目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】松戸 戸定邸

2020-03-24 10:55:05 | 千葉県松戸市
かつて松戸のお蕎麦屋さん「松戸の里 宮前」で新蕎麦を食べるためのコースがありました。葛飾柴又駅を起点とした5.8kmのコースだったのですが、お蕎麦屋さんが営業をやめてしまいこのコースはお蔵入りとなりました。
江戸川沿いを歩く良いコースだったので復活案を探り、戸定邸を訪れるコースを下見しました。松戸ローカルな話題で聞き覚えのある方も少ないと思うので、施設を管理する松戸市のホームページから引用します。
 水戸藩最後の藩主・徳川昭武が建てた戸定邸の敷地の内、約三分の一は戸定が丘歴史公園として整備公開されています。
 公園内には徳川昭武と彼の兄徳川慶喜の資料を展示する戸定歴史館、徳川昭武が住んでいた戸定邸(国指定重要文化財)と庭園(国指定名勝)、昭和53年に松戸市が市制施行35周年を記念して建設したお茶室の松雲亭があります。

戸定歴史館
 戸定邸に隣接する博物館。戸定邸と庭園の公開や徳川昭武の遺品を中心とする松戸徳川家伝来品、徳川慶喜家伝来品、1867年パリ万国博覧会関係資料の展示を行っています。
 徳川昭武が将軍名代として派遣された万国博覧会に関する資料や幕末から明治にかけての古写真、戸定邸の歴史を語る文書や調度品、慶喜が亡くなるまで手元にあった彼の遺品などを順次公開しています。数ヶ月に一度は展示替えのため、休館期間があります。(戸定邸は開館)

戸定邸
 明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です。約2年の建設期間を経て1884年4月に座敷開きが行われました。増築を経て、現在は9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23に及びます。旧大名家の生活空間を伝える歴史的価値が、高く評価されています。 

 江戸時代の大名屋敷の系譜上にありながら、徳川家が権力の座を離れたため、生活様式は大きく変化し、規模が著しく縮小しています。建物は大きく三つに分けられます。1) 来客や他家との交際に使う区画 2) 家族が暮らす区画 3) 職員のための区画です。各区画の性格に応じて、建物の構成や材木の質が異なっています。

戸定が丘歴史公園
 徳川家は約400年前から260年間に及び、日本の統治者でした。権力の座を離れた徳川家は現代にまで続いていますが、変革の次の時代、明治時代の徳川家の住まいと庭園を見ることが出来る場所が戸定が丘歴史公園です。

 徳川家の最後の統治者(将軍)・徳川慶喜(1837年から1913年)の弟・昭武(1853年から1910年)は1884年4月に戸定邸の座敷開きを行い、1890年末に庭園の整備を終えました。かつて7万平方メートルを超えていた敷地の約3分の1が、現在、歴史公園となっています。園内には戸定歴史館や伝統的な日本の茶会を催せる松雲亭があります。

 西側に江戸川や富士山を望む標高25メートル程の高台上には昭武が運び上げたコウヤマキやヒヨクヒバの巨木が残り、梅、ベニシダレザクラ、鉢植えの藤など四季折々の花を楽しむことが出来ます。緑豊かな園内は鳥の鳴き声が絶えません。



坂川沿いのソメイヨシノ

公園入口

茅葺門
戸定邸は小高い丘の上にあり、戸定みその坂を登ったところにこの門があります。


戸定邸
新型コロナウィルス感染症の影響で閉館していました。周辺が公園になっているので、公園は開放されています。


シダレザクラ

戸定邸

江戸川方面の眺め
松戸のソメイヨシノは目黒よりも早い感じで、坂川沿いはずいぶん咲いていました。戸定が丘歴史公園のシダレザクラはピンクが濃くてきれい。丘は西に開けていて運が良ければ富士山も見えるそうです。


戸定邸

松?の古木
なかなか良いところですこやか歩こう会の皆さんも喜ぶことと思います。従来のコースは柴又から川をさかのぼってきましたが、新たに設定するコースは松戸スタートで戸定が丘歴史公園を見た後、川沿いを下り、矢切の渡しで柴又へ渡って解散するコースを作りたいと思います。草餅が買いやすくなりますね。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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