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社会人大学院で学ぶ技術経営

社会人大学院で技術経営を学びながら日々の気づきを書きとめてみます.

マネジメントを発明した男の死:社会科学における発明をもっと認知しよう

2005年11月13日 | 技術経営
マネジメントを発明した男,ピーター・ドラッカー氏が11日朝老衰のため死去した.

評伝「マネジメントを発明した男 ドラッカー」によれば,発明した日は1954年11月6日またはその前後らしい(164ページ).

社会科学にける「発明」とは,まったく新しい現象を発見することではなく,既にあった現象に対して,新しい視点から整理し知識体系として確立することである.マネジメントも,人間によって暗黙的に行われていたが,ドラッカーはそれを「学べば真似できる」ものに変えたのである.

現代社会においては,自然科学における「発明」に加えて,社会科学の「発明」に対するニーズが高まっている.すなわち,現代社会や企業のかかえる課題の多くは,人間系を含むシステムにおける課題であり,それを解決するための概念や知識体系や方法論が求められている.また,それが今後のイノベーションの主流になってくるだろう.

企業研究所においても,自然科学の発明だけでなく,社会科学における発明の存在をもっと認知すべきである.

萩と自発的モチベーションと戦略

2005年11月12日 | 技術経営
萩(写真:萩本陣から萩市街を望む)の松下村塾で吉田松陰が高杉晋作,久坂玄瑞,伊藤博文、山県有朋らに教えていたのはわずか1年間であったらしい.塾生が1年間で得たものは学問の詳細というより,「物事の考え方」「自分達が新しい日本を創るという強烈な自発型モチベーション」「思いを共有し切磋琢磨する同士」であったのだろう.

神戸大学の三品教授による「戦略不全の論理」では,一般的に日本型企業は「自発型モチベーション重視」であるのに対し,米国型企業が「コーディネーション重視」と指摘し,コーディネーションが「戦略」に基づいて適切に行われないと,「戦略不全」となると主張している.

明治維新は,欧米という手本があったことで,「自発型モチベーション重視」で成功したのかもしれない.現代は外部環境が変わり,日本企業の「戦略不全」も顕在化してきたため,マネジメントもモチベーション重視からコーディネーション重視,そのためのトップダウン型目標管理にシフトする傾向にある.

しかしながら,トップダウン型目標管理により「言われたことをやり,それ以上は考えない」人間が増えるとするとまったく逆効果であろう.企業における「志士」の問題意識を共有化し,自発的モチベーションを生かしながら戦略不全を回避する工夫こそが日本企業に求められていると思う.もちろん,全社員が志士である必要はないが.

バリューイノベーションと自由と規律

2005年11月04日 | 技術経営
新しい価値を創造するバリューイノベーションにおいて,自由は発想は重要なように思える.しかし,昨今はまったく新しい価値などめったに存在しない.既存のモノに対してより深い価値を見出す「気づき」を与えることがバリューイノベーションではないだろうか.

深い価値の発見には,自由なだけではだめで,何らかの規律が重要な役割を担う.例えば,一見厳しい作法が強いられているように見える「茶道」であるが,実は作法をきっかけとして自由な心の空間を楽しみ,その空間を亭主と客で共有化できている.

社会や会社でも,規律/作法/方法論に縛られて発想が窮屈になっているケースが散見される.規律/作法/方法論をより深い価値の発見のための気づきの手段として設計し,利用するというスタイルが重要あろう.


技術経営・サービスサイエンスにおける形成的なアプローチ

2005年10月24日 | 技術経営
研究・技術計画学会の第20回年次学術大会における平澤先生の特別講演では,形成的なアプローチに関する提言があり,たいへん興味深かった.ここで,「形成」とはシンセシスのことであり,分析/アナリシスと対峙する言葉である.

研究・技術計画学会で扱っている研究(特に,筆者が興味を持っている技術経営・サービスサイエンスに関する研究)においては,分析的アプローチではなく,形成的アプローチが必要である.すなわち,唯一の解(真実)は存在しないという前提に立ち,事実との論理的整合性と有用性を担保として仮説検証サイクルによりモデルを進化させていくアプローチである.学問体系としては,そのアプローチを支援する道具(概念や方法論のセット)を整備すべきだとしている.

道具には,自然科学的,工学的,社会科学的なものが混在してMultidisciplinaryであってよい.過去の記事で言及したように仮説検証のために「協働」するのである.

技術経営やサービスサイエンスも,解決すべき課題を起点として(有用性の担保),ファクトと論理的に整合するモデルを構築し,それに基づく課題解決のソリューションを仮説検証サイクルで形成(シンセシス)するというアプローチが正しいだろう.




社会科学における先行研究を効率化するには

2005年10月10日 | 技術経営
技術経営では,社会科学と自然科学の「協働」が必要であり,長年自然科学(正確には計算機科学/ソフトウェア工学)に慣れ親しんできた身ではあるが,最近は社会科学(経営学)に接することが多い.

社会科学(経営学)では,過去の論文を調べる先行研究がたいへん重要視されているように感じる.これは,経営学の先人の知恵だろう.すなわち,過去の研究成果(定理,法則,ソフトウェア)の上に新しい研究を蓄積していく自然科学と異なり,社会科学では下手をすると言い放しで終わり,蓄積されず,それでは「科学」ではないと非難されてきた.そこで,「先行研究」が過去の研究成果の蓄積の上に新しい研究を積み重ねるための規範的な縛りとして位置づけられてきた.

しかしながら,「先行研究」は書くのも読むのも義務的で退屈であるように思われる.ソフトウェア工学で使われている設計方法論の標準化などの手法を援用して,もっと効率化することができないだろうか?これは,過去の研究成果の「知識継承」と捉えることもできる.

社会科学者だけの閉じた世界であれば,「先行研究」は司法試験と同様に無節操な新規参入を排除する道具として意味があったかもしれない.しかしながら,社会科学と自然科学の「協働」が必要な技術経営やサービス・サイエンスが注目され,より多くの実務家が社会科学の道具を使う必要が出てきた昨今,先行研究のシステマティックな知識継承が望まれていると感じている.

ソフトウェア工学屋としては,何かしてみたいと思っている.

経営戦略理論と情報通信技術とのギャップは埋まるか?

2005年09月18日 | 技術経営
経営戦略理論(戦略サファリ―戦略マネジメント・ガイドブック)では,成功・失敗企業を分析して,その構造を明らかにする.しかしながら,その研究対象はあくまでも事後分析(後付け解釈)であり,将来の予測や戦略策定手順にはあえて踏み込んでいないように見える.自然科学者から見えれば再現性のない理論など意味がないのであるが,現実には経営戦略理論に基づいて行動した経営者が必ず成功するということはない.

一方,従来情報通信技術(IT)分野の技術者は経営戦略理論などはあまり意識せずに企業の情報システムの構築を行ってきた.経営情報学会などで,経営と情報のギャップを埋める試みはなされているが,依然として経営戦略理論とITの間には大きなギャップがあるように思える.

しかしながら,ユビキタス社会になりリアルタイムの経営情報の把握も可能な時代になってきた.今後,経営戦略理論とITとのギャップが埋まり,経営戦略分野に新しい変革が起きるのか,あるいは依然として実際の経営は人間依存性が高く,事後分析以上の壁は越えられないのか,注意深く見ていきたい.

「Multi-Disciplinary」と「社会技術」と「文理協働」

2005年09月04日 | 技術経営
「Multi-Disciplinary」とは,様々な専門分野を「協働」させることにより,現代社会に多い複雑な問題を俯瞰的な視点で解決しようというアプローチ.

科学技術振興機構(JST)「社会技術研究開発センター」(2005年5月に改組)では、「自然科学と人文・社会科学の複数領域の知見を統合して新たな社会システムを構築していくための技術」を「社会技術」と呼び,「Multi-Disciplinary」な取り組みを推進している.

社会技術研究について書かれた「問題解決のための「社会技術」―分野を超えた知の協働」では,文理融合による新しい学問分野の創設は難しいが,問題解決のために文理が「協働」することは容易であると述べられている.

「Multi-Disciplinary」は,解決すべき問題設定が明確でないと,同床異夢のフワフワした取り組みになってしまうだろう.


「戦略の本質」におけるリーダーシップ論と小泉純一郎

2005年08月17日 | 技術経営
野中郁次郎らは,最新著作「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」において,理想とする賢慮型リーダーの5つの条件を挙げている.

(1)他者とのコンテクストを共有して共通感覚を醸成する能力
   愛,信頼,安心などの感情の知を場を作る能力
(2)コンテクストの特質を察知する能力
   複雑な事象を単純化し,その側面を考慮ないし無視するかを,直感的に見抜く状況認知能力
(3)コンテクストを言語・概念で再構成する能力
   直感を対話を通じて抽象化し説明し,説得する能力
(4)概念を公共善(判断基準)に向かってあらゆる手段を巧みに使って実現する能力
   ときに巧妙にマキアヴェリ的手法も即興的に駆使
(5)賢慮を育成する能力
   賢慮を実践のなかで伝承し,育成し,動員する能力

チャーチルは賢慮型リーダーの代表例とのこと.小泉首相が尊敬しているのはチャーチルだそうだが,首相自身は上記の条件を満たしているだろうか?(2)と(4)に関しては最近の首相の中では抜きん出ていると思われる.その他に関しても,少なからず意識はしているのではないだろうか?歴史はずいぶん勉強しているようだし,長年の政治経験を通じて先人(例えば,福田赳夫元首相)から賢愚を伝承されたことも多いのだろう.

リーダーシップ論と小泉純一郎

2005年08月15日 | 技術経営
グロービス代表堀義人氏のブログに郵政解散に関しての小泉純一郎のリーダーシップ論が語られており、興味深く読んだ。

技術経営においても「ビジョン/ありたい姿」は非常に重要であり、様々論じられているが、ビジョンを実現する際の「抵抗勢力の扱い」に関しては、あまり語られていない。技術者は合理的なので、ビジョンとそこへの道筋がクリアで合理的であれば、それに抵抗はしないという面もあるだろう。ただ、設計現場の改善活動など、合理性だけではスムースにいかず、トップのリーダーシップが不可欠な場合も多い。トップのリーダーシップの視点で小泉純一郎総理の挙動はいろいろ参考になるところが多い。

以下は余談だが、マスコミの相変わらずの見識のない興味本位の報道には閉口する。さらに、郵政反対派の某議員が涙を流しながら「昔の自民党はこんなではなかった」と発言していた。しかし、地元の利益誘導型で族議員の顔を立て、バラマキは推進するが、改革は骨抜きにする昔の「居心地の良い」スタイルに戻ってほしいとは、一部既得権益を享受している人以外の国民は思ってないだろう。

Democratizing innovation(民主的なイノベーション)

2005年08月15日 | 技術経営
MOTの世界最大の国際会議PICMET05で興味深かった招待講演の1つにMITのEric Von Hippel教授の「Democratizing innovation(民主的なイノベーション)」がある.

従来のイノベーションは製造業主導のものが主であったが,ネットコミュニティの発達により,今後はユーザ主導のイノベーションが増えてくるだろうとの分析結果を示したもの.

Apacheプロジェクトなどのオープンソース開発やレゴのマインドストームはその典型であるが,他の分野においても,プリント基板CAD,図書館情報検索システム,アウトドア製品,外科医による医療機器のイノベーションなど,民主的なイノベーションが存在することを具体的に示している.

製品開発段階でネット等を通じてユーザの意見を取り入れようという発想は昔からあったが,あくまでも製造業主導であった.今後,ユーザが主で製造業が従になるようなイノベーションの比率が無視できないレベルに高まってくるとすれば,Von Hippel教授の提言はインパクトを持つことになる.(私は,その可能性は十分あると思うが,ここでの例はイノベーションと呼ぶには弱いなと感じた)

さて,そのような場合に製造業の戦略が課題になるが,Von Hippel教授によれば,(1)リードユーザの発掘,(2)ユーザがイノベーションを作れる開発キットの提供,が重要であると指摘している.

なお,Von Hippel教授の本は「Democratizing innovation」は出版されているが,Von Hippel教授曰く「絶対買うな.なぜならばWebで無料ダウンロードできる」とのことであった.


技術経営に関する世界最大の国際会議に参加

2005年08月11日 | 技術経営
技術経営に関する世界最大の国際会議PICMET(Portland International Conference on Management of Engineering and Technology)が米国ポートランドで7/31-8/4まで開催された.400名以上の参加者があり,プレナリセッションなども面白いテーマが多かったが,技術経営の研究自体はある程度落ち着いてきており,まったく新しいコンセプト/手法の提案というより,既存手法の掘り下げと実践が多いように感じた.

来年は,イスタンブールで開催予定.

ビジョンと行動分析

2005年07月18日 | 技術経営
ABC分析などの行動分析(参考文献:パフォーマンス・マネジメント―問題解決のための行動分析学)は,問題解決の障害となる人間のメンタルモデルの罠を分析し,その罠に陥らない方法を提示している.これらのテクニックは非常に重要であり,有益だが,ビジョン(参考文献:ザ・ビジョン 進むべき道は見えているか)がないままにテクニックだけを駆使するのも片手落ちだろう.

職場の問題解決の肝は,

ありたい姿(Vision)を基準に現状の問題の本質を認識し,その問題を解消するために最も必要なことを,シンプルに,タイミングよく実行し,小さな成功体験を通じて職場が学習しながら,一歩一歩ありたい姿に近づくことである.

前半は「ビジョン」の力であり,後半は「行動分析」の力であると位置づけることができるだろう.

ロボットと幸せに共生するための科学哲学

2005年06月10日 | 技術経営
近年,ロボットが身近になってきた.開催中の愛知万博でも様々なロボットが展示され話題になっている.近い将来,これらのロボットが我々の生活に入り込み,それなりの感情移入ができるようになるだろう.ソニーのペットロボット「アイボ」は1つの典型例だが,介護ロボットの分野でも介護される人とロボットの「心の交流」が生まれるかもしれない.実際,オランダのレリー社の搾乳ロボット「アストロノート」は,搾乳の完全自動化を実現しているが,牛たちは搾乳の順番待ちのために自ら列をなすそうである.実際に見学した人によるとその光景は衝撃的とのこと.牛にとって「アストロノート」は機械以上の存在なのだろう.このような状況で,我々はロボットとどのように向き合うべきであろうか.人とロボットの「心の交流」は人間側の勝手な「錯覚」であり,ロボットにとっては「心の交流」などは存在しないと言い切ることもできるだろう.しかし,私は「少子高齢化社会でロボットと幸せに共生するため」に,積極的な解釈が与えられるべきだと思う.これは,人工知能の分野で昔から議論されてきた「機械は心を持てるか」という命題にも通じる.

哲学に「自由論」と「決定論」の議論がある.現状の機械は「決定論」に基づくことに異論はないだろう.このとき,人間とロボットの「心の交流」を解釈するためには2通りのアプローチがある.すなわち,(1)進化したロボットは自由意思を持ち「自由論」的に行動できるようになる,あるいは(2)人間はそもそも「決定論」的に行動しておりロボットと同じレベルである.一般的には,前者のアプローチが主流だと思われるが,現状で自由意志を持たない「アイボ」や「アストロノート」では「心の交流」は人間側の「錯覚」として解釈するしかない.それでは少し寂しい.そこで,私はあえて後者を主張してみたい.

慶應大学機械工学科のロボット研究者前野隆司氏の著書「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説 」では,「「意識」は能動的にその他の脳・体に指示を出すのではなく,脳・体の構成要素が勝手に連動して動いた結果を,受動的に観測し,なおかつ能動的に指示したかのように錯覚させるもの」と主張し,これを「受動意識仮説」と呼んでいる.氏はその根拠の1つとして,カリフォルニア大学のリベット博士の実験結果を参照している.

氏の提唱する「受動意識仮説」を正しいとすると,人間も牛も昆虫もアメーバーもロボットも基本的には皆同じであり,外界の刺激に対して機械的に反応している(「決定論」的に行動している)ことになる.これは進化論的にはすっきりした解釈となっている.人間が自由意志で行動していると感じているのは「錯覚機構」が発達しているからで,ロボットや下等動物が持っていない「心」が進化の過程で非連続的に生まれた(二元論)わけではない.下等動物の生殖行動に「愛」があるか否かという議論があるが,「愛」と認識するのも事後的な錯覚である.であれば,錯覚の程度の差があるとしても,動物でも人間での行動に「愛=心の交流」があると考えても良いのではないか.さらに,牛と「アストロノート」の間にあっても良い.

どのみち,「心」に関する真実は永遠にわからないかもしれない.その上で,将来登場する心を持っているように見えるロボットとの幸せな共生を形而上学的に矛盾無く理解できるフレームワークの提供が哲学の本来の意義だとすれば,上記の解釈は積極的に評価されるべきだし,社会にとっても有益だと思う.

ありたい姿(=主観)が未来を創る

2005年03月15日 | 技術経営
2005.03.15
ありたい姿(=主観)が未来を創る
例えば,ポジショニング理論における「ポジション」もリソースベーストビューにおける「リソース」も同じ企業は,必ず同じ戦略を採るだろうか?「知識ベース企業理論(Knowledge-based Theory of the Firm)」では,ポジションやリソースだけでなく,企業が組織として暗黙的に持っている「ありたい姿」が戦略決定に大きな影響を与えると言っている.すなわち,企業の存在意義は「ROIを最大化すること」だけではなく,「ありたい姿の達成」にあるという考え方である.マーケティングの領域でも,最近は「主観」や「アンビション」の重要性が言われている.つまり,マーケットを客観的に分析してニーズを認識するという立場から,自分自身も顧客であり,マーケットにおけるありたい姿を主観的に考え,それを具現化する立場へのパラダイムシフトである.基本的な欲求は満たされ,将来が不確実な時代においては,「ありたい姿(=主観)」と合理性の両方の視点から,企業戦略,マーケティング戦略,R&D戦略を決め,主客一体となって未来を創っていく時代なのかもしれない.

自然科学の実験室=社会科学の対話の場

2005年03月15日 | 技術経営
経営学,特に企業戦略論おける理論/モデルの役割はなんだろうか?結局は,うまくやった企業の後付の説明でしかないという批判もある.しかし,筆者は理論/モデルにより,現実の本質的な理解が深まると思う.すなわち,社会科学においては,現実の深い理解は「対話(=dialog)」によってのみなされる.理解を深めるための対話には,論点を明確化するための理論/モデルが不可欠である.理論やモデルがない議論では,往々にしてお互いに噛み合わない一方通行の発言の繰り返しでしかない.自然科学では,理論やモデルを検証し,現実の理解を深めるために実験室で「実験」を行う.社会科学において,「実験」が「対話」に対応している.良い研究室は,良い「実験室」の代わりに良い「対話の場」を持っている.良い対話の場を具備することこそが研究室のパーフォーマンスを高めることができる.