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ダソの「笑庵プロジェクト」がきっかけで、久しぶりに毎日瞑想を続けてます。
最初は「10〜15分ほど身体をほぐしてから、1時間静かに座る」サイレント瞑想を21日間。初めの7日間は「プロジェクト」に参加する形で、後の14日間は自主的に。途中、金沢に泊まりで東子さんの神聖幾何学講座に参加し、その日初めて会った彼女と同室に宿泊!という状況だったんだけど「夜、しばらく踊った後1時間座ってますけど、どうぞお構いなく♡」つって了承いただきました(笑)こういうのは「やる」と決めれば出来ちゃうもんなのだ。
21日で1クールという感覚があるので、次は「15分身体をシェイク→15分ダンス→15分静かに座る→15分横たわる」クンダリーニ瞑想にチェンジ。OSHO瞑想の中でも個人的にベスト3に入るお気に入りで、数秘や禅タロットのクラスでも時間があれば取り入れてます。で、気がつけばこちらも15日目に入っていて、トータル5週間。すっかり毎日のルーティンになりました。
毎日1時間も瞑想してたら、どんな「イイコト」が起きるの?とか「何のために」続けてるの?と思われるかもしれませんが……
実のところ「何となく」始めたら、そのまま気がついたら5週間続いてた。という程度なんですよね。歯磨きやお風呂と一緒で、一日の終わりにスッキリしとこー。くらいの感じです。別に誰に頼まれたわけでも、やれと言われたわけでもないことなんだけど、スケジュール表に毎日マルつけてたら、つい続けたくなっちゃって(笑)
で、別に瞑想してるからって「無の境地」になれたりとかもないわけで、むしろしょっちゅう「どっかに行っちゃってる」自分に気づいてばかりですよ
もともと空想癖があるし、身体感覚も乖離しやすいタイプなのでねー。なので瞑想中は「気づいては、戻る」の繰り返しです。
一方でその「身体感覚」について、興味深い発見がありました。
実はわたし、目をつむって座っている時に「実際の身体の向きと、感覚とのズレ」があったんですね。うまく伝わるかなあ……何というか「ちゃんとハマってない」感じで、左右どちらかに偏っていたり、下手すると身体から「抜けてる」ような感覚になったり。それがクンダリーニ瞑想に切り替えたその晩、初めて「身体と全く同じ大きさ・同じ向きの感覚」を体感することが出来たんです。
いやーーその「安定感」の素晴らしさよ!笑
普通はそんなの「当たり前」なんだと思うのですが、わたしにとっては非常に新鮮。おお、これが「自分の中にくつろぐ」という感覚か!と、ちょっと感動しましたよ。
でね、その「自分の身体と体感が一致する」状態を意識しながら、非常勤で入っている短大の授業に臨んでみたんです。そしたらねー、話すスピードや立ち居振る舞いが、びっくりするくらい「ゆっくり」になっちゃった
「早口でテキパキ」とか、出来ないの。あれー?キャラが変わっちゃった??
と思ったけど、逆だった。本当はわたし「ゆっくり」のほうが好きだったんだ、と思い出しました。子どもの頃はしょっちゅう「グズグズするな」って怒られてたような、のんびり屋だったんだもん。それで一生懸命「テキパキ」するように頑張るようになって、いつの間にか「そういう人」だと自分も周りも思ってたんですねえ。
今年の学生には「マイペースな先生」って思われてそうですが、なんだかそのほうが授業中の雰囲気も「いい感じ」なんですよね。さすがにゆっくりしすぎて、最後あわてて板書で誤字を連発しても、笑って許してくれたり。あーーなーんだ。これで良かったのか。これまではわたしがキリキリ頑張ってたから、ちょいちょいギスギスした雰囲気になってしまっていたのかもしれないな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
毎晩の瞑想で、いつもいつも「身体と体感が一致する」わけでもなく、やっぱりしょっちゅう「どっかに行っちゃってる」自分が相変わらずいるのですが、それでも一度でも「あの感覚」を体験すると「戻ってこれる」ようになるのがうれしい。それが5週間続いている理由かも。
来週また21日間が過ぎたら、今度は「身体の中に声を響かせる」ナーダブラーマ瞑想に切り替えようかな。これも気持ちいいんですよねー。どうやらわたしは「体感」がカギのようだし、しばらくはいろいろと試しながら続けていこうと思っています。ま、続かなかったら、それはそれで。瞑想って確かに「続けることで起きること」もあるんですが、続けることが「目的」になるのも何だかなあ(笑)
わたしらしく、くつろいでいられるのが一番うれしいんですよね。結局は。
最初は「10〜15分ほど身体をほぐしてから、1時間静かに座る」サイレント瞑想を21日間。初めの7日間は「プロジェクト」に参加する形で、後の14日間は自主的に。途中、金沢に泊まりで東子さんの神聖幾何学講座に参加し、その日初めて会った彼女と同室に宿泊!という状況だったんだけど「夜、しばらく踊った後1時間座ってますけど、どうぞお構いなく♡」つって了承いただきました(笑)こういうのは「やる」と決めれば出来ちゃうもんなのだ。
21日で1クールという感覚があるので、次は「15分身体をシェイク→15分ダンス→15分静かに座る→15分横たわる」クンダリーニ瞑想にチェンジ。OSHO瞑想の中でも個人的にベスト3に入るお気に入りで、数秘や禅タロットのクラスでも時間があれば取り入れてます。で、気がつけばこちらも15日目に入っていて、トータル5週間。すっかり毎日のルーティンになりました。
毎日1時間も瞑想してたら、どんな「イイコト」が起きるの?とか「何のために」続けてるの?と思われるかもしれませんが……
実のところ「何となく」始めたら、そのまま気がついたら5週間続いてた。という程度なんですよね。歯磨きやお風呂と一緒で、一日の終わりにスッキリしとこー。くらいの感じです。別に誰に頼まれたわけでも、やれと言われたわけでもないことなんだけど、スケジュール表に毎日マルつけてたら、つい続けたくなっちゃって(笑)
で、別に瞑想してるからって「無の境地」になれたりとかもないわけで、むしろしょっちゅう「どっかに行っちゃってる」自分に気づいてばかりですよ
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一方でその「身体感覚」について、興味深い発見がありました。
実はわたし、目をつむって座っている時に「実際の身体の向きと、感覚とのズレ」があったんですね。うまく伝わるかなあ……何というか「ちゃんとハマってない」感じで、左右どちらかに偏っていたり、下手すると身体から「抜けてる」ような感覚になったり。それがクンダリーニ瞑想に切り替えたその晩、初めて「身体と全く同じ大きさ・同じ向きの感覚」を体感することが出来たんです。
いやーーその「安定感」の素晴らしさよ!笑
普通はそんなの「当たり前」なんだと思うのですが、わたしにとっては非常に新鮮。おお、これが「自分の中にくつろぐ」という感覚か!と、ちょっと感動しましたよ。
でね、その「自分の身体と体感が一致する」状態を意識しながら、非常勤で入っている短大の授業に臨んでみたんです。そしたらねー、話すスピードや立ち居振る舞いが、びっくりするくらい「ゆっくり」になっちゃった
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と思ったけど、逆だった。本当はわたし「ゆっくり」のほうが好きだったんだ、と思い出しました。子どもの頃はしょっちゅう「グズグズするな」って怒られてたような、のんびり屋だったんだもん。それで一生懸命「テキパキ」するように頑張るようになって、いつの間にか「そういう人」だと自分も周りも思ってたんですねえ。
今年の学生には「マイペースな先生」って思われてそうですが、なんだかそのほうが授業中の雰囲気も「いい感じ」なんですよね。さすがにゆっくりしすぎて、最後あわてて板書で誤字を連発しても、笑って許してくれたり。あーーなーんだ。これで良かったのか。これまではわたしがキリキリ頑張ってたから、ちょいちょいギスギスした雰囲気になってしまっていたのかもしれないな
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毎晩の瞑想で、いつもいつも「身体と体感が一致する」わけでもなく、やっぱりしょっちゅう「どっかに行っちゃってる」自分が相変わらずいるのですが、それでも一度でも「あの感覚」を体験すると「戻ってこれる」ようになるのがうれしい。それが5週間続いている理由かも。
来週また21日間が過ぎたら、今度は「身体の中に声を響かせる」ナーダブラーマ瞑想に切り替えようかな。これも気持ちいいんですよねー。どうやらわたしは「体感」がカギのようだし、しばらくはいろいろと試しながら続けていこうと思っています。ま、続かなかったら、それはそれで。瞑想って確かに「続けることで起きること」もあるんですが、続けることが「目的」になるのも何だかなあ(笑)
わたしらしく、くつろいでいられるのが一番うれしいんですよね。結局は。
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