危機感の持ち方がおかしいのは”鈍い”からだと思うんですよね。あるいは視野が狭い。
最近、作家が酷く現実の社会に疎かったり読解力が無かったり、という例を見ていますね。まあ、小説を書く人は物語を作れたらそれでいいわけで、そこに現実が無くても構わないですし、妄想力の強い人でいいわけで、読解力等はさほど必要がないのかもしれませんね。
こたつぬこ氏が全力で桐野夏生の論文をツイッターにて取り上げているので、これを使わせてもらいましょう。
「大衆的検閲について」
桐野夏生「大衆的検閲について」
この論文は、2022年11月にジャカルタで開催された国際出版連合大会における桐野の基調講演がもとである。
桐野はジャカルタにゆかりのある林芙美子をとりあげ、戦前戦中の国家検閲と「隣人監視システム」について論じる
はい。
後々読んでいくと、どうもこたつぬこ氏は、これを予言めいた何かと取っている節があります。まあ、書いた本人もそういうつもりで書いたかもしれません。
この論文のきっかけは
盛田氏「日没」
桐野夏生「大衆的検閲」が予言のように受け取られているが、これは自作『日没』への言及です
――文化文芸倫理向上委員会に召喚され、断崖に建つ療養所に収容された小説家は「社会に適応した小説」を書けと命じられる。終わりの見えない軟禁の悪夢。表現の不自由を巡る孤独な闘いを描くディストピア文学
「日没」という小説は、2019年9月に出版されています。ここ、テストに出ます(出ません
続いて、またこたつ連ツイに戻ります。
「大衆的検閲」
桐野「自由を保障されている平和な国で、我々作家の表現の自由を奪うものは何か。それは国家でも政治的集団でもなく、ごくごく普通の人々による「大衆的検閲」とでも名付けたくなるような圧力である。
これが尋常でない飛躍になっているのですが、何でこうなるんですかね。
まずですね、「自由を保障されている平和な国」ってどこにあるんですかね。架空の国の話?それとも、もしかしてニッポソ国の話?ニッポソ国の話なら安心してほしいですね。「自由を保障されている平和な国」ではまったくありません。メディアが政権の下請けでしかない粗末な国です。
さらに、架空の「自由を保障されている平和な国で、我々作家の表現の自由を奪うものは何か。」とありますが、そのような国で作家の表現の自由を奪うのは常に編集者です。大衆ではありません。
編集者が「社会に適応した小説」を書けと命じれば、圧力になりますね。編集者が自由に書けと言えば、そのような圧力はかかりません。至極単純です。
さらに飛躍。
「大衆的検閲」
桐野「私は、ネットによる歪な世論形成が不寛容さの醸成に一役買っているのではないかと考える...ラベリングは単純な二元論だ。右翼か左翼か、フェミニストかアンチフェミニストか、民主党か共和党か。この二元論は当然ながら分断を生む」
常にこの手の粗雑な見方にうんざりしています。アメリカに喧嘩を売っているのはともかく、この手の2元論で最も性質の悪いそして官製の「(普通の)日本人か否か」とかは?「愛国者か反日か」はどこに行ったの?自民党などのバカがよくやっているやつですよ。そこは触れない。この人はポリコレが嫌いなのでしょうね。
そしていくつかのツイを飛ばして、こうなっています。
「大衆的検閲」
桐野「近い将来、戦時中のような言論弾圧が起きるかもしれないと考えた私は、2016年から『日没』という小説を書いた。これはある作家が、読者の告発によって政府の収容施設に入れられ、思想矯正を受ける物語だった」
これおかしいですよね。戦時中のあれは、まず官製の言論統制です。
そして、「日没」も、同じですね。まず初めに弾圧する政府があって、大衆がそれに従う。自主特高警察みたいなものですよね。
こたつぬこ氏は、これをKADOKAWAの出版中止事件の予言であると位置づけているんですね。
LGBTQを揶揄する内容と思われる本(広告などからはそうとれる)の出版をするつもりだったのが、取りやめにしたと。
まず、こたつぬこがぽんこつなのはまず、出版停止の判断をしたのがKADOKAWAであるということを理解できていないということですね。
KADOKAWAの夏野剛という社長は東浩紀、三浦瑠麗との対談などでも分かるように倫理等はないですからね。カネが儲かるかどうかの判断でしょう。
ある作家がその本を出すなら自分の本は出せないと主張したんですね。その人の本を出版したほうが儲かるからそうしたという以外の理由はないと思います。
単に資本主義の奴隷なんですよ、夏野は。
まあ、こたつぬこ氏は、知っていて自分が嫌いな勢力叩きに利用したのかもしれませんが、こたつぬこ氏の一連の投稿に賛同したのはやはりネトウヨでした。野田がネトウヨに喜ばれるのと同じ。こたつ氏は野田氏を割りと高く評価していますし、もしかして同じようなにおいがするのでしょうかね。
それにしても桐野氏の飛躍、問題意識の持ち方が全く理解できないですね。
なぜそこで一般大衆の正しさが出て来るのか。
戦時中でも「日没」でも言論弾圧しているのは政府であって、そこに臣民が喜んでその弾圧に協力する姿が「大衆的検閲」なのに、一般大衆の「正義」「正しさ」というまた極端に焦点のボケた対象にすり替わっているんですよね。どこに忖度しているのですか?
桐野夏生とこたつねこ氏の言う「正義」や「正しさ」が共通だとして、この人たちの言う「正義」や「正しさ」とは何なのでしょうかね。
例えば川口市で勝手にクルド人を取り締まる自警団はその「正義」に入るのかな?
川口市議会の意見書はその「正義」に入るのかな?
ナチスドイツのやったことは?大日本帝国のやったことは?
ナチスドイツや大日本帝国のやったことは、戦後には悪だと認識されていますが、当時のそれぞれの国内での見方はもちろん全然違いますよね。それらを桐野夏生は自身の言う「正義」「正しさ」に含んでいるのでしょうか。
それともポリコレが「正義」で、それが表現の自由を弾圧すると?
桐野夏生は2021年5月25日より日本ペンクラブの会長になっています。
ペンクラブは鈍くはないですよね。様々な問題に声明を出しています。ネトウヨ(つまり自民党)にとっては敵でしょうけどね。例えば
「日本ペンクラブ会長」声明
「日本ペンクラブ会長」声明
「学問の自由の侵害であり、言論表現の自由、思想信条の自由を揺るがす暴挙」
「国会審議も社会的議論もないまま進められたこれらの動きは、水面下での恣意的な法の解釈と人事によって政治を捻じ曲げる手法そのものであり、すでに前政権の安保法制や検事長定年延長問題などでも世論の強い批判を浴びてきたところである」
「政府に学問が従属し、多大な犠牲をもたらした戦前戦中の反省から出発した学術会議の存立に関わり、ひいては日本のアカデミズム全体の自由と独立性と使命にも影響する問題」
など。学術会議の人事介入問題を「言論表現の自由、思想信条の自由を揺るがす暴挙」と位置付けています。
これは、2020年10月8日。吉岡忍・前会長によるものです。前会長はこのような声明を複数出しています。
ツイッターではネトウヨから反日扱いされていますね。
この前月、桐野夏生の「日没」が発表されています。
そしてこれは前会長の任期が切れる寸前の声明。
日本ペンクラブ声明
日本ペンクラブ声明「イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区の報道機関等への空爆を非難する」
2021年ですから、今回の虐殺の話ではないです。このあたりのことは理解していますね。
現会長(桐野夏生)が出している声明は、ロシアのウクライナ侵略に関してのものですね。もちろん日本政府と同じです。ガザの人道危機に関する声明はペンクラブの一部からは出ています。会長の名では出ていませんが。
学術会議の件に戻りますが、あの声明の中で安倍政権の安保法制も出てきていますね。安保法制は2015年です。
桐野夏生が「日没」を書き始めたのは本人によると、2016年なのだそうです。
アホでない限り安倍の悪政は十分に認識出来ている時期ですよね。まさか桐野夏生が認識できていなかった(いない)とは思えませんが。
それにしても「自由を保障されている平和な国」とはどこの事なのか。もし日本のつもりだったらかなりのポンコツです。
世界のどこか、日本より進んだ国なら、考えられないでもないですが、そのような国で「大衆的検閲」が発生するか、という疑問がありますね。
ちなみに、今、アメリカとドイツとイギリスは「イスラエルは虐殺をやめろ」というデモをやると、警察が暴力を奮いながら逮捕してきます。
フランスでは、なぜか"Free Palestine"という英語を使うと、商標侵害二なって罰金。アタオカな国です。
「自由を保障されている平和な国」ってどこ?
少なくとも日本において、作家等の被害妄想やネトウヨの脳内世界以外で、政府とは関係ない「大衆的検閲」による言論弾圧が起きたことはないし、この臣民の国で今後それが発生するとは考えにくいですね。
女性初の日本ペンクラブ会長なんですよね。
同じ女性初の~仲間、芳野友子や畝本直美と同じではないといいですが。
1-2番に比べて演奏が少なめのパルティータの3~6番。
Bach - Partita No. 3 BWV 827
Bach - Partita No. 4 BWV 828
Bach - Partita No. 5 BWV 829
Bach - Partita No. 6 BWV 830
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それを気取っているのは明らかに貼り付ける側です。「二元論」もそうなんだけれど、己だろって事です。表現の自由戦士なんかがよい例だと思います。
悪態の精度の低い人が、以下の話をも「分断」と呼ぶのかもしれませんけれど間違いです。陥らないためには、表現の自由戦士が何者か? それから、おっしゃられている川口市の例、『ナチスドイツのやったことは?大日本帝国のやったことは?』なんかをちゃんと考えないとって思います。
> こたつぬこ氏は確信犯なのかも知れませんが、陥り易いところなんですよね。氏...... への返信
とはいえ、「ちゃんと考える」事が「正義(その他価値観等)の押し付け」「左派のマチズモ」になる国っすからね……。
考える行為は「疲れる」「当事者じゃないことを考えれる程全知全能じゃない」とか言い出しますからね。その癖左派にはその「全知全能」を求めてくる。「リベラルの悪いところを知ってるリベラル」が。
こんなもん言論だけじゃどうにもならん。言論が成り立たんもん。
> とはいえ、「ちゃんと考える」事が「正義(その他価値観等)の押し付け」「左派...... への返信
たしかに、話にならないなと思うことがあります。
自警団に連なっている人にそれを指摘したら、「正義」をペタッと貼られる等の、このところこちらのブログで話題になっているとおりの悪態が返ってきました(→※)。己がやっていることの自覚ができないんでしょうね。
※「関東大震災ジェノサイド(2022/09/01)」についたコメント | シー・ピー・ディーのブログ
https://ameblo.jp/tomitayukihiro/comment-12761119611/
愛国・反日、つまり現在の政府に従順・賛同なのか批判的なのかをその二つの言葉に仕分けして、批判を弾圧していること、色々不利益を強いているのだから批判されて当然なのでそれを封じるのに反日という阻害・排除的な言葉を用いるのは効率が良い。「こんなひとたち」と名指しされると腰が引ける、大人しくなる。こんな、そんなひとたちも国民であり国の一部なのに「反日」だなんて。
叩きやすいところ叩いているとでもいうんでしょうか、巷のリベラル批判みたいで目線が上に向かわないのがお馴染みですね。
公権力の圧力を見ないで扇動された大衆の動きという表層しか見ないことと極右政権の問題を見てみぬふり、ないしは加担しておいてリベラルなるレッテルに問題の責任おっ被せることが私には相似形に見えます。
今回の件も表現の自由の一億総懺悔化みたいな、うまく言い表せませんが、本来責任を追求すべきところに目を向けず、標的にしやすく責任対象を希薄化できる方向に向かう無責任な社会批評にしか見えません。
まあ日頃大衆批判してる私が言えたものではないですが、大衆って明確に境界のある集団でもないし具体的な個人・組織を指さないから角も立たないし、「大衆は愚かである」と誰しも(大衆を構成しているその人自身も)が思っているでしょうから批判しやすいんでしょうね。
実際オルテガの指す大衆は愚かな集団という意味を含んでいるんで、大衆という言葉それ自身に批判的な意味を持ってしまうので仕方ないのかもしれませんが。
揶揄で使うならまだわかりますけど、マジですからね、こたつ。やばいです。おそらく野田と思想がシンクロしていますね。
翼賛体制の社会においていじめにあわないための処世術という奴ですかね。
路線変更については、ま、あ食っていけるかどうかの問題がありますから、ちょっとコメントし辛いですが(笑)
異常に「がきデカ」が好きな同級生がいました(あまり関係ない)
戦時中も終戦直後も大勢いましたけど、平気で国民を裏切ったり売ったりする奴ほど「愛国者」を自称したがりますね。
反日は自分なのに。
しかし、日本における「大衆の反逆」は、お気持ちだけの反逆で、せいぜいリベラルの対する反逆とかインテリに対する反逆とかであって、権力とは一体になるでしょうね。それこそが日本の多数派ですし。