すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

高速化から取り残されて

2019年11月07日 | 雑記帳
 昨日は秋田市で研究大会があったので、公用車で行き来した。その往復はラジオを聴くしかないわけだが、何度も放送されたのが「『2019ユーキャン新語・流行語大賞』(現代用語の基礎知識選)の候補30語」のこと。夕食時のTVニュースも取り上げている。関心がないわけでもないので見聞きすれば、ふと思う。


 以前は「お笑い」関係があったが今年はないようだ。ずいぶんTV番組はあるけれど、ヒットフレーズは出なかったか。ところで、自分は30語中わかる語が20に届かない。少し驚いた。前は9割OKだったのに。この年齢ではネットなど使用している方だと思うが、限られた情報にしか接していないということか。


 そう言えば、久しぶりに(3年ぶりぐらいか)PC専門誌を買った。この頃PCが重くなってきている気がしたので、「高速化」という特集に惹かれてつい手にとった。しかし…中身が全然入ってこない。じっくり読めば理解できるようにも思うが、なんとなく誌面についていけない。まさしく取り残された感を味わう。


 PCのように頭の中が古いデータで一杯になり、それから外部情報のゴミなどが溜まって、反応が鈍く軽快にサクサク動かなくなったと想像してみる。そもそもメモリの性能が悪いと自嘲するしかない。今さら改善できないのだから、弱味を逆手にとる。浮かび上がるのは「絶縁能力」。師から繰り返し聴いた言葉だ。


 そう生きれば、高速化から取り残されても「後悔などあろうはずがありません」という境地に届くかも・・・いや、無理だろうね。

 
 →「えほんひらけば更新」

不寛容に不寛容であれ

2019年11月05日 | 雑記帳
 視聴率低下だけが話題になっている大河ドラマ『いだてん』が、今回の放送前に出したテロップは、徳井義実の件で「全編の収録が終了し、撮り直しが困難な状況だが、ドラマの流れを損なわない範囲で対応可能な措置を講じる」というものだった。正直、不快だった。多くの視聴者への配慮というより阿りに感じた。


 もちろんこれはNHKだけの問題ではない。マスコミこぞって右倣えであり、いかに編集して映すかに四苦八苦している。確かに申告漏れの金額には驚いた。そこにどんな事情や意図があったのは知る由もないが、凶悪な事件や犯罪とは質が違うだろう。作家筒井康隆も自らのホームページでこんなふうに語っている。

 「不寛容社会になってきたなあ。不寛容に対してだけ寛容に過ぎる気がするが。」

 まさに言い得て妙。メディアに出る人物の社会的責任うんぬんと声高に叫びたてる者がいる。たかがドラマやバラエティとは言わないが、娯楽とは本来様々な出来事を喜怒哀楽に結びつけて楽しむ類のような気がする。笑えばいいのに…。いじめを続ける者と廊下を走る者の罪を同列に扱ってしまうのは、愚かだろう。


 不寛容な傾向はずいぶん身の周りにも侵蝕している。古い村社会では「村八分」という言い方があった。それは階級的であり固定的であった。しかし現在はそうした格差が緩やかになった分、誰でもが狙われ、足元を掬われるような社会だ。それに対する不安が、逆に周囲に対して厳しい目をとらせ、寛容さを失わせた。

 ※「えほんひらけば」更新

今年の「文化の日」には

2019年11月04日 | 雑記帳
 散歩がてらに自転車で町内を廻ることがたまにある。早朝の町内ウォッチングもなかなか面白い。天気もよかったので川沿いの道を進むと、本当に秋らしい風景に出会えた。柿と銀杏、どちらもごくありふれているが、揃って見える場所はあるようでない。お互い目立つ色ではあるけれど、一緒にいるとまた引き立つね。



 新聞で山谷初男の訃報を目にした。秋田出身をそのまま個性にして彼でなければ出せない味を持つ役者だった。あれは二十数年前だろうか。研修会に招いたことがあり、駅から会場へと車で送った思い出がある。会話の内容は覚えていないが、実に丁寧で穏やかな印象は残っている。また一つ星が消えたように思う。


 文化の日に何かそれらしいことをと考え、新規ブログを開設した(何度同じことを繰り返すのかと内なる呟きもあるのだが)。仕事やボランティアのつながりで「絵本」と接する機会が増え、どうせなら素通りせずに簡単な紹介をしてみようかと思い立った。この後どう進むか未定だが、よろしかったら覗いてください。
 
 →えほんひらけば



久々に人気作家を読む

2019年11月02日 | 読書
 読書の秋、マイペースでそれなりに楽しんでいる。まとめ買いする時は新書系が多く、小説は少し抑え目が続いている。有名作家の未読本は、取り合えず外れが少ないなので選びやすい。そんなことでこの二冊を読む。「巧い表現だな」「らしいな」と思うが、結局心に残る作品は「情」がポイントで齢相応と納得する。


2019読了98
『素敵な日本人』(東野圭吾  講談社)


 文芸誌に連載された短編集。冒頭の作品「正月の決意」を読み始めたら、結構ふざけたキャラクターが出てきて、なんか奥田秀朗のタッチという感じがした。しかし、仕掛けはさすがの東野ワールドで、短編としてきちんと収めている印象を残す。いずれも気軽に読めるエンタメだ。特に最終話「水晶の数珠」がいい。


 それにしても題名の意図は何なのか。載っている作品名からチョイスしたのではない。どれも日本人が描かれ、それぞれの「素敵さ」がアピールされているということだろうか。小説を書く行為は、そもそも登場する人間を素敵と思うことによって進むから、ごく自然な気持ちか。読者が寄り添えればそう感じられる。



2019読了99
『首折り男のための協奏曲』(伊坂幸太郎 新潮社)



 しばらく遠ざかっていた伊坂作品。エッセイは読んでいたが小説がご無沙汰だったのは、頭が回転せず筋を追えない感じを受けたからだ。この連作短編集も最初は少し目まぐるしかった。しかし、徐々に落ち着いてきたのは、伊坂作品のキーマン「黒澤」が登場し、あまり視点が揺らがなくなったからと思ったのだが…。


 読了してみたら、これらはアンソロジーのための書下ろしやら雑誌掲載やらを、「改めて並べ直して、手を加え」た短編集だとわかる。どおりで既読したと感じた作品もあり、それは読み易かったのだ。「僕の舟」は我が年齢にふさわしい佳品だった。様々な趣向や文体があり、「協奏曲」とはよく名づけたなあと感心した。

11月「かわる」は「やさしい」

2019年11月01日 | 雑記帳
 11月は準備の月、と書き始めれば、同じ地方に住んでいる者は、まず冬支度を思い起こす。タイヤ交換、雪囲い、冬物衣料などなどすぐ頭に浮かぶ。とは言え、冬を強く意識するのは初雪が降ってからだろう。正直、おっくうな面が大きいが、この季節の空気の冷たさはまた、弛んだ心をぴりりと締めてくれもする。


 11月の異称は「霜月」が一般的だが、他にも神帰月、仲冬、雪待月などがある。暦に「朔易(さくえき)」という初見の語があった。辞書にない言葉だ。「冬期に当たって改易すべきことのある月の意」とある。改易とは時代劇で時々聞く。罷免や家禄没収などを指しているが、本来の意味は「改めかえる。更新」である。


 もはや人生も冬期と言えるし、改易すべきことが自分にも多いかと少し考えてみる。散漫な性格ゆえに、折にふれて何か目標を掲げておかないと…を繰り返しつつ持ちこたえてきたので、こういう場が必要だろう。よしっ、まずは基礎となる我が心身の健康だ。と思って出てくるのが「数値改善」(笑)と「体力維持」か。


 人間ドックでは高値安定でさほどの注意は受けなかった。しかし定期的に診てもらっている医師からは指摘を受けたので、より「命根性」を汚く頑張ることにする。次は…と考えるのは家庭や家族の事。これは部外秘(笑)にして、後は仕事や社会との関わりだ。まだ役目がある、求められるうちは全うしようと思う。


 なんだ結局「改易」までは到らないか。と改めてこの熟語をみて「」が気になった。この字は会意文字であるが、字源は諸説ある。ただ意味として「かわる」(貿易、不易など)と「やさしい」(安易、平易など)が並んでいることに、不思議な気持ちになる。易のカードの「表裏」を利用して自在に生きることもいい。