目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

東部地区コース

2014-01-27 00:03:35 | ウォーキング

写真:目黒川緑道の蝋梅
まずは先週載せ忘れた、蝋梅の写真です。少しずつ梅の花も開き始めましたね。

今日のウォーキングコースは東部地区です。歩き始めは季節外れの暖かさだったのですが、途中から北風が強く吹いて寒くなりました。今日ほど天気予報をありがたく感じた日はありません。

私たちすこやか歩こう会は目黒北部のウォーキングクラブです。区内には我々同様目黒ウォーキング協会に所属する四つのクラブがあります。林試の森辺りを拠点とする東部ウォーク、碑文谷体育館を拠点とする目黒ウォーカー、向原住区を拠点とする目黒サウスウォーク、都立大学駅あたりを拠点とするWest Windです。
目黒区では区役所の組織としての地域の拠点「住区」というもの(小学校の学区を元に構成されているようです)があります。目黒区で北部に位置する菅刈住区、駒場住区、東山住区、烏森住区が我々の地域になります。菅刈の「す」、駒場の「こ」、東山の「や」、烏森の「か」をとって「すこやか」歩こう会と名づけられました。

今日は東部ウォークが拠点とするあたりを歩くので東部地区コースと名づけられています。



写真:油面公園の寒紅梅
祐天寺の境内を借りて準備運動をしたあと林試の森に向け南下するコースです。この季節なのでいつもは通らない油面公園をのぞいてみました。寒紅梅というだけあって、すでにほころび始めていました。
目黒通りを目黒から玉川方面へ向かうと、元競馬場の先に「油面」という交差点名を見た記憶があるかもしれません。油面は現在住所表示には使われていませんが、江戸時代から使われていた由緒ある地名です。油面小学校は大正14年創立で区内でも古くからある小学校のひとつです。油面の由来は、、、などと書き始めると終わらなくなるので、この話はまた次回。



写真:目黒消防署

写真:目黒消防署裏郷愛の鐘
目黒通り沿いにある目黒消防署では、区民の生命を守るため日々訓練が積み重ねられています。普段あまり見ないので、しばし訓練の様子を見学させていただきました。


写真:林試の森
目黒区と品川区にまたがる林試の森公園は文字通りかつて林業試験場があった場所にある都立公園で、さまざまな木が生い茂る公園は近隣住民の憩いの場所です。こちらに植えられている河津桜はまもなく開花を迎えるでしょう。


写真:目黒不動内豊川稲荷

写真:まもなく節分

写真:観音堂前の枝垂れ梅

写真:地蔵堂前の紅梅

写真:独鈷の滝

写真:水かけ不動
区名の元になっている目黒不動瀧泉寺は何度も訪れていますが、お堂や石碑などいろいろなものがあり毎回新たな発見があります。
独鈷の滝は西郷隆盛が島津斉彬の快癒を願って水垢離をした場所です。

ウォーキングはこのあと目黒川沿いに北上して、中目黒舟入場公園でストレッチをして解散となります。
そして一部メンバーは餃子のおいしい中華宝来で。。。
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下馬太子堂三宿コース

2014-01-19 16:02:41 | ウォーキング
初めて歩いたコースでした。
目黒区内はほとんど歩きつくした感じなのですが、隣接する世田谷区でも近くにあるこれらの地域、通り抜けることはあっても寺社にお参りすることはなかったので企画してみました。

祐天寺駅をスタート地点として芦毛塚へ。源頼朝が乗っていた馬が突然暴れだし、沢の深みにはまって死んでしまったため不吉を払うために作られた塚です。道の真ん中に残された史跡で、この道は蛇崩と駒沢を結びます。区界にもなっていることから古い道と考えられ、私は鎌倉街道の一部だと思っていますが裏付ける資料がありません。



写真:駒繋神社
蛇崩川(現在は暗渠となり緑道)に架かる赤い太鼓橋が印象的な神社で、前はしょっちゅう通るもののウォーキングで参拝するのは初めてです。
大人数でどやどや行ったので神主さんが出てきて説明してくれました。
神社を横から見るとよくわかるが、社殿は本殿、幣殿、拝殿の三つが合わさって出来ていること。我々が拝んでいるのは本殿ではなく拝殿であること。本殿の屋根の上に設置されている丸田のようなものが奇数であれば祭神が男の神様、偶数ならば女の神様であること。(写真は木に隠れて三本しか見えていませんが駒繋神社の本殿の上には五本ありました)
もともとは子の明神と呼ばれ大国主命が御祭神であること。源頼朝が藤原泰衡征伐のため軍を率いて奥州へ向かう際、境内の松に馬をつないで戦勝祈願をしたので駒繋神社と呼ばれるようになったこと。午年の今年は馬にちなんだ神社ということで参拝者が多いことなどを手短に説明してくださいました。ありがとうございました。



写真:西澄寺の山門(武家屋敷門)
野沢通りに面している西澄寺の前は車でしょっちゅう通るところですがこんなに立派な山門があるとは知りませんでした。東京都の文化財に指定されており、徳島藩蜂須賀家の三田中屋敷から移築されたそうです。
この山門は行って見てみる価値があります。もちろんお寺も落ち着いたいい雰囲気です。



写真:教学院(目青不動)
三軒茶屋駅のすぐ近くにある、江戸五色不動のひとつ目青不動です。我が区名の元になっている目黒不動には大変なじみがありますが、目と鼻の先に目青不動があることを今回初めて知りました。
社殿の脇にある民家風の引き戸が話題になり、五時になると仕事を終えた不動明王が帰り支度をしてあそこから出てくるのではなどと考えてみました。



写真:太子堂八幡神社
こちらの境内には児童公園があり子供がたくさん遊んでいる大きな神社でした。



写真:円泉寺聖徳太子堂
林芙美子住居跡の近くにあるこちらのお寺のこのお堂が「太子堂」という地名の由来です。太子堂という地名は私が子供の頃からよく聞いてたものですが、聖徳太子堂がその由来になっていることははじめて知りました。歩いてみるといろいろと面白い発見があるものです。こんな発見が面白いと感じる年になったという話もありますが、郷土の歴史に興味を持つことはよいことなのでしょう。
林芙美子がすんでいた貧しい二軒長屋の隣には壺井栄が夫婦で住んでいたそうです。


写真:三宿神社
こちらも比較的広い神社でした。目黒区内と比べると世田谷の寺社が広めに感じられるのは、目黒よりちょっとだけ田舎で開発されるのがちょっとだけ遅かったため、地域が寺社を大切に守ってこられたのかもしれません。五十年前の東京オリンピックまでは、なんでもありといった感じで開発が進められたイメージがあります。

ホンの目と鼻の先の世田谷区も新しい発見がたくさんあって興味深いウォーキングコースが出来そうです。現存する庚申塔の数も目黒の二十数基と比べ、二百基以上と桁違いです。
広いからと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、世田谷には目黒以上に江戸の名残を残す場所が多いのでしょう。これからも少しずつ探索して新たなウォーキングコースを設定してゆこうと思います。
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玉川上水 羽村から牛浜

2014-01-17 23:41:23 | ウォーキング
このコースを歩くのは2006年5月以来です。すこやか歩こう会の初代企画委員は会員をあちらこちらに案内することに喜びを感じていました。
二代目企画委員に就任した私は、その伝統を受け継ぐものの、そんなにあちらこちらを案内できないジレンマを抱えて、数年後にある方針を打ち立てました。
・発行する二か月分8回のウォーキングで同じところは歩かない
・二ヶ月に一回はこれまで歩いたことのないコースを企画する
そこで思いついたのは、テーマを決めて歩くことではじめのテーマとして選んだのが玉川上水でした。
川に沿って歩くコース(この場合は川ではなく上水ですが)は、歩くルートが限られるので下見に行かなくても地図の上に線を引いただけでコースを決定できるのです。

初めて玉川上水を歩いてから8年経過し、玉川上水沿いを歩いたことのないメンバーが増えてきたので、以前の地図を引っ張り出して羽村の取水口から四谷大木戸までのコースを数回に分けて、再度歩くことにしました。

写真:稲荷神社
駅から羽村の堰までの途中にある稲荷神社で、行程の無事をお祈りしました。

写真:羽村取水口

写真:玉川上水の始まり

写真:玉川兄弟の銅像

写真:河川敷のどんど焼き
羽村の堰は現在でも東京都の水道施設として多摩川から取水しています。江戸時代玉川兄弟が開削した当時からは改修を重ねてまったく違うものとなっているのでしょうが、取水口を見ると「これが玉川上水の始まりなのだ」という思いが浮かんできます。

この日は真冬にもかかわらず穏やかで風もなく、重ね着した服を脱いでいっても少し汗ばむくらいのウォーキング日和でした。
上水沿いを牛浜駅まで軽やかに歩きました。ちょっと歩き足りないので遠回りしてしまったくらい快適なウォーキングでした。

牛浜駅で解散後、女性陣はジョナサンでおしゃべりをしながら、男性陣はステーキのドンでビールを飲みながら昼食をとってからそれぞれ帰路につきました。

帰り道、一部は渋谷マークシティーのライオンへ。。。
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