========Philly Soulって何だ?========
Philly Soulを一言で表現するとSweet、美しいストリングスと甘~いファルセットヴォイスと言うようなイメージであろう。ファルセットヴォイスを世に認識させたと言っても過言ではない、The StylisticsがYou Are Everything/Becha By Golly Wow/Stop,Look,Listen等をヒットさせたのは'72~'73年である。この頃は前回登場したThom Bellが作曲、制作に関わっていた。言うなればPost The Delfonics的な存在であった。彼らはPhilladelphia International(PIR)所属ではなかったが確実にPhillyを代表するArtistであった。それ以前のファルセットと言えばPhillyの夜明けThe Delfonics(William Heart)、その遥かに前のThe Platters、MOTOWNのSmokey Robinson& The Miracles(Smokey)、ChicagoのThe Dells(Johnnie Carter)等があった。
さてPhillyのメインレーベル、PIRはといえば私がDetroitのThe Dramaticsと並び大好きなThe O'Jays!彼らがPIRでのデヴューシングル、Backstabbers(裏切り者のテーマ)'72年に大ヒットさせ、幸先の良いスタートを切る。さらに'73年にはLove TrainをR&Bチャート1位に送り込み、PIRのドル箱として揺るぎない存在となり、R&BチャートNo.1を6曲、トップ10を12曲も送り込むPhilly1のVocal Groupとして君臨する。私がこのThe O'Jaysが大好きなのはリードシンガーのEddie Levertの存在である。先ほど登場したThe DramaticsのL.J.Reynolds(USAのタバコメーカーはR.J.Reynolds)と双璧をなすFavorite Singerである。このThe O'Jaysにはもう一人Walter Williamsと言うリードシンガーがいて、彼はEddieに比べしわがれ声でそれ程スムーズでないファルセットを使う。歌い回しもちょいとぎこちないところが、完璧な唱法であるであるEddieと個性が別れ、いい味を醸し出しているところも魅力である。ちなみに前出のBack Stabbers/Love TrainそしてLet Me Make Love To You等は吉田がよくライヴで歌う曲でもある。
PIRと言えば日本でも”Phillyの恋人”と呼ばれ、何度も来日、当時あった東京音楽祭でグランプリを取ったThe Three Degreesを無視する事は出来ないだろう。実は彼女達は日本で紹介される前にUSAではかなりのヒットを飛ばしていた。Roulette時代の”Maybe”はR&Bチャート4位までヒットさせ、その後のシングル"I Do Take You"は7位まで上るヒットであった。その後PIRに移籍し、When Will You See You Againを全米2位まで上るヒットを飛ばし、日本でもその認識を確固たるものにする。
彼女達にはGospelで鍛えたしっかりした歌唱力があったが、日本では何と言ってもそのSexyな衣装が当時の野郎共の下半身にアピールした。PIRのハウスバンドであったMFSBとのコラボレイションであるSOUL TRAINのテーマ(TSOP)は全米No.1に上る大ヒットになる。SOUL TRAINってのは当時の吉田の教科書みたいな物であったのだから本当に忘れられない曲であった。日本での人気を象徴するのは、日本制作のシングルである”にがい涙”であろう。作曲/筒美京平、70年代の野郎共のハートはThe Three Degreesの虜であった。正直本国USAの人気よりもU.K.や日本のほうが人気が高かったのは、アイドル的な売り出し方が功を奏したと同時に、実力至上主義なUSAでは今ひとつ長い成功に繋がらなかった理由ではないだろうか?
次回はPhilly Soul#3をお送りします。皆さん意見や質問を書き込みして下さいね!
Philly Soulを一言で表現するとSweet、美しいストリングスと甘~いファルセットヴォイスと言うようなイメージであろう。ファルセットヴォイスを世に認識させたと言っても過言ではない、The StylisticsがYou Are Everything/Becha By Golly Wow/Stop,Look,Listen等をヒットさせたのは'72~'73年である。この頃は前回登場したThom Bellが作曲、制作に関わっていた。言うなればPost The Delfonics的な存在であった。彼らはPhilladelphia International(PIR)所属ではなかったが確実にPhillyを代表するArtistであった。それ以前のファルセットと言えばPhillyの夜明けThe Delfonics(William Heart)、その遥かに前のThe Platters、MOTOWNのSmokey Robinson& The Miracles(Smokey)、ChicagoのThe Dells(Johnnie Carter)等があった。
さてPhillyのメインレーベル、PIRはといえば私がDetroitのThe Dramaticsと並び大好きなThe O'Jays!彼らがPIRでのデヴューシングル、Backstabbers(裏切り者のテーマ)'72年に大ヒットさせ、幸先の良いスタートを切る。さらに'73年にはLove TrainをR&Bチャート1位に送り込み、PIRのドル箱として揺るぎない存在となり、R&BチャートNo.1を6曲、トップ10を12曲も送り込むPhilly1のVocal Groupとして君臨する。私がこのThe O'Jaysが大好きなのはリードシンガーのEddie Levertの存在である。先ほど登場したThe DramaticsのL.J.Reynolds(USAのタバコメーカーはR.J.Reynolds)と双璧をなすFavorite Singerである。このThe O'Jaysにはもう一人Walter Williamsと言うリードシンガーがいて、彼はEddieに比べしわがれ声でそれ程スムーズでないファルセットを使う。歌い回しもちょいとぎこちないところが、完璧な唱法であるであるEddieと個性が別れ、いい味を醸し出しているところも魅力である。ちなみに前出のBack Stabbers/Love TrainそしてLet Me Make Love To You等は吉田がよくライヴで歌う曲でもある。
PIRと言えば日本でも”Phillyの恋人”と呼ばれ、何度も来日、当時あった東京音楽祭でグランプリを取ったThe Three Degreesを無視する事は出来ないだろう。実は彼女達は日本で紹介される前にUSAではかなりのヒットを飛ばしていた。Roulette時代の”Maybe”はR&Bチャート4位までヒットさせ、その後のシングル"I Do Take You"は7位まで上るヒットであった。その後PIRに移籍し、When Will You See You Againを全米2位まで上るヒットを飛ばし、日本でもその認識を確固たるものにする。
彼女達にはGospelで鍛えたしっかりした歌唱力があったが、日本では何と言ってもそのSexyな衣装が当時の野郎共の下半身にアピールした。PIRのハウスバンドであったMFSBとのコラボレイションであるSOUL TRAINのテーマ(TSOP)は全米No.1に上る大ヒットになる。SOUL TRAINってのは当時の吉田の教科書みたいな物であったのだから本当に忘れられない曲であった。日本での人気を象徴するのは、日本制作のシングルである”にがい涙”であろう。作曲/筒美京平、70年代の野郎共のハートはThe Three Degreesの虜であった。正直本国USAの人気よりもU.K.や日本のほうが人気が高かったのは、アイドル的な売り出し方が功を奏したと同時に、実力至上主義なUSAでは今ひとつ長い成功に繋がらなかった理由ではないだろうか?
次回はPhilly Soul#3をお送りします。皆さん意見や質問を書き込みして下さいね!