研修会の挨拶などの中で、昨今の言葉遣いについて話題にされるのはよくあることである。
先日も,NHKの某キャスターまでがこんな間違いをしていると憤慨された方がいた。
「耳ざわりのいい音」
あれっ、と一瞬思ったがそうだそうだと思い直す。
「耳ざわり」とは「耳障り」であり、「耳触り」ではないはずだ。
従って「耳障りな音」はあるけれど「耳ざわりがいい」という表現はないのである。
「さわり」は確かに間違いやすいなあと思いつつ、電子辞書を開く。
こういう時は、「逆引き広辞苑」である。
「ざわり」で検索してみる。
全部で12あり、「たたみ(畳)ざわり」以外は、全て人間の身体に関わることばだ。
11を列挙してみる。
足触り 足障り 気障り 口触り
心障り 舌触り 手触り 歯触り
肌触り 耳障り 目障り
「触り」「障り」が両方使えるのは「足」しかない。
それからいわゆる五感の感覚器の中では,「鼻」に関する語がない。
「目」も「耳」もあるのだから「鼻障り」があってもいいかもしれない。
匂いや香りは対象が明確でない場合か多いかもしれないから,一般的にならなかったのかと勝手に予想してみた。
五感の「触」が,手,足,肌,口,舌,歯と豊富にある。
それだけに「障り」は「足」ばかりかあ,とまた気になる。
「さまたげになるもの」という「障り」が生じてくるのは,肉体的には歩くときしかないということか。
その割に,見たり聞いたり考えたりするときは,ずいぶんと「障り」が登場するものだ。
厳密には言えないが,なんとなく目や耳という「受け入れる」器官は,障りという言葉を用いることで,拒否という判断があることを表明しているのかもしれない。
お互い,目障り,耳障りにならないように,つつましく暮らしていきませんか。
こんな言葉を「メザワリ,ミミザワリ」がよい?と思うか,目障り,耳障りだと思うか…結局どちらも中身がないということじゃないか。
先日も,NHKの某キャスターまでがこんな間違いをしていると憤慨された方がいた。
「耳ざわりのいい音」
あれっ、と一瞬思ったがそうだそうだと思い直す。
「耳ざわり」とは「耳障り」であり、「耳触り」ではないはずだ。
従って「耳障りな音」はあるけれど「耳ざわりがいい」という表現はないのである。
「さわり」は確かに間違いやすいなあと思いつつ、電子辞書を開く。
こういう時は、「逆引き広辞苑」である。
「ざわり」で検索してみる。
全部で12あり、「たたみ(畳)ざわり」以外は、全て人間の身体に関わることばだ。
11を列挙してみる。
足触り 足障り 気障り 口触り
心障り 舌触り 手触り 歯触り
肌触り 耳障り 目障り
「触り」「障り」が両方使えるのは「足」しかない。
それからいわゆる五感の感覚器の中では,「鼻」に関する語がない。
「目」も「耳」もあるのだから「鼻障り」があってもいいかもしれない。
匂いや香りは対象が明確でない場合か多いかもしれないから,一般的にならなかったのかと勝手に予想してみた。
五感の「触」が,手,足,肌,口,舌,歯と豊富にある。
それだけに「障り」は「足」ばかりかあ,とまた気になる。
「さまたげになるもの」という「障り」が生じてくるのは,肉体的には歩くときしかないということか。
その割に,見たり聞いたり考えたりするときは,ずいぶんと「障り」が登場するものだ。
厳密には言えないが,なんとなく目や耳という「受け入れる」器官は,障りという言葉を用いることで,拒否という判断があることを表明しているのかもしれない。
お互い,目障り,耳障りにならないように,つつましく暮らしていきませんか。
こんな言葉を「メザワリ,ミミザワリ」がよい?と思うか,目障り,耳障りだと思うか…結局どちらも中身がないということじゃないか。
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