大げさじゃなく、見えてる世界が変わりますよ
わたしたち、自分が「生きもの」だってことを、つい忘れがちなのかもしれません。
だって
初めてやることを「一発で」「カンペキに」やり遂げようとするし、
一度決めたら「最後まで」「怠けないで」続けるべきだと思っているし、
目標に向かって「一直線に」「右肩上がりで」前進するのを良しとする。
──ロボットでも、そんなヤツいないと思いません?
息を「吸うだけ」あるいは「吐くだけ」では生きていけないように、わたしたち「生きもの」はみんな《一定じゃない》ことが《当り前》の存在なんだと思うのです。文字通り「いつも同じ」はありえない。それはとても「不自然」なことなんです。
わたしはカラー&イメージコーディネーターでもあるので、そうした視点からお話しすると、上の水彩画像のように「ムラ」つまり「不揃いな感じ」があると、人は《ナチュラル》な印象を受けます。例えば「手作り石けん」をツルツルのビニールやコーティングされた紙より、シワや凹凸のある和紙や麻ひもでラッピングされたもののほうが《自然で身体に優しい》イメージがありませんか?
わたしたち自身は、紛れもなく《有機体=オーガニックな存在》です。ムラなんか、あるに決まってますやん。
そう言うとすぐ「……でも誰々さんはちゃんとやってるし」とか「みんな出来てるのにわたしは」とか反論されるんだけど、誰々さんのことを
ホンマに一から十まで見てたんかい。
アンタの「みんな」は何人や。
と、ご自分に問い掛けてみてくださいな。
──ここで「笑えない」人は、おそらく相当毎日が「しんどい」んじゃないでしょうか?
だったらなおさら、もうこれ以上自分を苛めないで、と切に願います。
自分を責めることが止められない人は、明らかに「スペース」が足りません。平たく言えば、いろんな意味での「ゆとり」がない、ということです。スペースがないのに、どうして「今以上の何か」が出来るでしょうか?
わたしたち「生きもの」が最も簡単に、今すぐ、お金も場所も必要なく「スペースを生み出す」方法は、
息を「吐く」ことです。
吐かなければ、出さなければ、新しい何かを取り込むことは出来ません。
それはごく《当り前》で《自然なこと》なんですよー。
呼吸は最も手軽で、けれど十分に深い「瞑想」や「デトックス」になりえます。古今東西、さまざまな「呼吸法」があるのも頷けます。何をやっても自分はダメだーーと思うなら、ダマされたと思って息を「吐いて」みてください。出来るだけゆっくり、静かに、長くね。
そうしたら、自然と「次」の息は入ってきますよ
あなたが何か「新しいこと」を始めるのは、その後からでも十分です。
わたしたちは「生きもの」、ムラなくスキなく「常に一定」な人生なんてありえなーーい!
完全無欠のロボットになる夢は、そろそろ手放しませんか?
これは「理想論」でも何でもなく、すっごく「現実的なお話」です。わたしたちはムラがある生きもの、という《当り前の事実》にイエスというところから、仕切り直してみましょうよ。
わたしたち、自分が「生きもの」だってことを、つい忘れがちなのかもしれません。
だって
初めてやることを「一発で」「カンペキに」やり遂げようとするし、
一度決めたら「最後まで」「怠けないで」続けるべきだと思っているし、
目標に向かって「一直線に」「右肩上がりで」前進するのを良しとする。
──ロボットでも、そんなヤツいないと思いません?
息を「吸うだけ」あるいは「吐くだけ」では生きていけないように、わたしたち「生きもの」はみんな《一定じゃない》ことが《当り前》の存在なんだと思うのです。文字通り「いつも同じ」はありえない。それはとても「不自然」なことなんです。
わたしはカラー&イメージコーディネーターでもあるので、そうした視点からお話しすると、上の水彩画像のように「ムラ」つまり「不揃いな感じ」があると、人は《ナチュラル》な印象を受けます。例えば「手作り石けん」をツルツルのビニールやコーティングされた紙より、シワや凹凸のある和紙や麻ひもでラッピングされたもののほうが《自然で身体に優しい》イメージがありませんか?
わたしたち自身は、紛れもなく《有機体=オーガニックな存在》です。ムラなんか、あるに決まってますやん。
そう言うとすぐ「……でも誰々さんはちゃんとやってるし」とか「みんな出来てるのにわたしは」とか反論されるんだけど、誰々さんのことを
ホンマに一から十まで見てたんかい。
アンタの「みんな」は何人や。
と、ご自分に問い掛けてみてくださいな。
──ここで「笑えない」人は、おそらく相当毎日が「しんどい」んじゃないでしょうか?
だったらなおさら、もうこれ以上自分を苛めないで、と切に願います。
自分を責めることが止められない人は、明らかに「スペース」が足りません。平たく言えば、いろんな意味での「ゆとり」がない、ということです。スペースがないのに、どうして「今以上の何か」が出来るでしょうか?
わたしたち「生きもの」が最も簡単に、今すぐ、お金も場所も必要なく「スペースを生み出す」方法は、
息を「吐く」ことです。
吐かなければ、出さなければ、新しい何かを取り込むことは出来ません。
それはごく《当り前》で《自然なこと》なんですよー。
呼吸は最も手軽で、けれど十分に深い「瞑想」や「デトックス」になりえます。古今東西、さまざまな「呼吸法」があるのも頷けます。何をやっても自分はダメだーーと思うなら、ダマされたと思って息を「吐いて」みてください。出来るだけゆっくり、静かに、長くね。
そうしたら、自然と「次」の息は入ってきますよ
あなたが何か「新しいこと」を始めるのは、その後からでも十分です。
わたしたちは「生きもの」、ムラなくスキなく「常に一定」な人生なんてありえなーーい!
完全無欠のロボットになる夢は、そろそろ手放しませんか?
これは「理想論」でも何でもなく、すっごく「現実的なお話」です。わたしたちはムラがある生きもの、という《当り前の事実》にイエスというところから、仕切り直してみましょうよ。
はい、ご明察♪