美島奏城  豊饒の海へ

豊饒の海をめざす、教育と文芸と風流に関する備忘録

あるのだなと! コンビニに突っ込んだ乗用車

2012年06月12日 | 無粋

  よくいくコンビニ(セブン・イレブン)に車が突っ込んでいました。店内まで進入していないのでブレーキのかけ遅れと思われる。運転手は事態が呑みこめていないのか、降りてくる気配がない。店員が出てくるよう指示しているが、ある意味泰然としている運転手、ご老人でした。

  まぁ、怪我人が出なかったのが不幸中の幸い。


華燭の典にて

2012年03月03日 | 無粋

  知り合いの教員同士の結婚式に参列した。東京ベイのホテルを会場に。

  人前式という形式は2回目。しかし結婚式から月下氷人が消えて久しくなるなあ。結婚式も進化?変化しているのだ。ともあれお二人に幸あれ!

  既婚者同士での箴言のような会話「結婚式は夢、結婚生活は現実」、 「結婚後のしばしの後悔、ながい忍耐、明るい諦観、そしてその後は絶望か再生なのだ!」と。

  ともあれ幸福の頂点にある姿を見られることは言祝ぐべし!

 
浜松町にで下車        ホテルから眺望

 
花嫁の顔はいつも隠れてました。

 

 

 

 

 

 

 


話のネタ「どじょう饅頭」だって!  そこから鈴木貫太郎へ

2011年12月22日 | 無粋

  千葉に行くと売っている「どじょう総理まんじゅう」。中身はどうみても形も落花生まんじゅう。味は「ひよこ」と似ている。小豆のあんこが入っているわけではない。

  TDL近くのホテルで購入。

  

戦後、千葉県初の総理ということですね。

 

 戦前体制下での鈴木貫太郎総理はあえて無視したか。

 鈴木貫太郎はNHK「坂の上の雲」では赤井英和が演じていたが、赤井は大阪出身だった。

 実は貫太郎も出生地は今の大阪である。そこに関宿藩の飛地があり、そこで生まれたわけだ。赤井が貫太郎を演じた理由はそうこともふくまれているだろうか?

 鈴木貫太郎を大阪の出身と思っている方も多いだろうが、正しくは関宿藩の出身ということになる。

 関宿藩は水運が主だった江戸時代には幕府の最重要拠点の一つで藩主は当然ながら代々譜代がつとめ、江戸後期には久世氏が藩主だった。関宿藩主からは多くの老中・京都所司代が出ているんので、その家格がいかに高かったかがわかる。

 千葉県人は初の総理は鈴木貫太郎だと思っているだろうが、貫太郎自身は幼少期と晩年しか関宿で過ごしておらず、彼自身は関宿の者、また旧幕臣という意識が強かったのではないだろうかと忖度する。

  どじょう饅頭をみてそのように話は発展した。

 

 


旅犬、だいすけ君 追悼!

2011年11月30日 | 無粋

 だいすけ君とは一度会ったことがあります。残念です。

 

人気“旅犬”だいすけ君が胃捻転で急逝

  BSジャパンの旅番組『だいすけ君が行く!! ポチたま新ペットの旅』(毎週水曜 後8:00)に出演する人気犬のラブラドール・レトリーバーのだいすけ君(オス・6歳)が、11月29日に急逝した。30日、同局が発表した。

 同局によると、29日未明、旅先の宿で同じ部屋にいた松本君がだいすけ君の異変に気づき、獣医師と相談の上、宿の近くの動物病院に搬送。レントゲン撮影で「胃捻転」が確認され、緊急手術が行われたが、手術後安静にしていたところ容態が急変し、午前9時過ぎに息をひきとったという。

 だいすけ君は、テレビ東京『ペット大集合!ポチたま』(2010年3月放送終了)の初代旅犬・まさお君の7番目の子として2005年6月に誕生。まさお君と一緒に何度か父子旅を経験した後、翌06年10月より日本各地を“相方”の松本君(松本秀樹さん)とともに旅する2代目旅犬に就任。愛くるしいルックスで人気を博した。

 2010年4月より冠番組スタートにともないBSジャパンの宣伝部長に任命され、訃報に際し同局の山田登社長は「視聴者の皆様をはじめ、日本全国の多くの方々に愛された存在だけに、とても残念です。だいすけ君はBSジャパンの宣伝部長としても活動し、動物と人間の触れ合いの素晴らしさを教えてくれました。そして何より見る人の心を温かくしてくれたことに感謝いたします。だいすけ君のご冥福を心よりお祈り申し上げます」とコメントを寄せた。

 また相方の松本君も「偉大な父親『お馬鹿でおもしろいまさお君』のイメージから『キュートで素直なだいすけ君』へ。『だいすけ君って、まさお君よりいい子だよね』って言われる事が誇らしかった。食いしん坊で、無邪気で素直、世界中の人と犬は自分の事を好きだと信じているとこ、仔犬に優しく、牛に好かれる…君の魅力は世界中の誰より僕が知ってるよ。虹の橋の入り口にまさおパパが迎えに来てるはず。久しぶりに2人で遊びな。くれぐれも虹の橋を壊さないように。永遠の相棒・松本秀樹」とコメント。

 同番組はテレビ東京系でも毎週金曜午後0時半より放送中。日本の地上波13局のほか、台湾、香港、タイでも放送されている。年内に追悼行事を行う予定としている。



『ALWAYS三丁目の夕日』がかえってきた!

2011年05月05日 | 無粋

 映画『ALWAYS三丁目の夕日』が、3D版で『ALWAYS三丁目の夕日’64』としてかえってくる。

 公開は来春。

 この企画を知ったのは今年の1月だが、まだ準備段階であったため、その後の動きを追うことはなかった。そのうち東日本大震災が起こり、映画のことはとんと忘れていた。連休に入りふとチェックしてみると予告版が完成していた。

 今回は東京オリンピックのあった1964年を中心とした展開ということだ。この映画は東日本大震災への激励の意味も込められることになるだろうと思う。東京オリンピックこそは戦後の我が国復興が国際的に達成されたことの証左であったからだ。

 Ⅲはないと思っていただけにこの展開はきわめてうれしい限りである。

  予告版

  http://www.always3.jp/

 


『3年B組金八先生・ファイナル』を視た!

2011年03月28日 | 無粋

 『3年B組金八先生・ファイナル~4時間SP』を視た。テレビドラマをその時間に視ることはめったにないことだが、休みということもあり、このドラマの最後を視とどけた。

 冗漫と思える部分もあったが、人は人といて初めて人間であるということや、隅を照らす人であれ!というメッセージは伝わってきた。

 出演者には今では有名な俳優さんも多くいたが、あの人はいないのか?とかはあった。

 桜中学が舞台になったシリーズだけの卒業生が集まったという設定のためか、第3シリーズ(松ヶ崎中学校が舞台)の方々は誰も出ていなかったようだ。

 教師ものドラマでは当然ながら最長放送で教師の成長物語という要素ももつことになったのだなぁと思った。

 さまざまな意味で教育界に投げかけたものは大きいと思う。

 余談だが、今回のメインの子役の岡本圭人は岡本健一の息子で、金八にまとわりついていた子(趣里)は、水谷豊・伊藤蘭の娘さんだ。

 東京都区立桜中学校という名称も不自然だが、面白い。

 

※最後の教え子たち


被災見舞い

2011年03月13日 | 無粋

  災害史上最悪の日となった11日から2日目。悲惨な状況がどんどん明らかになる。脱力感に襲われる。すべての被災地・被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。(こちらも余震におそわれているのだが。

  そんななか、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)の社説は、我々に元気と誇りをとりもどさせるものだった。世界のリーダーたるべく日本は戦後復興の時と同じように震災後復興をとげなくてはならい!

  この災害の中でも秩序を保てる民族は世界の誇りだ!

 

<東日本大震災>「不屈の日本」…米紙称賛

 【北米総局】東日本大震災を受け、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は12日、「不屈の日本」と題する社説を掲載した。社説は地震大国日本の技術力と「備え」をたたえ、「日本は経済が低迷し、政治家の失態に国民の大部分は当惑しているが間違ってはいけない。日本の産業力は依然として偉大だ」と述べた。

 社説は「1億2600万人以上が住む島国が、(大規模)地震にいかに持ちこたえたかについて言及せざるを得ない」としたうえで、日本が100年以上にわたり「建物の耐震化をしてきた」と指摘。「今回の地震で高いビルは持ちこたえたようだ」と分析した。

 93年完成の横浜ランドマークタワーに触れ「高さ971フィート(約296メートル)は地震大国では驚異的。最先端の建築工学を駆使できる技術と富があって初めて可能になった」と評価。また07年導入の緊急地震速報を「世界最先端の技術」と紹介し、11日の地震発生時にも「高い評価を得た」とたたえた。

 また米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は11日、阪神大震災当時に東京支局長だったニコラス・クリストフ氏の「日本へのお悔やみ、そして称賛」と題するコラムを掲載、日本人の精神力の強さをたたえ、復興に向けてエールを送った。

 クリストフ氏は、阪神大震災時の取材で、崩壊した商店街で略奪がほとんどなかったことや、支援物資の奪い合いが生じなかった事例を紹介。「我慢」という日本語を引き合いに「日本人の忍耐力や冷静さ、秩序は実に高潔だった」と説明し、「今後、それらが示されるだろう」と期待を寄せた。

以下全文

 11日に日本を直撃したような規模の地震からは、どの国も無傷ではいられない。地震では少なくとも1000人が死亡した。その被害にもかかわらず、1億2600万人の人口を抱えるこの島国が、1900年以降で5番目の規模の大地震にいかに適切に対応しているかは、注目すべきことである。三陸沖を震源地とするマグニチュード(M)8.9の地震では高さ約10メートルの津波が発生し、津波は53カ国にも押し寄せた。

 この巨大地震にもかかわらず、日本人が母なる大地からのこの猛威を切り抜けるために比較的よく準備ができていたことについては言及せざるを得ない。日本は文字通り、立ち上がっている。いかにすれば、人間の計画と産業社会が自然災害に対処できるかの証として。

 年間数百回の地下振動を経験する国である日本は、1891年のM8.4の地震以来、耐震に配慮した建物を作ってきた。1965年まで建物の高さは30メートル程度までに制限された。しかし都市人口の増加に伴い、この建物の高さ制限は撤廃された。日本の木造住宅は沿岸地域では津波に脆弱だったが、高いビルは今回の地震では持ちこたえたようだ。

 1993年に完成した横浜ランドマークタワーの高さは約300メートル。地震国日本では驚異的な高さだ。最先端の建築工学を駆使できる技術と富を投入できて初めて、このような高層ビルの建設が可能になった。

 07年10月には緊急地震速報が導入された。この世界最先端の地震早期警戒システムは11日の地震の際にも、テレビ、ラジオ、携帯電話などで都民に警報を出したことで評価を高めた。この警報により、地震が起きる前に工場やエネルギー施設、輸送機関などには操業を停止する余裕が生まれる。最大の懸念事は、今回の地震で自動停止した原発の炉心を冷却する能力だ。米国は冷却剤を送っている。

 日本は現在、大規模な復旧に直面している。しかし、それは過去300年で最大の地震の後に必要になるかもしれなかった程度よりも、軽度なものだ。われわれは、日本に似たような警戒システムが他の地震国でも開発、導入されることを期待する。

 日本の準備態勢は昨年のハイチ地震や、7万人が死亡した08年の中国四川大地震などとは対照的だ。ハイチは何十年も続いた失政による貧困のせいだとしている。中国は富はあるが、その政府は誰からも責任を問われない。95年の阪神大地震以来、日本は度重なる改革を行ってきた。

 日本は最近、マスコミなどでは評判が悪い。経済成長は低迷し、政治家の失政に、大部分が生産的な国民は当惑している。しかし、間違いなく日本は依然として産業大国だ。11日の地震の壊滅的な影響にもかかわらず、近代国家としての日本の業績がもたらす自国を守るという恩恵は指摘せずにはいられない。