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あいまいな政治、あいまいな言論――チベット問題

2008-04-03 22:44:51 | 報道
 チベットの人々が中国の政府に反抗して、暴動を起こしています。
 それに対して日本の政治家のほとんどは、あいまいな態度しか示していません。
 福田首相もこんなふうな発言です。
 「双方が受け入れられる形で関係者の対話が行われることを歓迎する」


 これでは「なにも言ってないことに等しい」とけさの朝日新聞が社説で批判しました。
 その通りだと思います。
 おそらく言っている首相ご本人でさえ、こんな発言が何か世界に影響を与えるなどとは思ってもいないでしょう。
 ですが、それを批判した朝日新聞も、じゃあ首相にどのような発言を期待するのか、となると、その点があいまいです。
 あいまいなことをあいまいに批判しているという印象はいなめません。

 しかし日本の新聞の論調にはしょっちゅうこういうあいまいさが出てきます。
 最後のところはだれも責任を取らなくていいような形で、つまり中心部は空白にしたままで、周辺部で争う格好をするだけです。

 いい市民であること、それはすばらしい民族の一員であるとともに、すばらしい世界民の一員でもあることではないでしょうか。
 21世紀の理想はそういう民族となりそういう世界民となることではないでしょうか。
 それは民族の主体性を尊重し、同時に世界民としての自覚を深めることでしょう。

 だとすれば、チベット人の主体性を抑圧する中国政府のやり方は時代に逆行するものです。
 日本の政府も日本の新聞もそういう普遍的な考えを世界に明快に示してこそ、そういうことをひとつひとつ地道に重ねていってこそ、世界の尊敬も得られるのではないでしょうか。
 政治と言論にはなによりもまず人間の尊厳に基礎を置いた明快な論理が必要です。
 チベット問題は日本の政治や言論の資質が問われる試金石だともいえるでしょう。

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