「はじめまして」のかたはコチラもご覧ください。
Facebookページもやってます。
・・・
以前《HSP:Highly Sensitive Person=非常に傷つきやすい人》についての記事をアップしたことがありますが、かつてのわたしは、まさしく「まんま」でした。何というか、もう「風が吹いただけでも傷つく」くらいのナイーブさ あらゆることを「個人的に」受け取り、些細なことに反応していました。自分の傷つきやすさにうんざりしていたし、自分を「傷つける」人々への恨みがましい気持ちを、じくじくと募らせていました。何とまあ、やっかいな生き方だったか!
ところが今から9年前(もうそんなに経つのか!と自分でもびっくり)、ひょんなことから「ヒーリング」の世界に足を突っ込むようになり、長年こじらせていた「繊細さ」への新たな理解が育まれるにつれて、少しずつ少しずつ、楽に人々と関われるようになっていったのです。ほどなく出会ったオーラソーマと瞑想は、わたしを大きく成長させてくれました。初めて使ったB87*愛の叡智ボトルは、ポジティブなスペースから「人と関わる」ことをサポートしてくれました。瞑想、特に毎日1時間、3ヵ月続けたOSHO瞑想を通して、わたしは「意識的に」自分自身を眺める機会を得ました。同時に、ただそこに居るというくつろぎ、何者にもならなくていい心地良さを知りました
そして最近、また新たな「発見」があったのです。そう言えば近頃「傷ついてない」な、と。
2週間前からB26*ハンプティダンプティ/エーテルレスキューを使い始め、ちょうど昨晩で手持ちの25mlボトルがなくなったところなのですが、別名「ショックボトル」とも呼ばれるこのB26とのワークがもたらしたギフトであることは、想像に難くありません。
つい先日、ある人から衝撃的なメールをもらいました。わたしにとっては晴天の霹靂で「そりゃ誤解だよ~」と言いたくなるような内容だったのですが、驚きこそすれ、まったくハートは痛みを感じなかったのです。むしろそのことに驚きました(笑)
そしてさらに驚くべきことに──その人に返信メールを打っている間中、わたしのハートはどんどん温かいもので満たされていったのです!信じられないかもしれませんが、笑いすら込み上げてくるほど「楽しかった」のです。2、3度のやりとりが終わる頃には、どういうわけか「今度会ったらハグする約束」をしていました。どういうこっちゃ(笑)今、思い返してもお腹の底から愉快な気持ちが湧き上がります。人と真剣に関わるって、なんて楽しいんだろう!
長い間、わたしはずーっと「取り繕って」生きてきました。もう傷つきたくない、その一心で。
あらゆる場面で「良き人」としてふるまい、まるでそれがわたし自身であるかのように思い込もうとしました。おかげで大抵の場面では望み通りの反応を得られましたが、先のメールの人のように、不意をついてその「仮面」を剥ぎ取られると非常にうろたえ、なおも取り繕ってその場をしのごうと必死でした。あるいは平気なフリをして、やりすごそうとしたり。……そうやってまた、内側でじくじくと傷をこじらせていたのです。
ところが今回、それがなかった。わたしは最初にメールをもらった時、当惑こそしましたが、とにかくも「この人はこう思っているのだ」という「事実」を受け止めることにしたのです。そして自分はどんなふうに応答することができるだろうか?と真剣に考えてみました。頭ではなく、お腹のあたりで。
そうしたら、やってきたのは「痛み」でも「怒り」でもなく、「笑い」だったのです。決して相手を小バカにしたわけでもなんでもありません。嬉しい、楽しい、踊り出したくなるようなフィーリング!「理解不能」といわれても仕方ないけれど、本当なんです。人間って面白い。そしてわたしは、どうして自分がこれまでいちいち「傷ついて」来たのかが、ちょっぴり分かったような気がしました。
わたしにとって「人と関わる」ことは、居心地の良い「幻想」を壊さないようにすることでした。相手が期待するように自ら振る舞い、自分が期待するように相手からの反応を得ようとしていたのです。「期待」は今ここにない、幻です。わたしは目の前のありのままの相手を見ようとしていなかったし、ありのままの自分をさらけ出すこともしていませんでした。その「脆さ」が、そのまま「傷つきやすさ」にすり替わっていました。
それがいつの間にか、わたしは「期待すること」を止め、そこで「起きていること」を眺めるようになっていました。期待しなければ、裏切られることはありません。起きていることを眺めれば、起きていないことを心配したり恐れる必要もないのです。
先のメールのやりとりで、わたしは出来るだけ「起きていること」だけを眺めることに専念しました。その結果、自分の内側から嘘偽りなく「嬉しさ」や「愛おしさ」が込み上げてくるという事実を認めたのです。それをただ、そのまま正直に相手に書き送りました。第三者から見ればケッタイな話ですが(笑)当事者同士は、いえ、少なくともわたし自身はとても満たされました
今、手元に一冊の本があります。「傷つくならば、それは『愛』ではない」──ヴィジョン心理学の創始者、チャック・スペザーノ博士の著書です。366日分のメッセージが掲載されているので、オラクルカードのように直感的にページを開いて読む、といった使い方が楽しめます。
今日わたしが開いたページには、こんなふうに書いてありました:
「いま、この瞬間」にいれば、怖れを感じることはない
未来に生きようとするのは、未来が過去のようになるのではないか、と思っているからです。ところが、本当は「いま現在」に「未来」を生きることは不可能なことです。それをしようとすると、現在に緊張と怖れが生まれます。
(中略)
もし、「いま現在」というこの瞬間に生きれば、どんな困難な状況でもまったく変わっていきます。そして、未来も変わっていくのです。そして、同時に怖れも消え去り、まさに「いま」という瞬間が解放のとき、与えるときに変容するのです。
「いま」この瞬間、「ここ」にいることで、永遠と愛の扉が開かれます。それは怖れとは正反対のものです。[p.259より引用]
ありがとう!
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以前《HSP:Highly Sensitive Person=非常に傷つきやすい人》についての記事をアップしたことがありますが、かつてのわたしは、まさしく「まんま」でした。何というか、もう「風が吹いただけでも傷つく」くらいのナイーブさ あらゆることを「個人的に」受け取り、些細なことに反応していました。自分の傷つきやすさにうんざりしていたし、自分を「傷つける」人々への恨みがましい気持ちを、じくじくと募らせていました。何とまあ、やっかいな生き方だったか!
ところが今から9年前(もうそんなに経つのか!と自分でもびっくり)、ひょんなことから「ヒーリング」の世界に足を突っ込むようになり、長年こじらせていた「繊細さ」への新たな理解が育まれるにつれて、少しずつ少しずつ、楽に人々と関われるようになっていったのです。ほどなく出会ったオーラソーマと瞑想は、わたしを大きく成長させてくれました。初めて使ったB87*愛の叡智ボトルは、ポジティブなスペースから「人と関わる」ことをサポートしてくれました。瞑想、特に毎日1時間、3ヵ月続けたOSHO瞑想を通して、わたしは「意識的に」自分自身を眺める機会を得ました。同時に、ただそこに居るというくつろぎ、何者にもならなくていい心地良さを知りました
そして最近、また新たな「発見」があったのです。そう言えば近頃「傷ついてない」な、と。
2週間前からB26*ハンプティダンプティ/エーテルレスキューを使い始め、ちょうど昨晩で手持ちの25mlボトルがなくなったところなのですが、別名「ショックボトル」とも呼ばれるこのB26とのワークがもたらしたギフトであることは、想像に難くありません。
つい先日、ある人から衝撃的なメールをもらいました。わたしにとっては晴天の霹靂で「そりゃ誤解だよ~」と言いたくなるような内容だったのですが、驚きこそすれ、まったくハートは痛みを感じなかったのです。むしろそのことに驚きました(笑)
そしてさらに驚くべきことに──その人に返信メールを打っている間中、わたしのハートはどんどん温かいもので満たされていったのです!信じられないかもしれませんが、笑いすら込み上げてくるほど「楽しかった」のです。2、3度のやりとりが終わる頃には、どういうわけか「今度会ったらハグする約束」をしていました。どういうこっちゃ(笑)今、思い返してもお腹の底から愉快な気持ちが湧き上がります。人と真剣に関わるって、なんて楽しいんだろう!
長い間、わたしはずーっと「取り繕って」生きてきました。もう傷つきたくない、その一心で。
あらゆる場面で「良き人」としてふるまい、まるでそれがわたし自身であるかのように思い込もうとしました。おかげで大抵の場面では望み通りの反応を得られましたが、先のメールの人のように、不意をついてその「仮面」を剥ぎ取られると非常にうろたえ、なおも取り繕ってその場をしのごうと必死でした。あるいは平気なフリをして、やりすごそうとしたり。……そうやってまた、内側でじくじくと傷をこじらせていたのです。
ところが今回、それがなかった。わたしは最初にメールをもらった時、当惑こそしましたが、とにかくも「この人はこう思っているのだ」という「事実」を受け止めることにしたのです。そして自分はどんなふうに応答することができるだろうか?と真剣に考えてみました。頭ではなく、お腹のあたりで。
そうしたら、やってきたのは「痛み」でも「怒り」でもなく、「笑い」だったのです。決して相手を小バカにしたわけでもなんでもありません。嬉しい、楽しい、踊り出したくなるようなフィーリング!「理解不能」といわれても仕方ないけれど、本当なんです。人間って面白い。そしてわたしは、どうして自分がこれまでいちいち「傷ついて」来たのかが、ちょっぴり分かったような気がしました。
わたしにとって「人と関わる」ことは、居心地の良い「幻想」を壊さないようにすることでした。相手が期待するように自ら振る舞い、自分が期待するように相手からの反応を得ようとしていたのです。「期待」は今ここにない、幻です。わたしは目の前のありのままの相手を見ようとしていなかったし、ありのままの自分をさらけ出すこともしていませんでした。その「脆さ」が、そのまま「傷つきやすさ」にすり替わっていました。
それがいつの間にか、わたしは「期待すること」を止め、そこで「起きていること」を眺めるようになっていました。期待しなければ、裏切られることはありません。起きていることを眺めれば、起きていないことを心配したり恐れる必要もないのです。
先のメールのやりとりで、わたしは出来るだけ「起きていること」だけを眺めることに専念しました。その結果、自分の内側から嘘偽りなく「嬉しさ」や「愛おしさ」が込み上げてくるという事実を認めたのです。それをただ、そのまま正直に相手に書き送りました。第三者から見ればケッタイな話ですが(笑)当事者同士は、いえ、少なくともわたし自身はとても満たされました
今、手元に一冊の本があります。「傷つくならば、それは『愛』ではない」──ヴィジョン心理学の創始者、チャック・スペザーノ博士の著書です。366日分のメッセージが掲載されているので、オラクルカードのように直感的にページを開いて読む、といった使い方が楽しめます。
今日わたしが開いたページには、こんなふうに書いてありました:
「いま、この瞬間」にいれば、怖れを感じることはない
未来に生きようとするのは、未来が過去のようになるのではないか、と思っているからです。ところが、本当は「いま現在」に「未来」を生きることは不可能なことです。それをしようとすると、現在に緊張と怖れが生まれます。
(中略)
もし、「いま現在」というこの瞬間に生きれば、どんな困難な状況でもまったく変わっていきます。そして、未来も変わっていくのです。そして、同時に怖れも消え去り、まさに「いま」という瞬間が解放のとき、与えるときに変容するのです。
「いま」この瞬間、「ここ」にいることで、永遠と愛の扉が開かれます。それは怖れとは正反対のものです。[p.259より引用]
ありがとう!
私も最近79番65番を選びました。だからですかね?すごく響きます。
私も最近繕うことをしなくなったような気がします。
とても楽になったし、そんな自分が好きです(*^_^*)
ヒロカモさん、すごく素敵な気づきをありがとうございます!いつも感謝です*\(^o^)/*
ハートからのシェアをありがとうございます。
ノンさんもオレンジを通じた変容の真っ最中なんですね。
お互いの、軽やかな「今ここ」に祝福を!
*love and light, hirokamo*
わたしも早くそこに行き着きたいです☆
関西旅はたのしかったですよ~セッション中に言ったことも?存分に楽しめました(-^〇^-)
エネルギーもやそっ♪
本来の自分にさらにもどろうっ♪♪
楽しもう、存分にエネルギーを燃やそう!
ありのままの「自分」を味わおう!ですね~
コメントありがとうございます♪
ブログに書きましたねっ!!
まぁ良いか
許すっ('ω')ノ
見つかっちゃった!許してけろ
ひろこさんのおかげで、とても大きな気づきがありました。
本当にありがとう