目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

南東部公園コース 約7.5km

2022-03-31 13:30:14 | 東京都目黒区、品川区
期せずして花見日和のウォーキングとなりました。今回種類が分からないサクラは「サクラ」とだけ書いておきます。また自信のないものには「?」をつけておきます。


シダレザクラ?
船入場へ向かうまで、近所のサクラです。コヒガンザクラから派生した枝垂れだと思うのですが、きれいなピンクはベニシダレザクラなのかも。


ヤマザクラ

スミレ
これも船入場へ向かう途中のお宅。


サクラ
葉が出ていなければソメイヨシノとするところですが、ちょっと違うんですよね。


花見客でいっぱい

目黒川とアトラスタワー
目黒川は花見の名所として紹介されているので花見客でいっぱいです。東横線鉄橋より上流と比べると下流側は比較的少ないのですが、やっぱり人が多い。花に見とれていたり、突然道の真ん中に立ち止まり写真を撮り始めたりするのでウォーキングの我々とは相性が悪いようです。


目黒川沿い

イチゴ

目黒清掃工場緩衝緑地のソメイヨシノ

田道小学校のソメイヨシノ

目黒川にカヌー
以前に比べれば比較的奇麗になったと言ってもやっぱり匂うし、ここでカヌーはしたくないなぁ。


花の影(EOSKissM2)

花の影(Optiow90)
目黒区民センターにある朝倉文夫さんの作品です。Optiow90は2010年から使っているカメラですから最新のミラーレスと比べても仕方ないのですが、EOSKissM2の方がディテールが表現されているかな。この彫像は副題に「平和祈念の彫像~世界の恒久平和を願って~」とありますが、現在は「そんな日は永遠に来ない」という絶望感があります。


ニワウメ

大鳥神社交差点の彫像

ウクライナ国旗
輸入雑貨のお店でしょうか?ウクライナ国旗が掲げられていました。


目黒不動の大日如来

ソメイヨシノとナノハナ

サクラ
「サクラ」としたのは左はソメイヨシノですがその隣の少しピンクの濃いサクラは種類が分かりません。


仁王門とソメイヨシノ

フキノトウが林立
ウォーキングは27日、翌28日は不動明王御開帳のお不動様で縁日があるので準備が進んでいました。三福堂のソメイヨシノの下にはフキノトウが林立。


林試の森のサクラ

スミレ
ここのサクラは木の形がソメイヨシノと違う気がします。コヒガンザクラかな。ネットで調べるとソメイヨシノと分類している記述が多いようです。運動場の方はたくさんのソメイヨシノがありますが。。。


清水池公園のソメイヨシノ

碑さくら通りのソメイヨシノ

目黒七中のソメイヨシノ
「校章は梅」だけどその上はサクラ。


円融寺

ソメイヨシノの間にサレジオ教会

円融寺幼稚園のソメイヨシノ

サンシュ

ソメイヨシノの古木と釈迦堂


ベニシダレザクラ(八重)?

ベニシダレザクラ?と仁王門


わらじ


黒仁王
円融寺は落ち着いていて絵になります。


立会川緑道のソメイヨシノ
少し早めで散り始めていました。


碑文谷八幡のサクラ
ソメイヨシノの古木が並んでいましたが全て切り倒し、若木が植えられていました。若木はソメイヨシノではありません。


ソメイヨシノとサレジオ教会

碑文谷公園のソメイヨシノ
はじめから最後までサクラ尽くしのウォーキングとなりました。歩き出しはぽかぽか陽気だったのですが、途中から雲が覆って冷たい風が吹いてきました。洗濯物を干してきたので雨でも降ったら大変と、急いで帰宅しました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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文化財めぐり三田・青葉台コース 約6.1km

2022-03-20 12:58:02 | 東京都目黒区、渋谷区
夕方からにわか雨の予報ですが、目黒川船入場に集合したころはぽかぽか陽気でした。



近所のコヒガンザクラ

目黒川とアトラスタワー
目黒川沿いのソメイヨシノも、まもなく開花といった感じで全体的に赤みを帯びています。


ユキヤナギ

レンギョウ

目黒清掃工場緩衝緑地
自衛隊の土手にあるユキヤナギはレンギョウは切られ過ぎなのか花の付きがいまいちです。清掃工場の工事に伴ってか、緑地も一部通行止めになっていました。


アネモネ
目黒区民センターでトイレ休憩です。こちらもよく休憩場所として使用させてもらっていますが、改築になると休憩場所難民になってしまいます。


ふれあい橋から恵比寿方面

日の丸自動車学校

千代ケ崎

三田春日神社
区民センターから北東方面へ向かいます。このルートはあまりなく珍しいです。自動車学校前の道は三田通り、この名前はあまりなじみがない。このあたりの「崎」は目黒台の台地と淀橋台が接している景勝地などにつけられます。淀橋台が目黒台より標高が高く西側の見通しが良いため、江戸時代より富士見の名所として江戸の人たちの行楽地となっていました。三田は「御田」が変化したもので天皇領だった場所。そのため奈良の神社の分社が村の総鎮守となっています。総鎮守の割に小さいのは港区三田にある春日神社の分社ということだと思います。


三田二丁目の路地

陸軍境界石
三田は戦災に遭わなかったのか細い路地が残っています。境界石の階段を上がったところには線路が敷かれ、工場で作られた火薬を白金の弾薬庫まで運んでいました。



茶屋坂
目黒のさんまはフィクションですが、徳川家光とこの坂の途中にあった茶屋の親父がモデルと言われています。



新茶屋坂
茶屋坂は狭くて急なので、切通しにして傾斜を緩くした新茶屋坂が造られ、三田用水の水道橋が昭和五年に建設されたようです。揮ごうした「西郷従徳」は従道の次男で西郷隆盛の甥にあたる人物です。西郷家を継いで侯爵になったのはこの人です。長男はロシア正教の洗礼を受けており、10歳で亡くなっているのですね。豊饒の海に出てくる侯爵は西郷従徳がモデルになっています。




艦艇装備研究所
この場所に軍の施設を作ったのは江戸幕府で、三田用水から落とした水で鉄の水車を回して火薬を製造していました。沿革の一部をWikipediaから引用します。
沿革
1857年(安政4年)徳川幕府が砲薬製造所を建設。
1880年(明治13年)6月:明治政府が目黒火薬製造所を発足。
1885年(明治18年)2月: 海軍火薬製造所を建設。
1930年(昭和5年)9月:海軍技術研究所が築地から移転。以後、敷地内に大きな円形の池が2つと大型水槽が設置され、大和 (戦艦)の模型のテストも行われた。
1945年(昭和20年)11月:イギリス連邦占領軍(オーストラリア軍)が進駐(エビスキャンプ)。英連邦軍東京分区本部(Headquarters, British Commonwealth Sub Area Tokyo)を設置。
1956年(昭和31年)1月:エビスキャンプ接収解除。



コヒガンザクラ

道しるべ

プリンスホテル
プラウド恵比寿ヒルサイドガーデン建設に伴い、道しるべの小屋も新築されています。ここにプリンスホテルが入っていることはなかなか気づきません。


トサミズキ

馬頭観音

アセビ



目黒新富士
恵比寿から別所坂公園へ向かい、新富士は別所坂公園となっています。


槍ヶ崎交差点
槍ヶ崎は大きな切通しになっていて、以前は掛樋で三田用水が通されていました。かつては玉電中目黒線が通っており、南の坂下に中目黒駅がありました。現在のバス停で言うと正覚寺ですね。玉電中目黒駅開業が昭和2年3月、その年8月に東横線も開業しています。東横線中目黒駅は当時の荏原郡目黒村大字上目黒字諏訪山になり現在は上目黒三丁目ですが、玉電中目黒駅があったため上目黒ではなく中目黒という駅名となっています。


朝倉邸の蔵

猿楽塚古墳

西郷山公園
目黒元富士を見た後、旧山手通りを北西に向かいます。二週間前満開だったカワヅザクラはすっかり葉桜です。


菅刈公園のソメイヨシノ

フキノトウ
菅刈公園北口付近でストレッチをして解散しました。



目黒川のソメイヨシノ
この状態ならこの日東京の開花宣言があると思ったけどありませんね。靖国神社のサクラ、開花が遅いんじゃない?


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上野桜木・谷中コース 約6.5km

2022-03-18 13:34:06 | 東京都台東区
以前は中目黒に集合し、上野から途中参加者が合流するというコースでしたが、地下鉄内で黙っていられない集団は世間から白い目で見られるので上野駅集合としました。


御徒町


公園交番前のサクラ
昭和通りを南下し、御徒町の立ち飲み街を通過してゆきます。多くの人がグラスを傾けていますが、帰りにここで飲もうかという気にはまだなりません。空いている場所に慣れてしまったので、人が多いと疲れます。交番前の早咲きのサクラはカワヅザクラではなく、ソメイヨシノに近い種類のようです。今回サクラの種類を特定していると先に進まないので、適当にしておきます。


清水観音堂

観音堂のサクラ
西郷隆盛像付近でストレッチと思いましたが、人が多く断念し観音堂脇の場所をお借りしてストレッチをしました。


時忘れじの塔
真新しい感じなので震災を忘れないためにたてられたものかと思ったら、平成17年に建立されたものでした。
時忘れじの塔

関東大震災(大正十二年)東京大空襲(昭和二十年)

  東京にも、現在からは想像もできない悲しい歴史があります。
今、緑美しい上野の山を行き交う人々に、そのような出来事を
思い起こしてもらうとともに、平和な時代へと時をつなげる心の
目印として、この時計台を寄贈しました。

建立、寄贈 初代林家三平妻 海老名香葉子
建立有志一同


戦争という愚行が繰り返される今、心に刻まなければなりません。


お花見禁止

小松宮彰仁親王像
歩く方向が決められていると歩きやすい。小松宮彰仁親王像をグラント将軍像だと思ってしまうことは二度三度ではないような気がします。すぐ裏にグラント将軍植樹碑があるので混同してしまっていました。昨年の大河ドラマでグラント将軍訪日の意味を理解したので、次回から間違わないようにしたいと思います。


上野動物園(休園中)

国立博物館

裸の王様
裸の王様は自身の間違いに気づくのですが、現代の裸の王様は子供が訴えても気づきそうにありません。残念です。


東京音楽学校

博物館動物園駅跡

黒田記念館

国立国会図書館 国際子ども図書館
上野は見どころが多いです。


上野寛永寺

左右に白梅紅梅

施無畏
施無畏とあるのでご本尊は観世音菩薩なのかと思ったら、御本尊は薬師如来でした。施無畏=観音様だと思っていたのですが、「畏れないで、施しなさい。」 という意味で、必ずしも観音様を指すものでもないようです。




吉田屋酒店


谷中霊園五重塔跡
五重塔跡で休憩です。


うなぎ

朝倉彫塑館

夕やけだんだん
このあたりも人が多いです。


岡倉天心記念公園

築地塀

台東初音幼稚園

閉店した酒店?
細い道をちょこちょこと南へ向かいます。



西光寺
この日は腰が痛い仲間が復帰したのでこれからも歩けるよう韋駄天にお参りしました。


谷中鬼子母神

三浦坂のヤナギ

せんべい大黒屋
三浦坂を下ると南東へ。先へ行くと本当に細い路地になります。





不忍池
不忍池ほとりでストレッチをして解散となりました。


鵜の集団






不忍池弁天堂

寛永寺清水観音堂

西郷隆盛像
上野駅までの最短距離、観音堂を抜けさくらテラスの階段を下りて帰途につきました。


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北部公園コース 約6.0km

2022-03-09 11:12:24 | 東京都目黒区
気温は高かったけど南風が強くて、ポカポカ陽気とは言えない一日。花粉Maxで目がかゆいウォーキングとなりました。


西郷山公園のカワヅザクラ
目黒川船入場で集合、ストレッチをした後目黒川沿いにさかのぼってゆきます。コースはプリンのマハカラの角を右折するのですがこの日は早めに右折し社会保険事務所の前を通り、東京音楽大学のコヒガンザクラを見に行ったはずなのに本隊は気づかず通り過ぎ、日向児童遊園のカンヒザクラを眺めていました。その後本隊は道を間違え菅刈公園を飛ばし西郷山公園へ。私もそこから合流です。



旧山手通り沿いの大規模開発
今は大使館などが並ぶおしゃれな旧山手通りですが、高台のため耕作には向かず山林だったはずです。江戸時代は豊後岡藩の下屋敷、明治時代になって西郷従道の屋敷となり、それ以降大区画で販売されたため個人宅が一軒売却されると大規模な開発となります。


神泉のローソン
この上のマンションに一時、保釈後のカルロス・ゴーンが住んでいました。今考えれば、あの保釈が間違いでしたね。


ヤマザキカレッジ

三田用水遺構

東大裏門

東大北門
前回このあたりを歩いた時、裏門、北門は閉ざされていましたが、ようやく解放されたようです。「感染予防のため関係者以外立ち入らないように」との張り紙がありますが、中を見ると犬を散歩させていたり近所の人はコロナ前同様に公園代わりにしています。以前から関係者以外立ち入らないようにと書いてありましたが、感染症を理由にあげられるとウォーキングで中を歩くのはためらわれます。


花屋のムスカリ
春になりお花屋さんもカラフルです。


駒場公園和館の白梅

駒場公園洋館

駒場公園の梅
木の枝が落とされ、建物の見通しが良くなりました。昨年と比べると梅は遅いです。梅の花が咲きはじめると嬉しくなるけど、桜が咲きはじめると梅はちょっと地味だなと感じたり。勝手なものです。


ケルネル田圃の水源

案山子?
ゴールは駒場野公園、ストレッチをして解散しました。駒場体育館にはいつもかかしコンクールに出品したものが飾られているのですが、これを出品したなら完成度高すぎじゃない?


ジンチョウゲ
西郷山公園に向かう途中ジンチョウゲが香っていたのですが写真を撮れなかったので、鉢植えのジンチョウゲを押さえておきました。


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【下見】呑川、化坂、秋山の森コース 約7.1km

2022-03-06 12:53:45 | 東京都目黒区、世田谷区
2月23日に下見で歩いたコースです。会員さんから「区内の道はすべて知っているじゃないですか」と言われることがあり、「そうでもないです」と言いながら結構知っている気になっています。すこやか歩こう会では最も古いコースの一つである呑川コースのブログを書きながら確認のために地図を見ているとき、「化坂」を見つけて興味をそそられました。台地の縁から湧水が出る「はけ」が語源ということです。まだまだ知らない場所があるなぁと感じました。


ロウバイ
都立大学駅近くの呑川本流緑道から呑川コースと同じルートをたどります。この時期まだロウバイが目立っていて、今年は梅が遅いですね。二月も寒い日が多かったから。


八雲氷川神社

とろけ地蔵

欅の気根
氷川神社にお参りします。表参道からの参拝はこれまでなかったかも。欅の気根は河童の手のミイラのようで面白い。


拝殿


神楽殿脇に展示された資料
資料はこれまで暗くて撮れなかったのですが、新導入のミラーレスで撮影可能となりました。



金蔵院

塔頭


金蔵院の梅
八雲氷川神社の別当寺。安土桃山時代の創建ということなので、氷川神社とどちらが古いかわかりませんが、個人の勝手な印象では氷川神社の方が古いかな。目黒区で一番古い、当時衾村で最初の小学校、八雲小学校の前身が明治四年に金蔵院の境内に設けられました。
目黒区で二番目の古い菅刈小学校は上目黒村寿福寺に明治八年に設けられました。寿福寺が管理していた神社は烏森稲荷神社。寿福寺の建立は江戸初期となっているけど鎌倉街道沿いにあり鎌倉時代にはあったと思われます。烏森稲荷神社と寿福寺では寿福寺の方が古い印象です。


呑川駒沢支流緑道から始まるなだらかな坂


八雲茶寮


化坂の解説標柱

深沢一丁目
整地されなだらかな坂になっていますが、ハケだったのでしょう。「分け坂」が語源ともありますが、この標柱が立っている場所は衾村と深沢村の境ではなく、1ブロック先が村境になります。この標柱には気づかなかったけど、この道は歩いた記憶がありました。


深沢一丁目の邸宅

生産緑地

お向かいの邸宅
深沢に入ると大きなお宅が増えてきました。


東深沢中学校
何の旗日だったっけと一瞬考えてしまいますが、この日は天皇誕生日でした。浩宮徳仁親王ご生誕後の我々世代には「浩」の字を名前に持つ同級生がたくさんいます。その中でも「浩裕」という「ひろ」と読める字を二つ持っている彼は別格で「団長」と呼ばれていました。


呑川親水公園

まあまあ屋
車でよく通る駒沢通りにあるお弁当屋さんのようですが、インパクトはあるけど好印象ではないですね。


深沢小学校発祥の地
醫王寺の境内、駒沢通り沿いにありました。明治十一年に荏原分校として開校とありますが、まず荏原学校が現在の何小学校なのかわかりません。このあたりで一番古そうなのは駒沢小学校だけど、「宗円寺境内に就学所」というのがキーワードかな?江戸時代井伊家の管理地だった世田谷区と、増上寺の管理地だった目黒区では明治初期の文化も人口密度も異なっているのでしょう。小学校のホームページを見ても沿革がない小学校も多くて、難しいです。


秋山家

指定保存樹木

秋山の森?

邸宅


旧秋山邸?
深沢六丁目にあるこの場所は初めて訪れたので、まだまだ理解不足です。説明看板もないし、これから徐々に解明してゆきましょう。


カワヅザクラ

ミモザ

駒沢公園うま公園

1964東京オリンピック聖火台
都立大学駅に戻らず駒沢公園から歩いて帰ってきました。世田谷区はお隣だけど知らないことが多い場所。ちょっとは楽しめるコースになるでしょうか。本番は4月2日。呑川緑道以外でもちらちらと舞い散るソメイヨシノを楽しめることでしょう。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
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