羽花山人日記

徒然なるままに

エイジズム

2023-09-27 19:25:13 | 日記

エ イ ジ ズ ム

9月25日毎日新聞メールニュースに『老害,ババア....「エイジズム」を乗り越える』と題する,奥村隆記者によるアメリカの作家アシュトン・アップルホワイトさんへのインタビュー記事が載っていた。,

わたしは「エイジズム(ageism)」という言葉を知らなかった。年齢による差別,主として老人に対する差別のことをいうとのことだ。

アップルホワイトさんは、2019年に「This Chair Rocks : A Manifesto Against Ageism」(邦訳:エイジズムを乗り越える)」を出版し,反エイジズムの旗手として活躍しておられるとのことである。

いくつか面白い発言があったので,紹介する。

2月に日本人の経済学者、成田悠輔さんが「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と発言したことについて,「彼の発言は明らかにエイジズムで傲慢なのですが、『差別』と『暴言』の両面があります。彼は『能力ある人』の側にいて優越感を持っているので、暴言による炎上で注目を集めようとした側面が強いと思う。極端なことを言って話題になることを狙う彼の意図を感じるんです」,「彼自身が年を取ったとき、もし考えを改めなかったとしたら、すごく驚きます」と,本気度のない発言に過ぎないと切って捨てている。

アメリカをはじめ先進国の状況について,「老いは全ての人が経験するのに、老人は経済の重荷とみなされ、財政を圧迫するとして差別され、自尊心を傷つけられている」と分析する。そして,「年寄りとはこういうもの」という過剰な一般化を戒め、「年齢が同じでも、人はそれぞれ異なる多様な存在」と訴えている。さらに,65歳から先は高齢者、というように年齢で区切る考え方や、「年相応」という概念の押しつけに反対している。

彼女は,「自分を老人と認めたがらないお年寄りは多いのではないでしょうか。老人ホームや高齢者の交流の場に行きたがらない人は『自分はあっちのグループに入りたくない』と感じていると思います」と述べ,「老々差別」のような現象が生じていると指摘する。

そして,こういう人たちは,若い人に対しても「経験が足りない連中には無理。まだまだ任せられない」と決めつけ、「実権」を譲りたがらないといった傾向があり,これらすべてが年齢という一面的なモノサシで人を判断しようとする「エイジズム」なのだという。

高齢になっても学び続ける意欲を持つ人は少なくないのに,外見ばかり若く見せかけようとお金をかける「アンチエイジング」は、アップルホワイトさんの目には「生きることの否定」と映る。

彼女は70歳だが,自分の年齢を隠すことはしない。他人に年齢を聞かれたら、まず本当の年齢を答える。それに続けて「なぜ、その質問をするのですか?」と問い返す。「そうすると、相手が年齢に縛られてきたことに気づくケースがあります。私にとって、これはエクササイズなのです」という。

日本の「敬老の日」は,「多年にわたり社会に尽くしてきた高齢者を敬愛し、長寿を祝う」日とされている。アップルホワイトさんによれば「お年寄りを見下すのが差別であるのと同様に、年長者への敬意を求めるのもまたエイジズム」なのだという。

エイジズムとはこういうものかと,感心したり納得したりしたが,87歳の今日まで自身がエイジズムの被害者だったという感じはない。あえて言えば,歳相応にと納得したり納得させられたりすることはある。でも,それをエイジズムの一端として問題にする気分にはならない。

老害という言葉があり,一律にその言葉で高齢者をくくればエイジズムだろうが,やっぱりその言葉に相当する現象はあるだろう。自分で納得して老害といわれるのを回避すればそれはエイジズムによるものではない。

運転免許証を返上したが,事故を起こす老害を避けるためである。高齢者の免許返上のキャンペーンは,「俺はまだ若い」という老々差別のエイジズムに対するものといえる。

だが,こんなことを言っていられるのは,わたしが「恵まれた」立場にいるからかもしれない。エイジズムの風にさらされる日が来ないとは限らない。そうならないことを願いつつ,そうなった時の覚悟も決めておかねばならないだろう。

STOP WAR!

 

コメント (3)
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