「デジタルワークモデル」において,MITトマス・マローン教授の分散型マネジメントを実行するとき,形式知化できない暗黙的なビジョンや文脈/場や経験的知識をいかに共有するかが大きな課題である.
世界情報通信サミット2006では,「暗黙的なものでも高精細なテレビ会議で伝わるでしょう」あるいは「暗黙知は情報通信技術(ICT)の範疇でない」という印象で,真正面から取り組もうという姿勢は見えなかった.
筆者は,デジタルワークモデルの「設計」という意味では,ICTシステム系の設計と同じ比重で仕組み系の設計をしっかりすべきだと考える.特に,小手先や表層的な暗黙知ではなく,「高質な暗黙知=フロネシス」を共有する仕組みが重要である.
トマス・マローン教授の視点では,「フロネシス」は「フューチャーオブワーク」の最終章「価値観を中心に据えたビジネス(Putting Human Values at the Center of Business)」に書かれている価値観とも符合する.
例えば,明治維新の志士はわずか1年間の松下村塾で「フロネシス」を共有し,その後の行動基準になった.想像だが,戦前の旧制高等学校も「フロネシス」を共有する場だったのかもしれない.
野中・遠山論文「フロネシスとしての戦略」では,企業経営を読み解く上でのフロネシスの重要性を説いているが,フロネシスの共有化の方法論/設計論に関しては言及していない.
「デジタルワークモデルにおけるフロネシス共有の設計論」は大きく困難なリサーチクエスチョンである.
世界情報通信サミット2006では,「暗黙的なものでも高精細なテレビ会議で伝わるでしょう」あるいは「暗黙知は情報通信技術(ICT)の範疇でない」という印象で,真正面から取り組もうという姿勢は見えなかった.
筆者は,デジタルワークモデルの「設計」という意味では,ICTシステム系の設計と同じ比重で仕組み系の設計をしっかりすべきだと考える.特に,小手先や表層的な暗黙知ではなく,「高質な暗黙知=フロネシス」を共有する仕組みが重要である.
トマス・マローン教授の視点では,「フロネシス」は「フューチャーオブワーク」の最終章「価値観を中心に据えたビジネス(Putting Human Values at the Center of Business)」に書かれている価値観とも符合する.
例えば,明治維新の志士はわずか1年間の松下村塾で「フロネシス」を共有し,その後の行動基準になった.想像だが,戦前の旧制高等学校も「フロネシス」を共有する場だったのかもしれない.
野中・遠山論文「フロネシスとしての戦略」では,企業経営を読み解く上でのフロネシスの重要性を説いているが,フロネシスの共有化の方法論/設計論に関しては言及していない.
「デジタルワークモデルにおけるフロネシス共有の設計論」は大きく困難なリサーチクエスチョンである.