飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

纏向に環濠がないからと論じるYou Tube番組へのコメント

2021-05-21 06:05:35 | 邪馬臺国
>纏向に環濠がない。これは纏向が邪馬台国である条件にあっていない。

倭国大乱の後、卑弥呼が共立されて邪馬台国連合ができた。女王国には以下のような行程で行けると書いてあるのですから、纏向に環濠がないのはかえって女王国の目印になります。あなたはどうやら邪馬台国の位置を探しているようですが、魏志倭人伝では邪馬台国までの行程ではなく、女王国までの行程と書かれています。女王国と邪馬台国を混同してはいけません。

倭国大乱の倭国とは九州から瀬戸内海沿岸域での大乱のことです。卑弥呼は九州南部から九州中部に移動し、九州北部のナシメ、イクメを中心とする勢力によって権威として立てられ、ナシメ、イクメを中心とする勢力の権力をバックアップする形で、共に双分制を形成したのです。そうすることで倭国大乱を鎮め、近畿に倭国融和を象徴する纏向を建設した。そして同じく倭国融和の象徴たる自分の常駐地としたのです。ナシメとイクメは実務担当として実務の中心地北九州に常駐したのです。

倭国大乱は桓霊の間で146-189年のことです。女王国の位置が主題となっている魏使の日本滞在の時期は239年です。50年の差があります。邪馬台国は189年頃に九州中部にあり、そこで倭国大乱を鎮めた後、189年以降に近畿に移ったのです。中原に対して九州倭国を表に立て本体を近畿に移して邪馬台国の縦深化を図ったものと考えられます。この時、倭国融和の象徴として人工的に建設された纏向に環濠などできるはずがありません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿