しゅぷりったあえこお nano

ブログ版 シュプリッターエコー

原発補償は税金でやって当たり前―関電社長

2011-05-06 22:12:00 | 社会
 関西電力(本社・大阪)の社長が、福島で起きている原発災害の補償について、このように言ったそうです。

 東京電力から被害住民への補償については限度額を設けて、その限度額を超える金は国が支払って当然だ。
 電力会社は国策にそって、原発を建設してきたのだから、と。

 しかし国が支払うといっても、国に金があるわけではありません。
 国が出す金は、ぼくら国民の税金です。
 つまり、電力会社の失態の尻ぬぐいは、ぼくらの税金でやって当然だ、という論法です。

 我が家のカミさんは、毎月そこそこの電気料金をみずから支払っているだけに、この話にかなりカチンときています。
 カミさんは言います。

 そりゃあ、電力会社がこれまで得てきた膨大(ぼうだい)な収益を、そのつど国民に還元してきているのなら、社長の主張にもそれなりの理由はあるでしょう。
 けれど、じっさいは国民から高い電気料金を取って、電力会社の役員たちはそこからとほうもない報酬を得て、巨額の社内留保も蓄えてきてるじゃないですか。
 大もうけをしているときは、料金の微々たる値下げだけでお茶をにごして、じぶんたちが大失敗をしたら、それは税金で救えというのはあんまり身勝手じゃないですか。
 身勝手を超えて、傲慢(ごうまん)じゃないですか。

 ぼくはうちのカミさんといつも意見が合うわけではありませんが、これはカミさんの言うとおりだと思います。

 関西電力は、いまは楽天イーグルスの監督をしている星野さんを登用して、「原発は炭酸ガスを出さないからいい」とここ数年、大々的な原発PRをしてきました。
 星野監督のコマーシャルは、福島の原発事故でさすがにテレビや新聞から消えましたが(事故のあとフイに消えました)、底にある強硬な体質は変わりませんね。

 大災害を引き起こすばかりでなく、その尻ぬぐいまでぼくら国民に負担を強要するのなら、原発など最初から要らんのではないですか。 
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だれにも何もわからない―原発災害

2011-04-22 23:04:00 | 社会
 どのくらいの放射線を浴びればぼくたちの体にどれくらいの症状が出るのか、そのもっとも基本的なことが実はだれにもわからないんですからねえ。
 東京電力の話を聞いていてももわからないし、政府の話を聞いていてもわからないし、専門家というひとたちの話を聞いていてもわからないし、ジャーナリストというひとたちの話を聞いていてもわからない。
 具体的な話になると、みんなそこをスリぬける。
 周りはもうこれ以上ないくらいにぎやかに議論がくりひろげられているけれど、中心は空洞。
 確かなことは、だれもわかっていないんです。

 ぼくらのいのちにかかわることが、この緊急時にみんな手さぐり。
 何キロ先まで避難しろっていったって、その底にあるのはみんな、このくらいならいいんじゃないの、というきわめてあいまいな判断だから、説得力がすこぶる弱い。

 それを今まで、みんなわかったような顔をして、原子力発電所の建設を推し進めてきた。
 電力会社や政府やそこにつながる学者・知識人や有名人たちが、安全だ、心配いらない、おれたちにまかせておけ、って言ってきたのは、たくみなパフォーマンスだったわけですよ。
 かれらの演劇で、危険な政策が強引に進められてきた。
 原発立地の地元の住民たちも、そんな根拠のあいまいな説明で、受け入れを決定してきたんですからねえ。

 よくもまあ、っていう感じ、しません?
 この国、もう中心ががらんどうの、虚構の国家になっているんじゃないですか。
 末期症状におちいっているのと違います? 
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菅さんの怒鳴りこみ、結構―福島原発

2011-03-17 02:08:00 | 社会
 福島の原発災害に対する東京電力のうろたえぶりには目にあまるものがあります。
 東電の社長がテレビに顔を出したのは、計画停電の発表のときでしたが、そのときも原発の深刻な不手際にはなんの言及もなかったのです。
 いかにも自信なさげで、深刻な事態にちゃんとリーダーシップが発揮できているのかどうか、まったく心もとない顔と態度と雰囲気でした。
 おそらく原発は安全だと、不遜にも豪語を続けて、推進の旗を振って社長になった人でしょう。
 いきなりの危機的事態に呆然自失なのでしょう。

 そんな東電のたよりなさに菅首相はゴウを煮やして、みずから東電本店に乗り込みました。
 会社幹部に「覚悟を決めろ」と一喝したのです。

 ところで、その模様をぼくらの地域の主要紙である神戸新聞はこんなふうに書いています。
 「(菅首相の行動は)一連の政府対応が後手に回った原因を東電に押し付ける格好にも映り、首相対応への疑問も出ている」
 ぼくは神戸に住むものとして、神戸新聞をとても大事に思っていますが、それでもこんな書き方はないと思います。
 市民のどういうグループが菅首相の行動に疑問を出しているんです?

 事の流れを最初から見ている市民には、東電のモタモタは歴然としています。
 対策は後手に回るし、初歩的なミスはするし、説明はあいまいです。
 隠せるものなら隠したいと、そういう思いがこの機になってまだみえます。
 市民のだれもが怒鳴りつけたい気分だったと思います。
 怒りの臨界点でした。
 首相の一喝を聞いて、ぼくなどは、大多数の国民の心を代弁してくれたと、そうはっきりと思いました。

 これが仮に前の自民・公明の政権だと、やはり東電とグルになって、ぎりぎり手遅れになってしまうまで事態を隠し続けたことでしょう。
 そのことを思うとゾッとします。

 原発の危機的状況は今のところはどうみても最悪の結果へ向かって進んでいます。
 最悪の炉心溶融にいたれば、人命はもちろん、広範な水汚染、農地汚染、大気汚染、建造物汚染が広がって、生産、流通、生活のあらゆる分野に甚大なマヒが起こることになるでしょう。
 しかし、そういう悪魔的な状況へ進むとしても、現状の菅首相と枝野官房長官はよくやっていると思いますよ。

 いま、彼ら以外に、だれが指導者になれますか。
 記者には問題の核心を的確に見抜いてもらわねばなりません。
 
 がんばれ菅、がんばれ枝野。

 神戸新聞に乗ったような記事を書く記者は、局所はみているけれど、全体は十分に見えていないと思います。
 たぶん通信社の記者が書いた原稿をそのまま載せているんでしょうけど。、、
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切り開きましょう、今を

2011-03-15 19:20:00 | 社会
 がんばれ、とか、がんばろう、とか、
 そういうふうにまっすぐにはなかなか東北地方の人々には言えません。
 神戸でじっさいに震災を体験したぼくたちには。

 そんなもんじゃない、という執拗な声が心の底にあるのです。

 とにかく、

 今を切り開きましょう。

 切り開けることを信じます。
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原発は放射能を出すんですね、星野さん

2011-03-13 17:47:00 | 社会
 楽天監督の星野さんが関西電力のお先棒をかついで、盛んに言ってますよねえ。
 「原子力発電所はCO2(二酸化炭素)を出しません」
 なるほど、それはそうでしょう。
 原発から二酸化炭素は出ないでしょう。
 でも、星野さん。
 代わりに、原発は放射能を出すんですね。
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万博、オノボリさんの祭典

2010-10-31 19:18:00 | 社会
 40年前のこと。
 大阪の万博に6400万人もの人が集まって、これが万博史上の新記録だといって日本中がエバってましたが、ボクは何言うてんねんと思ったものです。
 だって、そうでしょう、ただオノボリさんが世界一多かったというだけのことじゃないですか。
 ボクも社命の仕事で二度ほど会場に行きましたが、じっさい、オノボリさんの巨大なかたまりが右往左往してました。

 きょう上海の万博が終わりました。
 中国は入場者が7000万人を超えて、世界一になったといってエバってます。

 まあ、閑古鳥(かんこどり)が鳴いていたよりはいいですが。
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死なないでと叫びたいが―小3児の自殺

2010-08-22 19:45:00 | 社会
 小学校3年生の女児が、首つり自殺ですよ。
 学校はあいまいなことしか言いませんが、責任のがれにきゅうきゅうとしているようにしかみえませんね。

 ぼくも小学校の6年生のときに高槻市にも近い吹田市に転校して、ひどいいじめに遭(あ)いましたから、少女のことが他人事ではないんです。
 学校も手を焼いているフダツキ少年の横に座らされましてね。
 イケニエです。
 彼は好きなだけぼくをいじめられますから、もうほかのこどもたちには手を出さない。
 学校全体がそれで安泰(あんたい)なわけですよ。
 担任の教師は自分のくわだてが功を奏したわけで、むろん見て見ぬふりをしている。

 毎日のように泣かされていましたね。
 ぼくは、これは自分の弱さが悪いんだと、そういうふうに思ってますから、恥ずかしくて親にも言えない。
 死にたい、と思いました。

 もう50年も前のことですけど、これだけはきのうのことのように思い出します。

 ちなみに、そのときの担任教師はやがて教育委員会のエラいさんに抜擢(ばってき)されて、吹田市の教育界のけっこうな顔になった、と後年になって聞きましたが…。

 学校の生活はそのうち終わるのですから、どうか、死なないで、と大声で叫びたい思いにかられますが、死ぬこどもの心も痛いほどわかります。
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母親を待って、待って―2児の死

2010-08-15 22:00:00 | 社会
 わずか3歳と1歳のふたりのこどもをマンションの部屋に1か月以上も捨ておいて、餓死するにまかせた若い母親は、私のことをこどもたちは恨んでいると思います、と語っていますが、こどもたちは恨んでなんかいなかったでしょうね。

 母親を待って、待って、呼んで、呼んで、いつかじぶんたちのところに来てくれるだろうと思いつづけて、信じつづけて、そうして弱って、とうとう死んでいったことでしょうね。

 母親を恨めたら、まだしも救いになったでしょう。

 捨てられたことなど考えすらしないで、ただただ来てくれると信じつづけて、もう泣く力もなくなって死んだのです。

 小さな体が、そんな大きな孤独のなかで死んだのです。

 ぼくらが何を言おうと、わけ知り顔の人々がどれだけ言葉を使おうと、ふたりとぼくたちの間には決して越えられない大きな壁があります。

 ふたりの闇のほんとうの深さを知ることは、ついにぼくらにはできません。

 闇の手前で、ぼくらには結局なにもできません。

 なにかできると思うのは、じぶんは傷つくこともなく安全に生きているものの傲慢(ごうまん)です。
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現代のウバステ山―消える長寿者

2010-08-08 21:43:00 | 社会
 100歳を超す長寿者のうち多くの人が行方不明だというんでしょう。

 だいたいが70代や80代や90代でもう分からなくなっているということですから、70歳くらいから詳しく調べなおすと、行方不明の高齢者はとほうもない数になるんじゃありません?
 住民票だけが残っている亡霊が、ずいぶんと徘徊(はいかい)している。

 なかには高齢者の年金が目当てで死亡を隠しているような、生きている人間の欲で生かされている亡霊もあるようですが、本人がふらっと家を出たまま分からなくなっている、というケースもずいぶんと多そうで。

 家庭そのものが高齢化してしまって、追跡する気力が家庭から失われてしまっている、そういう状況もじゅうぶん想像できますね。

 ある日、フゥーッと消えていく高齢者。
 現代のウバステ山は地域社会そのものの中にひそんでいる。
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なんという大きな闇―幼い姉弟の死

2010-08-01 21:46:00 | 社会
 まだ3歳の姉と1歳の弟の幼いふたりがねえ。
 ママ、ママ、って泣き通しながら、死んでいったんですからねえ。
 鍵のかかったマンションの小さな部屋で、2か月近くも泣き通しながらですよ。
 その母親に見捨てられて。

 どんなに寂しく、どんなに不安で、どんなに飢えに苦しんだか。
 死のそのときまで、尽きることのない恐ろしさが毎日、毎日つづいたんですからねえ。
 2か月近くもですよ。
 泣いては、泣きつかれて眠り、また泣いては、泣き疲れて眠り…。

 たまりませんねえ。
 こんなことが幼いこどもに本当に起こるなんて。

 母親の無責任を追及するのは簡単ですけどね。
 そんなことをいくらしても、それは生き残っているぼくたちの単なるアリバイ捜しでしょう。
 いくら言葉を使っても、死んだ姉弟の恐怖や苦痛には届かない。
 ふたりの孤独には届かない。

 なんという大きな闇でしょう。

 こたえますねえ。 
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