すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

子どもを光とするために

2007年11月06日 | 教育ノート
 学習発表会のクライマックスは全校児童による群読と合唱だった。観客を取り囲んだ形で行い、その後に六年生の最後の挨拶が続いた。
 終了のブザーがなり、なんとか無事に終えたなと思ったら、一人の年配の方が私の方に駆け寄ってきた。その目は涙ぐんでいる。
 私の手をとってぐっと強く握り締めてながら
「いやあ、先生。私は長い間いろんな発表会を見てきた。でも今日のは最高だったな。」
と感激の面持ちでそう言ってくれた。
 うれしかった。

 今日出した学校報には、「学習発表会、光りました」と見出しをつけてみた。
 

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 上部の三画で「火」を表し、下部の「儿」(ひとあし)は人間そのものを表します。
 「人が頭の上にたいまつを乗せた姿」からできたとされ、「火を守って神に仕える」方々が、昔はどうやら「光」と名づけられていたようです。

 字源のイメージからふと思い浮かべたのは、たいまつを手に持つ人の姿です。交通機関が発達していなかった頃、夜中に病人が出るとたいまつをかざして先頭に立ち地域総出で運んだという話があります。
 光とはまさしくそういう存在ではないでしょうか。

 むろん今はそんな時代ではありませんが、その精神だけは忘れたくないものです。
 表現することも働くことも、人のためになった時にはじめて「光」と呼べる気がします。
(11/6)
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