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教育は現場にしか存在しない

2018年04月05日 | 教育ノート
 新聞紙上は、今度は防衛省の日報問題で目まぐるしいが、やはり個人的な関心の目はまだ文科省の「前川問題」に注がれている。今日の朝刊にも関連記事が載っている。一つは文科省側からのメールの「黒塗り」要請問題。とにかく批判を避けようという意図にしか見えず、動けば動くほど黒くなっていく典型だ。



 小松郁夫氏が識者評論として「前川授業問題」と題し寄稿している。管理職当時に何度もその文章に刺激を受けてきた。恥ずかしながら本県出身とは知らずにいた。論理的な切り口で、問題点を三つズバリと指摘している。文科省、教委、学校の「法制度的な権限関係」、そして「学校の教育課程編成権限」に関わる点だ。


 そのどちらも文科省が権限を越えた、また根拠が不明確と、批判している。三つ目として前川氏の講師としての適格性に関して述べている。個人的な見方とも言えるが、その評価は高い。何より強調しているのは義務教育の「中立性」という点で、「歴史的経緯」「歴史的教訓」と繰り返し、その対応に警鐘を鳴らした。


 偶然なのか「くらし」という文化欄に前川氏本人の連載が始まった。「学びの解体新書」と題されたその文章は、経験をもとに「自由につづる」趣旨のようだ。自主夜間中学への手伝いを通して、「学びの現場」の嬉しさや楽しさを綴っている。天下り斡旋そして加計問題等で眉唾と感じる向きもあろうが、素直に読みたい。


 昨年の退職時に、文科省職員へ宛てたメールを彷彿させる次の文章が、教育現場には心強い。その言葉にシンパシーを感じて仕事をしてくれる人も多いと信じたい。

 「私がやってきたことは教育行政であって、教育そのものではない。教育は現場にしか存在しないのだ。(略)文科省は『雲の上』と言われることがあるが、本当は『縁の下』であるべきだ。そこを勘違いしないよう、常に心してきた。」

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