とされる。また、この他にも、駒繋、駒留など馬にまつわる地名が存在する。蛇崩交差点から五本木方面に向かう道の真ん中にこの馬を埋めたことに由来する「葦毛塚」がある。また駒沢は、合併時に「馬引沢」などの地名に因んでつけられた新しい村名である。


著名な出身者としてずんの飯尾和樹が紹介されています。出身の小中学校は紹介されていませんが、両親は目黒区役所勤務の公務員だったとのこと。


キンカン

世田谷区の蛇崩川緑道は工事中

宮下橋

駒繋公園

ソメイヨシノの古木
宮下橋から上流の緑道の工事が終わったので、現在はその下流の世田谷区内の改修工事が始まっています。宮下橋の宮は駒繋神社。公園は宮下公園ではなく駒繋公園。駒繋という字名は源頼朝が神社に戦勝祈願に訪れた際馬を繋いだとされる木から来ています。駒繋小学校の児童は校名を書くのに苦労したことでしょう。


神橋

御神木(イチョウ)

拝殿

稲荷社

大国主扁額

九百周年

招魂社

神社を巻いた蛇崩川緑道
子の神として古くから親しまれています。




重要文化財武家屋敷門

西澄寺御本堂

お地蔵さまと梵鐘

紅梅

雪囲い

マンリョウ
西澄寺は龍雲寺通り沿いの落ち着いた雰囲気のお寺です。龍雲寺通りですが目黒区内の地図表記は野沢通り。タクシーの運転手さんにも通じますが、私が子供の頃はオリンピック道路と言っていました。昭和15年に実施されなかった東京オリンピックで整備された道でした。


弘善湯

目黒五十番

栄通り商店街

うまえびす
西澄寺裏を道なりに歩き栄通り東端から栄通り商店街へ。玉川通りを横断します。


大山道道標

キャロットタワー

世田谷線

教学院

教学院納経堂
教学院についてWikipediaから引用します。
最勝寺(さいしょうじ)は、東京都世田谷区太子堂四丁目にある天台宗の寺院。寛永寺の末寺の一つである。通称教学院(きょうがくいん)、正式名称は竹園山最勝寺教学院。目青不動(めあおふどう)の通称でも知られる。

本尊
本堂本尊 - 阿弥陀如来
寺伝では源信(恵心僧都)の作という。
札所本尊 - 不動明王
明治15年(1882年)に廃寺とされた観行寺(正善寺とも)の本尊であった不動明王像。伝承では円仁(慈覚大師)の作という。江戸五色不動の1つの目青不動である。秘仏であり公開されていない。前立ちの青銅製不動明王像は寛永19年(1642年)の作である。

歴史
寺の縁起によれば、応長元年(1311年)、玄応和尚によって江戸城紅葉山付近に創建され、太田道灌による江戸城築城(康正3年・1457年)により麹町貝塚に移転、のちに赤坂三分坂(青山墓地近辺)へ移転したという。その後慶長9年(1604年)、青山南町(百人町)に3000坪の土地を与えられ移転し、明治42-44年(1909年-1911年)、太政官布告により3カ年の期間を経て現在地に移転したという。
上記の縁起を信じれば鎌倉時代の創建ということになるが、玄応和尚による創建を慶長9年(1604年)とする説もある。
明治8年(1875年)には当時青山にあった境内地のうち100坪に「幼童学校」を創立。これが後の青山南町小学校となった。明治15年(1882年)には当時麻布谷町(現・港区六本木一丁目付近)にあった観行寺が廃寺になったことに伴って本尊の不動明王像(秘仏)と前立の不動明王像が最勝寺に遷された。この不動明王像は江戸五色不動の1つの「目青不動」と呼ばれるが、「五色不動」の呼称自体が近代に入ってからのものであることが指摘されており、正確な造像事情は不明である。
境内には小田原藩大久保氏・荻野山中藩(駿河松長藩)大久保氏・烏山藩大久保氏の歴代藩主の墓がある。


道標の上にある仏像は不動明王だと思います。この辺でお不動様はあったかなぁと考えてみると目青不動があり納得しました。寺の歴史を見るとお不動様が移設されたのは明治になってから。道標の設置は江戸時代です。さらに調べてみると大山道の道標には不動明王像が多いとの情報。大山と言えば「大山阿夫利神社」ですが、「雨降山 大山寺(大山不動)」があるので、不動明王像なのでしょう。


アセビ?
アセビのようだけど時期も違うし、調べてもわかりませんでした。


太子堂弁天


太子堂八幡宮

神楽殿

稲荷社


お狐様

花手水

門前の紅梅
三軒茶屋駅を過ぎると怒涛の寺社巡りです。


八幡湯

聖徳太子参道
この道標は茶沢通りにあります。この日の通りは歩行者天国。


東京ワンタン本舗

林芙美子旧居
祖父が聞いていた競馬中継ラジオでの東京ワンタン本舗のCMを覚えています。まだ小学校に上がる前だったんじゃないかな。「赤ちゃんおめぇの顔見たら、ワンタン餃子を思い出す。結婚してけれねぇハナちゃん、東京ワンタン本舗」というもの。YouTubeでも見つけることが出来ませんでした。


円泉寺の白梅


地蔵堂のタヌキ




聖徳太子堂

古木の庚申堂
狸が袈裟を纏っています。


三宿の森の紅梅

紅梅の蕾

アカマツと十三重の塔

大日如来?

釈迦如来?

地蔵菩薩

不明

コブシの花芽
三宿の森は個人の邸宅から法務省の施設となり、大蔵省管理となった後世田谷区が買い取り公園になったという経緯から、個人の邸宅時代からあったと思われる不思議なものがあります。



三宿神社

稲荷社

神楽殿
三宿の森に隣接する三宿神社で怒涛の寺社巡りは終了。


多聞寺橋
烏山川にかかっていた橋の跡で忘れていましたが以前も写真に撮ってブログに載せていました。付近に多聞寺という寺院はありません。現在の多聞小学校の場所にあったと言われる三宿城が多聞寺砦とも呼ばれていたので、そんな関係かもしれません。もう少し読みやすい字でもいいと思います。


緑道沿いの紅梅

補助26号線

シャクナゲ
環状6.5号ともいわれる補助26号線は信号機が設置されまもなく運用開始でしょうか?五本木の方はこんなに進んでいないように思います。シャクナゲは時期になると大きな花をつけますが、今から準備が進んでいるのですね。


ギョリュウバイ

カワヅザクラの蕾

ホソバヒイラギナンテン

緑道の鯉

ハボタン
三宿神社でストレッチを済ませているので、流れ解散で大橋まで歩いてきました。爆発的な感染拡大の割には14名の参加と、三回目接種を済ませている会員も出てきているようです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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目黒七福神コース 約7.0km

2022-01-10 10:44:23 | 東京都目黒区、品川区、港区
あけましておめでとうございます。
すこやか歩こう会では「目黒七福神」と言っていますが、正式名称は「元祖山手七福神」となります。新宿にも山手七福神がありそれと区別するためかな。
このコースは二年ぶりになります。毎年新年一回目のウォーキングコースとしてすこやか歩こう会始まって以来続けていましたが、昨年はCOVID-19の対応のため別のコースを歩きました。コロナ禍は今もおさまっていませんが、一年間対応を模索し、皆さんワクチン接種されているということで七福神めぐりコースを復活させました。コロナ禍前の生活を取り戻して初めて新型感染症に打ち勝ったと言えるのでしょうが、今はまだ道半ば。しかし着実の前へ歩んでいると思っています。

年末に新しいカメラを購入したので、今回は写真多めです。カメラ機能の違いについても少しだけ触れてゆきたいと思います。



大鳥神社
集合場所は山手通りと目黒道理に交差点にある大鳥神社。こちらは七福神巡りとは関係ありませんが、すこやか歩こう会の会員の方の多くはこちらで新年のお参りをしてから歩きはじめです。この日はにぎやかだなぁと思ったら、練習を終えた少年野球チームがお参りに来ていました。目黒の由来について他で聞いたことがないような記述があったので、Wikipediaから引用します。
大鳥神社(おおとりじんしゃ)は、東京都目黒区下目黒にある神社。かつての目黒村(それ以前は下目黒村)の総鎮守。11月に行われる酉の市でも知られる。目黒区最古の神社。

部下の目の病を治癒を祈願し、無事治癒した由緒があり、盲神(めくらがみ)と呼ばれ、この「めくら」が段々と訛っていき「目黒(めぐろ)」という地名の由来の神社となっている。







蟠龍寺(弁才天)

岩屋弁天
ウォーキング際はコンパクトデジタルカメラ(以下コンデジ)を使っており、ときどき思うように撮れないケースがありました。新しく購入したのはミラーレスデジタルカメラ(以下ミラーレス)で、私が使っているデジタル一眼レフカメラと同程度の大きさのイメージセンサーを備えている割には、コンデジ同様にコンパクトで手軽に撮影できます。コンデジではこの岩屋弁天の写真は撮れませんでした。



成就院(蛸薬師)
こちらも七福神めぐりとは関係ありませんが、今年一年の健康を願って皆さんお参りしたい場所です。蛸薬師についてWikipediaから引用してみます。
蛸薬師(たこやくし)は、日本における伝承信仰。京都や東京の蛸薬師が知られているが、伝承自体は愛媛県、千葉県、神奈川県、福井県、兵庫県、大阪府、岩手県、埼玉県、栃木県、静岡県、山形県など全国各地に存在する。その由来は地方によって様々であるが、身の危険を感じると墨を吐く習性のある蛸は暗闇でも見える目を持つ生き物とされ、これにあやかって眼病を治すと言われたり、吸盤によって吹き出物や疣を取り払う効能があるとされたりする。

東京の蛸薬師
東京目黒区の蛸薬師は成就院の本尊とされ、慈覚大師(円仁)が自身の眼病平癒のために作ったものに由来すると伝えられている。慈覚大師が唐から帰朝の折に暴風雨に遭い、その際に先の像を海に投じて祈ったところ、無事帰り着くことが叶ったという。その後諸国巡礼の際に肥前松浦で投じた薬師像が蛸に乗って顕現し、小像は慈覚大師の手元に戻ることとなった。目黒で疫病が流行した際に、この小僧を胎内仏として製作した薬師如来が現在の成就院蛸薬師となっている。成就院蛸薬師の効能について、井上喜平治『蛸の国』では蛸を断食して祈ることで吹き出物・疣が治癒すると紹介されている。こうした話は松平定信の『花月草紙』にも紹介されており、民間伝承として広く信仰されていたことが伺える。





安養院
ロウバイを見るためにこちらに寄ります。葉をつけたままロウバイが咲いていますね。


比翼塚


滝泉寺(目黒不動:恵比寿)
目黒不動は広すぎて、恵比寿神にお参りをせず不動明王を拝んできました。お寺でははじめにご本尊にご挨拶することが礼儀なので、そのあと三福堂にお参りするのは導線的に難しいかな。


凍結路面
三日前に降った雪がその後の冷え込みにより凍り、ところどころこんな状態になっていました。



甘藷先生のお墓
目黒不動と言えば青木昆陽。


レトロな医院

レトロな居酒屋

目黒川

目黒雅叙園前の紅葉
雅叙園の入口に「お七の井戸」があることを地図で知りました。今度行ってみることにしましょう。








大円寺(大黒天)
大圓寺に国指定重要文化財があることは知りませんでした。庚申塔も複数ありますが、目黒区のサイトでこちらの庚申塔は紹介されていません。「ここはもしかして品川区?」と地図を確認しても、Wikipediaを確認しても目黒区となっています。重文について調べてみると私の認識が誤っていました。唯一の重文だと思っていた円融寺の釈迦堂は「建造物としては唯一」と紹介されていました。建造物の重文にはその後旧前田邸の尊經閣文庫と洋館和館が指定されています。建造物以外では大圓寺の木造釈迦如来立像が昭和32年に指定されており、青木昆陽墓が昭和18年に国指定史跡になっています。戦時中の指定には特別な意味があるのでしょうか。



妙円寺(福禄寿、寿老人)





瑞聖寺(布袋尊)

布袋尊

御本尊の釈迦如来
目黒通りを東へ向かいます。通り南側の歩道はビルにさえぎられて日が当たらないため凍っている箇所が多数ありました。
布袋尊やご本尊は岩屋弁天同様にコンデジでは撮影できなかった被写体です。写真の露出を決める要素は感度(ISO)、シャッタースピード、絞りです。フィルムカメラの場合はISOはフィルムの特性で決まってしまうので撮影中に変更することはなく、シャッタースピードと絞りのみの調整でした。プログラムオートを利用するとピントが合う範囲を工夫できないので、絞りは自分で決めてシャッタースピードをカメラ任せにする絞り優先オートで撮影していました。デジカメになりISO、シャッタースピード、絞りの三要素が可変になっても、絞り優先オートで撮っていましたが新しいカメラを導入し「プログラムオートでもいいんじゃない」と思い始め今はその実験中です。布袋尊はISO6400、御本尊はISO4000で撮影されていました。ISOが高くなるとノイズが入り画像があれるのですが、撮像部が大きいこと、設計が新しいためノイズが気にならないシャープな写真が撮れていました。明るい場所の御本堂外観などは、ISO100で撮られており手ブレの心配がある場合のみ高感度撮影が行われるようです。





覚林寺(毘沙門天)
ちょこっと顔を出した子狐様がかわいいです。



明治学院

二本榎出張所
桜田通りを南へ向かいます。夕方になり寒くなってきました。






池田山公園
マクロレンズではないのであまり寄ることはできませんが、チルト式ディスプレイがついているので地面近くの被写体が撮りやすくなりました。


タイ大使公邸
目黒駅へ戻り自転車文化センター裏の公園は子供たちが遊んでいたので、目黒セントラルスクエア森の広場の一角をお借りしストレッチをして解散しました。その後中目黒で小規模新年会。

本年もよろしくお願いします。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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