エビータ(映画)
一昨日BSプレミアムで放映された映画『エビータ』をビデオで観た。
原作はロンドンやブロードウェイで大当たりをとったミュージカルで,それを映画版に作り替えたものである。このミュージカルは,日本でも,ブロードウェイのキャストとスタッフによって上演されたが,何かの都合で観ることができず,残念な思いがした。
元アルゼンチン大統領フアン・ドミンゴ・ペロンの夫人,マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン,愛称エビータの半生を描いたミュージカルである。
愛人との私生児ゆえに,父親の葬儀への参加を拒絶されれるエビータと,エビータの国葬の隊列を交互に写しながら,ストーリーは始まる。
タンゴ歌手をたらし込んで田舎町からブエノスアイレスに出たエビータは,「女」を武器に上昇を志向し,女優となって軍人で権力の座を目指すペロン大佐の心をとらえる。
1945年軍事クーデターによってペロンが刑務所に収容されると,エビータはラジオ放送を通じてペロンの復帰を訴え,大衆を動員して軍事政権を崩壊させ,ペロンの釈放を勝ち取る。
エビータとペロンは正式に結婚し,ペロンは選挙によって大統領にえらばれ,エビータは26歳にして,アルゼンチンのファーストレディに登りつめる。
エビータは,上流階級による婦人慈善協会のような存在を無視し,富裕層の金を労働者階級に与えると称してエバ・ペロン財団を創設して,上流階級からの寄付金や国費を用いて庶民に大判振る舞いをする。ペロンの労働党を模して女性の党を組織し,婦人参政権を獲得して,ペロンンの政治的基盤を強化する。
エビータは自らを貧困層/労働者層からのあこがれと演出し,豪華な衣装を購入し,さらにイメージアップを目指して,レインボー・ツアーと称するヨーロッパ諸国歴訪の旅に出る。
スペインとイタリアでは大歓迎を受けるが,フランスと法王庁では思ったような処遇を受けられず,イギリスからは訪問を断られ,体調を崩して帰国する。
しかし,こうした放漫な財政支出や経済運営から,アルゼンチンは危機に陥り,ペロンに対する非難が高まる。ペロンおよび支持者は,エビータを副大統領にして,その人気から危機を脱出しようとするが,病魔はそのことを許さず,エビータは官邸のバルコニーから集まった大衆にそのことを告げ,『アルゼンチンよ泣かないで』を絶唱し,「エビータ,エビータ」の大歓声を背に,夫とともに寝室に引き上げる。
臨終の床で,夫に「自分は欲しいものはすべて手に入れた。生き急いだかもしれないが,50年,70年は必要なかった。」と述懐し,ペロンへの愛を歌い,33歳の生涯を閉じる
映画は,万余の人々が,エバの亡きがらに別れを告げるために,長蛇の列を作っているシーンで幕を閉じる。
映画には,チェと名乗る影の人物が登場し,節目節目でエバやペロンの思惑に疑問を呈する,一種舞台回しの役を演じている。しかし,彼もエバの死を悼み,遺体に口づけする。
ストーリーは史実を忠実になぞっている。
主演のマドンナは,「聖女か娼婦か」といわれるエバの内面からほとばしるものも含めて,素晴らしい歌唱と演技を見せてくれる。劇中歌の『アルゼンチンよ泣かないで』の絶唱は見事である。
余談になるが,エビータの遺体は永久保存の処置がほどこされたが,政敵に破壊されることを恐れて,数奇な経路でイタリアに送られ埋葬された。そして,1973年ペロンが亡命先から帰国し,大統領に就任してから,エビータの遺体はブエノスアイレスに戻され,埋葬しなおされた。
エビータは今でも市民,特に女性に人気があり,墓を訪れる人が絶えない。
エビータの墓(2002年ブエノスアイレスで撮影)
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