すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

あの人が泣いていた訳

2013年09月10日 | 読書
 もはやグルメ漫画というジャンルとは呼べない『美味しんぼ』。最新巻を読んだら、あの人が泣いていた。海原雄山である。怒りや叱責の場面は多くあるにしても冷静沈着(初期は冷酷非情)であり、嘆き悲しみを顕わにするシーンなど今まであっただろうか。少なくとも涙を見せてはいない。それが今回登場する。


 第110巻「福島の真実①」である。内容はある程度予想がつくだろうが、原発の放射能汚染にあえぐ福島の取材を通して、当然「食」に関わる問題を取り上げている。関連する多くの情報があるので、実情を知る人も少なくないだろう。その苦悩は、汚染の惨状といわゆる風評被害が複雑に絡み,連鎖している。


 海原雄山を泣かせるほどの現実は、飯館村の山で採れたものを加工して営まれていた農家レストランの件である。震災前に蓄えられた貴重な食材を使った料理が提供された。手間をかけて仕込まれ、作業されるその郷土料理の文化は、山が回復しない限り、もう元に戻ることはない。絶望的な見通しを思い知らされる。


 雄山に語らせた言葉はこうだ。「いったいどれほど貴重なものを我々は喪失してしまったのか。豊かさも喜びも輝きも幸せも。」この漫画は一貫して「食と環境」を取り上げてきた。偏った見方という指摘もあるのかもしれない。しかし、この国における自然環境に恵まれたゆえの食文化という点は誰も否定できまい。


 それを一瞬にして葬った出来事は、もっと重く考えられていい。いや「一瞬」という表現は実は的外れであって、ずいぶんと長い歴史的な経過があり、ある意味では着々と危うさを高めてきたのだった。その事実に対する認識の溝はなかなか埋まらない。「美しい国」に対する雄山の考え方を学んでほしい人がいる。


 第100巻で、雄山は「美しい国」についてこう語っていた。「山も海も美しい。山の幸も海の幸も美しい。…地域の人々の連帯と誇りを盛り立て、自分たちの文化を豊かにしている」。自然は奪われたが、そこで生きようと立ち上がる美しい人たちは福島にいる。もっと意識的な応援、支援が必要と改めて感じた。

橋の上のやるせなさ

2013年09月09日 | 読書
 『橋の上の「殺意」』(鎌田慧 講談社文庫)

 この読後感をどんな言葉で表せばいいかと思って浮かんだのは「やるせなさ」だった。

 2006年春に秋田県で起こった,二人の児童が亡くなったこの事件を,犯人である「畠山鈴香」という名前とともに記憶している人はいるだろう。
 まして県内に住んでいる者であれば,きっと多くの人がまだ忘れられないはずだ。
 私にしても,「畠山鈴香逮捕」というニュースを,どこに居てどういうタイミングで聞いたか,今でもはっきり思い起こすことができる。

 それほどマスコミはこの事件を煽ったし,自分も含めた視聴者,購読者はそれらの情報に大きく影響されていたことを,今さらながらに感じる。

 希代のルポライターである筆者の丹念な取材は,この事件の本質を見事に焙りだしている。
 それは犯人に関わる成育歴や病歴といった個人的な面だけではなく,地方が抱える社会構造や検察・警察の管理的な体質,そして司法制度をめぐる根本的な問題まで,全てが絡み合ったような絵柄で提示されていると言っていい。

 もちろん,その中心に据えられるのは畠山鈴香という人物なわけだけれど,それはもしかしたら似たような境遇にあった「シングルマザー」の誰かの可能性もあったし,それほど具体的ではない,今という時代を生きる誰かであったかもしれない。

 事件から逮捕,取り調べ,裁判…と続く一連の流れは,一歩引いて眺めれば,誰しもが「魔女」にされてしまう危険性を孕むものと言える。
 そういうふうに取り込む糸は見事に複雑に絡まっているゆえに,その方向を定める初期の有り様というのは本当に大事だ。
 この事件で言えば,直接的には警察の初動調査の「失敗」であることは明らかだ。そしてもちろんそこにも地方が抱えていた大きなハンディがあったのだと思う。

 犯人の子ども時代のエピソードの哀れさ,「立場」による精神鑑定の露わな違い,著者が強調する死刑制度の問題点等々,どれもやるせない気持ちが先に立って今一つ括った見方ができない。
 ただ,この事件に関わった人の多くは,きっといまだに痛みを抱えているのだと思うが,それが何かバラバラな違う方向の痛みであるようなイメージが湧いてきて哀しい。当たり前のことかもしれない。

 言葉をいくら尽くしても,けして理解しあえない場に立っている人がいる。
 赦すというくらいなら,痛みを抱えたままでいいと言いきる人もいるだろう。
 その間に橋がかけようとする人がいて,仮に架け橋が届いたとしても,当事者が足を進ませることは容易ではない。
 やるせなさが募る。

この日からの選択の連続

2013年09月08日 | 雑記帳
 いつものように五時前には目を覚ましたので,ネットを使ってリアルタイムに「五輪決定」を見た。単純に喜びたい気持ちもあるが,どうも鼻持ちならぬ発言をする輩もいる。それはソトヅラではないでしょうね,と念押ししたい人もいる。今浮かれるのではなくて,それまでの期間をどう歩むか,心したいことだ。



 内田樹氏は「五輪は開催国の豊かさや政治力を誇示するためのものではなく、開催国民の文化的成熟度を示す機会である」と書いている。文化的成熟度を何で示すか。マクロ的に見れば今後の国や都の予算の使い方に表れるだろう。そしてミクロ的には,その施策を受けとめる私達の判断と行動…凝視する必要がある。



 東京五輪のとき,小3の自分は学校の視聴覚室で競技を視た記憶がある。はっきりしないが水泳だった気がする。そのテレビは20型ほどの小画面,しかも扉つきの木箱に囲われていた。高度成長期,平和と豊かさの象徴として五輪開催の意義は確かだった。今,求められていることは何か。4年前とは根本的に違う。



 湊かなえの『花の鎖』を読み切った。巧みな構成で楽しめた。後半部で三世代,三つの時代が描かれたことを知ることになるが,そのつながりを「鎖」と表現したことが,運命的で頑強な物語の象徴と感じた。選択の連続によって国や個人の進路は決まる。後戻りはできないが,よりましな選択を見誤ってはいけない。

歌う心と秋の空

2013年09月07日 | 雑記帳
 歌心…そもそもは和歌の意味や和歌を嗜むといった意味だと思う。
 しかしこの頃は、歌の上手い下手にかかわるような言葉といった方が一般的のようだ。

 今ではカラオケなど一年に一回あるかなしが関の山だが、頻繁に飲み歩いていた頃は、生意気にも他人の歌っている姿に対して、歌心の有無などと口にして評価していたように思う。
 声の質や音程がどうのこうのとは、またちょっと違うセンスのようなものだ。

 どちらかと言えば素人に対する評価言だとは思うが、失礼ながらプロの歌い手に対しても、心の中でそんなふうに聴いてしまう自分がいる。


 絢香は歌心があるなあと感じる一人である。
 今回発売されたカバーアルバム『遊音倶楽部』を聴くと、なるほどと思う。
 
 あの歌唱法は、歌をどうつくっていくかということが強く意識されている。
 独特の声の張り上げかたはもちろんだが、今回は特に低音部が強調されている曲があったり、逆に高めのキーで押していったり、バラエティに富んでいる。


 かつて宇多田ヒカルが、歌い方についてこう語ったという。

 簡単に言うと音符一つ一つの、入り方、のばし方、終わらし方、だよね。
 フィギュアスケートのジャンプでいうところの、ステップからの踏み切り、回転、着地、みたいなもんか。


 これは面白いたとえだと思う。
 このイメージでみると、ジャンプに入る直前の滑りは非常に緊張感が漲る慎重さが要求されるし、なんといってもしっかりとした着地の占める重要性は大きい。
 素人はそんなことを意識したら楽しめないかもしれないが、プロはそれを天性でできるか、練習によって獲得していくか、どちらかであるはずだ。

 曲一つを、全体としてフィギュアスケートの演技にたとえれば、仮にミスが一つ二つあろうが、優雅にもしくは躍動的に、つまりは個性的に空間を染め上げた方が、見ごたえ(聴きごたえ)があることは確かだろう。

 極端な話、歌心のある人は、自分の個性(持ち味と言ってもいいか)で、その歌をとらえる(素人はその意気込みだけで結構)ことができる人だ。
 その個性、持ち味を自分でわかっているか、気づかずにいるか…そのあたりが現実的に歌の巧拙と関係してくるのだろう。

 絢香の「空と君のあいだに」を聴きながら…
 歌心が沁みる。今日の秋の空は泣きそうだ。

小さく秋を感じて

2013年09月06日 | 雑記帳
 全校集会では短い時間だったが「小さい秋見つけた」の曲を聴かせた。この頃の激しい天候変化は、どうも四季という概念をくずしているのではないかと不安だ。「目や耳や肌や手足で」と子どもたちには語ったが、そんな状況のなかまず大人に感じる姿勢があるか、余裕を持ち得ているか。意識してみたいことだ。


 以前勤めた学校は、コスモスを教育目標の文言として使うほどの地域だった。学校周辺はもちろん街道沿いに苗を植えたりした。コスモスを題材とした短歌づくりにも取り組んだ。実際にその環境に置かれているときはさほど強く思ったりしないものだが、何か一つ際立つ自然環境をつくることは、きわめて教育的だ。


 秋の「収穫」は、仕事上のことを一番とすれば、もう一つは味覚に関することだ。といっても田畑を持っているわけではないので、待ち遠しいのはキノコや栗。キノコ狩りなんてシャレた使い方だと思っていたが、なんとなくハンターイメージが相応しいと思い始めた。ねらいの定め方に偶然性と追求性があるからか。


 今朝は、見上げた空に秋を感じさせる多様な広がりがあった。写真はこちらへ。冬や夏には見られない、複雑な雲の模様があちこちにあり、そして移ろっていく。ぼんやりしているとぱっと過ぎていくのもこの季節。心したい。水曜日に届いた絢香のカバーアルバムをずっと車で聴いている。秋空の似合う歌い手だ。



冷静と情熱の間にある叱り

2013年09月05日 | 雑記帳
 続けて「叱る」を調べていたら、電子辞書には方言一覧が載っていた。これがなかなか興味深い。全国各地で多いのは「オコル」「オゴル」。シカルは、ある面客観的な言い方だが、腹を立てて言い責めるというオコル系が圧倒的なのは、関係の固定化からくる言語の貧困か。ちなみに我が秋田も同様で「ゴシャグ」。


 特徴的なのは山口「クジュークル」、佐賀「ヤカマシュユー」。どんな発音になるのか想像もつかない。佐賀は喧しいからの転訛と言っていいのだろうか。極めつけは鹿児島の「ガーッ」だ。端的な音で叱るという発想を思い出させる。さて、この三県とも明治維新に大きく関わっているのは偶然か。教育の必然か。


 シカルをワープロの単漢字で拾ってみると、「叱」以外にも使ったことのない字が目立つ。学研の漢和大辞典で調べてみる。「呵」(かっとどなる)「咄」(ちぇっと舌打ちする)「喝」(どなる)「呧」(そしる)「咤」(たっと舌打ちする) 「啌」(意味不明)…いずれも単発的な怒り、不快の表現となっている。


 「先生にゴシャガレダのは…」という子供の言葉をさえぎって「ゴシャイダのではなくシカッタのだ」と昔何度となく言った気がする。つまりは、君の問題点や不注意を直そうと思って先生は言っている、けして怒っているのではないという思いの強調だ。教育者としては努めて冷静に説諭していくのが本道だろう。


 しかしその繰り返しの末に、不正や堕落などに対して感じる怒りを封じ込めることが習慣化されても困る。感情の発露が複雑化する社会の中で抑え込まれたり、捻じ曲げられたりすることは、数多くの問題につながっている。そこを踏まえて感情労働者たるべき教師は、積極的な自己開示に向かったほうがいいと思う。

この国を良くする叱り

2013年09月04日 | 雑記帳
 総合教育技術誌が『いまこそ「正しく叱る」教育を!』と題した特集を組んでいる。昨年6月号でも特集されていた。例の通達もあるが,今の現場の迷いも表わしている。読みながらいつも思うのは、単なる技術論ではなく、子供や保護者との関係性、そして社会風潮という壁をどう意識するかが大きく立ちはだかる。


 どの論者にも共通するのは「叱る原則」を徹底していることだ。つまり叱る側が揺らいではならない。指導者にとって不可欠なことだ。そして付け加えられるのは、現状認識とそれへの対応。学校に追い風は吹いていないし、向かい風の中を進むための説明責任と工夫、それらに心を砕かないと叱る真意が伝わらない。


 今回の特集の興味深い点は、特別支援の視点からのアプローチだ。これは上野一彦氏の「障害を個性に置き換えてみましょう」という言葉に象徴される。かつて野口芳宏先生は「普通じゃないから特別なんだ」と述べたが、今その境目はぼんやりとしてきて個別的な視点が膨れ上がる。複眼的な対応が求められている。


 そもそも「叱る」という字は、「七」が鋭い刃を表し「しっと鋭い声でしかりつける」という意味を持つ。幼小段階では身につけておきたい技術だ。掲載されていた本音座談会で、よく忘れ物をする子に対して指差して「ター!」と叫ぶだけの指導があることは笑いを誘った。案外本質をついている方法だと感じる。


 日テレのドラマ『斎藤さん』はパート2だが、そこそこの視聴率は取っているのかな。コメディ的な要素を持った筋とともに、最後は斎藤さんの正義感が勝つ結末に共感する視聴者も多いのではないか。そうだとしたら救いだ。「我が内なる斎藤さん」の存在をみんなが少しずつ大きくすれば、この国は良くなる(笑)。

ソカイ・ソウカイ・ソレデカイ

2013年09月03日 | 雑記帳
 人気ドラマ『半沢直樹』を観ていたら、一つ面白い言葉が耳にくっついた。

 「ソカイ」 「ソカイシリョウ」


 金融庁の立ち入り検査に伴って、見られてはまずい資料を自宅などに隠すような設定だった。
 「ソカイ」ってもしかしたら「疎開」かなと思いつつ業界専門用語ということもあるかなと、一応辞典で調べてみた。

 「ソカイ」という別の漢字が思いつかなかったが、結構あるもんですね。

 租界…中国の都市名。知らなかった。
 素懐…平素の願いという意味。使ったことがない。
 疎開…ご承知のように戦争時の被害を少なくするための引っ越し。
 疎解…ときあかし、申し開きという意味。知りませんでした。
 菹醢…食べ物らしい。殺すという物騒な意味もあった。

 さて、この中にあるとすればやはり「疎開」か。

 ネット検索するとやはり「疎開資料」とある。
 確かに、銀行にとって立ち入り検査は戦争のようなものだろうから、「被害」を少なくするために移動させることを、疎開と呼ぶのは当然なのかもしれない。

 しかしその「被害」とは何かと考えれば、ここは素直に「隠蔽」といった方が素直ではないだろうか。

 いや、それは「お上」的な発想から来ているのかな。銀行にしてみれば痛くもない?腹を探られたくない、自分たちの考えを通すための一つの方法だ…という見方ができなくもない。

 まあこれは、いずれどろどろした感じなので、ドラマとして楽しめればいいことだ、と深入りしないことにしよう。
 少なくとも学校という職場だと疎開させる資料などないと断言できるわけだし…。


 そう言えば、ドラマの原作者である池井戸潤の小説を読んだとき、頻繁に出てくる「稟議(書)」という言葉が気になった。
 これは、いわば貸付に関わる銀行員の仕事の象徴と読み替えてもいい言葉だった。

 半沢流に言えば、資金を必要としている企業、会社の状況を的確に読み取り、その姿勢や情熱をバックアップする決意のようなものだから、本当に人の力がこもるものだと思う。

 一方、その裏側にはソカイとか、ナントカとか、面倒な言葉が結構くっ付いているんだろうなとも思う。
 そういう単純ではない世界だからドラマが生まれやすい、という結論になる。

 蛇足だが、「疎開」は熟語の成り立ちからいうと、そもそもは隊形の距離・間隔を「開けて通じやすくする」ことから来ているらしい。

 とすると、たぶん組織自体に滞り、偏りが日常的にあることが、疎開という意味を捻じ曲げて使っている原因となっている、そんな解釈をしてみた。

言葉はいつも現実と

2013年09月02日 | 雑記帳
 ラジオを聴いていたらアナウンサーがこう喋る。「九月になったので~~、食欲に気をつけて~~」。少し違和感がある。食欲は気をつけるものか。食欲の有無とか、減少、増加、変化といった言葉があるべきだろう。つまり「食欲の秋」のイメージが先行し「増す」ということが暗黙の了解事項のように省略された。


 亡くなった旧友が発刊した作品集を取り上げ、有名な作家が書評をこう結んでいた。「天国での冥福を祈る」…普通のようにも感じるが自分にはどうもひっかかる。「天国」と「冥福」がしっくりこない。「冥」という字は「冥土」「冥界」の意味があるだろう。そうすると「場」が重なる、微妙にずれるのではないか。


 日本を代表する料理研究家のエッセイに「米を洗う」という表現が出てくる。「米を研ぐ」と教えられてきた者にとっては、どうしたものかと思う。もちろん精米の技術が上がってきていること、筆者が題名に「洗い米」と表わすほど強調している点を考えると、無下に否定できない。しかし「洗う」には抵抗がある。


 「研ぐ」の意味に「水の中に入れた米などをこするようにして洗う」があるので、上位語として「洗う」は間違いではない。しかし「洗う」にある「汚れを落とす」発想には馴染まないのではないか。「研ぐ」にあるみがく感覚がぴったりする。ただ「無洗米」の名称は既に一般的だし、もはや「研ぐ」が死語なのか。


 気になって検索すると「研ぐ」「研がない」でも意見が分かれていることを知る。つまり精米技術の進歩があるので軽くすすぐ程度が旨みを残すのだ派、そして、きちんとこすらないと農薬が取れません派…これはシビアである。そうなると稲の生産そのものと調理方法のつながりだ。言葉はいつも現実と結びつく。

冷やし中華,おわりました

2013年09月01日 | 雑記帳
 冷やし中華が好きだということは宣言していたかな。どうでもいいが,一回書き散らしていたみたいだ。昨年末にちょっぴり書いている。なんせその店に冬でも出すべきだと進言したのは自分だから…。もっとも年に一,二度しか顔を出さない店なので,影響力はないに等しいのだが。とにかく冷やし中華は好きだ。


 勤務校で出前をとったとき,普通の冷やし中華の下に店の名前を冠した「○○冷やし中華」というメニューがあった。期待して注文してみたら,俗に言う冷やしラーメンでがっかり。紛らわしい名称を使ってほしくないな。ところが冷やし中華自体が結構なバリエーションを持ち始めていることをある週刊誌で知った。


 オーソドックス系つまり甘酢ダレの他に,新潮流系,変わり種系と分類されるくらいだから,かなり広がっているようだ。といっても結局は都会の話,そして季節限定的とも言えるだろう。無類のラーメン好きが集うこの国では,麺料理は次々とバージョンアップしていく。しかし「冷中」は「冷中」であってほしい。


 週刊誌の記事で,そういえばと思い出したのが「全冷中」…「全日本冷やし中華愛好会」。山下洋輔がきっかけを作り,会長筒井康隆を初め,赤塚不二夫,黒鉄ヒロシ…まだ売れていない時代のタモリなどが名を連ねた。こういうギャグみたいなことを大げさにやる連中がいなくなった。冷やし中華が熱い時代だった。


 AMEMIYAの「冷やし中華始めました」は,揺るがない夏の風物詩とあまりに揺らぐ身の上とのギャップを自虐的に語った唄だが,この冷中の味は甘酸っぱくなくてはいけない。そしてその掲示は何時とも言えず外される。その無常観も伝える(笑)。あれもこれも冷やし中華と呼んでしまえば,存在はないに等しい。


 考えてみると,全日本冷やし中華愛好会が4年の活動を続け,最後に出した解散宣言は実に先見的だ。その書き出しはこうだ。「冷やし中華は,死ぬ。」なんという潔さ。愛し抜いた人々は「鳴門三年四月八日以降,冷やし中華は地球に存在しない」と言いきった。正麺やラ王まで登場してきて,まさに地獄の様相だ。