白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

上戸の長者竹端仁作(8)益谷秀次及び堤康次郎

2007年04月22日 15時24分14秒 | 鼻の手術

私に鼻の手術を執拗に迫ったのは、高校同級生の浜谷徹雄というものであるが、私が日本タイプライターにいる時彼から急に電話があって、会いたいというので私はノコノノコ出かけて行ったのである。彼は他の能登の者たち一緒に益谷秀次の自宅に連れて行ったのである。当時は多分衆議院議長をしていた時と思うが、矢来町の家に行って見ると、秀次は一人で酒を飲んでいた。他の二三人の者は私は全然知らない者たちであった。彼等は浜谷徹夫の子分みたいな存在であたのであろう。家人は誰も居なくて、家の中をこの連中が飛び回っていた。私はなにも紹介される訳でなしに、ただこの同級生についていっただけである。 私は子供のころ父に会いに金沢に行くとき、ハシが秀次に汽車の中で挨拶をしていた。彼は父との選挙でいつも敗退していたことを知っていた。選挙で金を使い、随分苦しいおもいをしていたときである。父の死後怪文書が出回り、その後竹端仁作が私に財産を放棄しろといっていって、私がそれに応じないので、国立金沢病院でこの浜谷徹雄のおかげで、鼻の手術をさせられる羽目になった。益谷と浜谷の関係はどうであったかは知らないが、金沢国立病院で手術をさせたことはなんらかの因果関係があったかであろう。私はその手術の際この写真の示す顎洞(鼻の手術の際上顎の前壁をできるだけ広く取り除き、上顎洞粘膜をすべて取り除く)裂孔を砕かれ、脳天を強打されたのである。そのため記憶を失い、人生を破滅されるほど強烈な損傷を受けていたのであ



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