「実践のための技術倫理―責任あるコーポレート・ガバナンスのために」は,技術者倫理を「萎縮の技術倫理」ではなく,「元気の出る技術倫理」として捉えたすばらしい本である.
私の理解では,技術者倫理とは,下記の相反する価値の間で発生する正解のない問題(二律背反,利益相反,矛盾,ジレンマ)に対して,適切なバランスで対処することである.
・企業の経済的価値
・企業の非経済的価値(会社の存在価値,何のための会社か?)
・プロフェッションの価値観(専門家としての責任と誇り)
・個人の価値観
・社会の価値観
前述の本のケーススタディにもある「J&Jのタイレノール回収」は「美談」ではあるが,回収に伴う経済的損失が企業の許容範囲だから可能であったわけであり,もし回収により倒産するリスクが高い場合にはどのような判断になっただろうか?
世の中100%問題ないということはありえない.安全サイドで行動しようとすれば,何もしないのが最も良いことになり,経済活動は停止する.要は相反する価値間の適切なバランスが重要であり,リスク管理的にはVaR(バリュー・アット・リスク)のような確率に基づく議論が必要である.
しかし,倫理や価値観の世界に,確率の話を持ち込むのは難しい.例えば,自動車という商品は毎年数千人の死者が出ているにもかかわらず,社会的には容認されている.一方で,S社製のパソコン用リチウムイオン電池の不具合は,確率的には極めて低い(数百万分の1)にもかかわらず,すべて回収する騒ぎになっている(費用は数百億円).合理性を考えたら,回収する代わりに「万が一電池が原因で火事等になった場合は1億円プレゼントします,残りの数百億円はアフリカの難民の救済に使います」という提案もありうるだろう.人命は地球より思いという価値観もわかるが,その場合上記の自動車はどのように説明するのだろうか.
技術者倫理もどこかで確率的考え方を導入しないとリスクばかり大きくなって,経済活動にも支障が出ると危惧される.昨今の企業の不祥事を面白おかしくたたくマスコミの風潮にも問題がある.
一方,不確定要素が多く確率問題にも持ち込めないというケースも多いのも現実である.ロナルド・レーガンがスペースシャトルチャレンジャー号の事故の際に言った「未来は臆病者にではなく、勇敢なものに属する」という考え方に対するコンセンサスも重要であろう.
私の理解では,技術者倫理とは,下記の相反する価値の間で発生する正解のない問題(二律背反,利益相反,矛盾,ジレンマ)に対して,適切なバランスで対処することである.
・企業の経済的価値
・企業の非経済的価値(会社の存在価値,何のための会社か?)
・プロフェッションの価値観(専門家としての責任と誇り)
・個人の価値観
・社会の価値観
前述の本のケーススタディにもある「J&Jのタイレノール回収」は「美談」ではあるが,回収に伴う経済的損失が企業の許容範囲だから可能であったわけであり,もし回収により倒産するリスクが高い場合にはどのような判断になっただろうか?
世の中100%問題ないということはありえない.安全サイドで行動しようとすれば,何もしないのが最も良いことになり,経済活動は停止する.要は相反する価値間の適切なバランスが重要であり,リスク管理的にはVaR(バリュー・アット・リスク)のような確率に基づく議論が必要である.
しかし,倫理や価値観の世界に,確率の話を持ち込むのは難しい.例えば,自動車という商品は毎年数千人の死者が出ているにもかかわらず,社会的には容認されている.一方で,S社製のパソコン用リチウムイオン電池の不具合は,確率的には極めて低い(数百万分の1)にもかかわらず,すべて回収する騒ぎになっている(費用は数百億円).合理性を考えたら,回収する代わりに「万が一電池が原因で火事等になった場合は1億円プレゼントします,残りの数百億円はアフリカの難民の救済に使います」という提案もありうるだろう.人命は地球より思いという価値観もわかるが,その場合上記の自動車はどのように説明するのだろうか.
技術者倫理もどこかで確率的考え方を導入しないとリスクばかり大きくなって,経済活動にも支障が出ると危惧される.昨今の企業の不祥事を面白おかしくたたくマスコミの風潮にも問題がある.
一方,不確定要素が多く確率問題にも持ち込めないというケースも多いのも現実である.ロナルド・レーガンがスペースシャトルチャレンジャー号の事故の際に言った「未来は臆病者にではなく、勇敢なものに属する」という考え方に対するコンセンサスも重要であろう.