はじめまして。京都嵐山の飛鷹満と申します。
2週間ほど前に、きっかけは忘れましたが、このサイトの存在を知り、それ以来、一番最初の記事から順に読みつづけて、とうとうこの記事まで辿り着きました。日本史をユーラシア規模の大きな文脈で読み解く作業自体は私も、4年ほど前から自分の仕事の重要な一部として行っています。
自分とよく似た、しかし遥かに先を行く偉大なる先人。世の中は、上には上がある。素直に尊敬できる自立した知性と精神の持ち主。この人の仕事も自分の将来の仕事に重要な方向性を与えてくれるに違いない。これがマヨさんに対する私の印象です。
名古屋では何年か前にある予備校の英語講師として教壇に立っていました。ですから、マヨさんの住んでおられる町は私にとって、全く無縁な町とは言えないかもしれません。これから、少しではありますが、私の気づいたこともコメントさせていただけたら幸いです。
さて今回は、ヘブルとイスラエル、ユダヤ、原始キリスト教、偽ユダヤの概念をどう整理したら良いのかという話題になっているようですので、私も一言、簡単なコメントを入れてみます。
マヨさんは何年か前のコメントで、飛鳥昭雄氏について、「本当の日本の裏側を知らされた極少数の人のうちの一人」「若干の意図的なフェイクを入れているはずで、だからこそ面白い」と評価された上で、「秦氏のことを景教徒と結論づけている」と書いておられました。飛鳥昭雄氏の著作も手に入るものはほとんど全て読みましたが、この最後の規定には誤りがあります。ジェネラリストとして鋭い閃きの下、多くの貴重な文献を発掘して読破されておられることを十分に評価した上で、ある種の私なりの援護として、この点を指摘しなければと感じました。
飛鳥昭雄氏は、そのような通説を紹介した上で、その後推理を何段階も深めて、次のように明確に結論づけています。
「秦氏は、時系列上、景教徒ではあり得ない。イスラエル教の異端としてのパリサイ派ユダヤ教を、イスラエル教原理主義者や神秘主義者、カッバーリスト、預言者などの立場から痛烈に批判し、正統な霊性をこの世に刻み込むための秘教儀式の意味合いをも含ませつつ自ら十字架に掛けられたイエス。この聖人を中心に形成され、このような意味でのイエスの精神を継承した原始イエス教団。この教団がエルサレム陥落後に中央アジアや華北、満州、半島を経て、最後に秦氏として、あるいは忌部氏、賀茂氏(八咫烏。裏天皇。陰陽師。漢波羅)として、列島に入って来た。そして、それ以前の様々な時代に列島に入り込み、住みついていたヘブル人やイスラエル十支族、東方ユダヤ人(徐福の一族=物部氏)などの既存の神殿を統合し、全国に今あるような神社の初期形態を作った。一口にユダヤ人と称し、20世紀になって人工的に作り上げられた国家に過ぎないイスラエルの漠然としたイメージで事柄を分かったつもりになっているのが、全ての間違いの元凶となっている。(1)ヘブル(アブラハムに始まる)、(2)イスラエル(ヤコブに始まる)、(3)北イスラエルの失われた十支族、(4)東方のユダヤ人(マギを中心とする)、(5)バビロン捕囚後のユダ王国人、(6)原始イエス教団ユダヤ人、(7)エルサレム陥落後に中東やヨーロッパに離散したユダヤ人(スファラディやパレスチナ人など)、(8)ハザールの偽ユダヤ人(アシュケナジ)、(9)パリサイ派偽ユダヤ人サウロ=パウロによってアンティオキアに形成された、ギリシア語を喋る人達のキリスト教徒、(10)そのローマにおける発展形態としてのカトリック。これらは全て、厳密に区別すべきだ。そもそも、『ユダヤ』という発音自体、日本の習慣として採用はするが、大きな間違いである。正確には、『八幡』の訓読み(やはた)に近い発音がアラム語では行われていた。『寝ねず(いねず)』を『寝ず(ねず)』と縮合するのと同じ原理で、そこから接頭音の『や』を省いてできたのが、『幡』『波多』『秦』『畑』『羽田』『旗』などである。また、ギリシア語のイエス=キリストは、アラム語では『太秦』の訓読み(うずまさ)に近い発音になる」と。
ここで私は極めて大まかにしか紹介できませんが、飛鳥昭雄氏と三神たける氏による何冊かの古代史連作(ムーブックス)を読むと、遥かに詳しい筋の通った解説を目にすることができます。ここでの皆さんの論争を読んでいると、飛鳥昭雄氏による今述べたような概念規定が役に立つのではと思われ、そのことを伝えたいと思い立った次第です。参考にされてはどうでしょうか?
2週間ほど前に、きっかけは忘れましたが、このサイトの存在を知り、それ以来、一番最初の記事から順に読みつづけて、とうとうこの記事まで辿り着きました。日本史をユーラシア規模の大きな文脈で読み解く作業自体は私も、4年ほど前から自分の仕事の重要な一部として行っています。
自分とよく似た、しかし遥かに先を行く偉大なる先人。世の中は、上には上がある。素直に尊敬できる自立した知性と精神の持ち主。この人の仕事も自分の将来の仕事に重要な方向性を与えてくれるに違いない。これがマヨさんに対する私の印象です。
名古屋では何年か前にある予備校の英語講師として教壇に立っていました。ですから、マヨさんの住んでおられる町は私にとって、全く無縁な町とは言えないかもしれません。これから、少しではありますが、私の気づいたこともコメントさせていただけたら幸いです。
さて今回は、ヘブルとイスラエル、ユダヤ、原始キリスト教、偽ユダヤの概念をどう整理したら良いのかという話題になっているようですので、私も一言、簡単なコメントを入れてみます。
マヨさんは何年か前のコメントで、飛鳥昭雄氏について、「本当の日本の裏側を知らされた極少数の人のうちの一人」「若干の意図的なフェイクを入れているはずで、だからこそ面白い」と評価された上で、「秦氏のことを景教徒と結論づけている」と書いておられました。飛鳥昭雄氏の著作も手に入るものはほとんど全て読みましたが、この最後の規定には誤りがあります。ジェネラリストとして鋭い閃きの下、多くの貴重な文献を発掘して読破されておられることを十分に評価した上で、ある種の私なりの援護として、この点を指摘しなければと感じました。
飛鳥昭雄氏は、そのような通説を紹介した上で、その後推理を何段階も深めて、次のように明確に結論づけています。
「秦氏は、時系列上、景教徒ではあり得ない。イスラエル教の異端としてのパリサイ派ユダヤ教を、イスラエル教原理主義者や神秘主義者、カッバーリスト、預言者などの立場から痛烈に批判し、正統な霊性をこの世に刻み込むための秘教儀式の意味合いをも含ませつつ自ら十字架に掛けられたイエス。この聖人を中心に形成され、このような意味でのイエスの精神を継承した原始イエス教団。この教団がエルサレム陥落後に中央アジアや華北、満州、半島を経て、最後に秦氏として、あるいは忌部氏、賀茂氏(八咫烏。裏天皇。陰陽師。漢波羅)として、列島に入って来た。そして、それ以前の様々な時代に列島に入り込み、住みついていたヘブル人やイスラエル十支族、東方ユダヤ人(徐福の一族=物部氏)などの既存の神殿を統合し、全国に今あるような神社の初期形態を作った。一口にユダヤ人と称し、20世紀になって人工的に作り上げられた国家に過ぎないイスラエルの漠然としたイメージで事柄を分かったつもりになっているのが、全ての間違いの元凶となっている。(1)ヘブル(アブラハムに始まる)、(2)イスラエル(ヤコブに始まる)、(3)北イスラエルの失われた十支族、(4)東方のユダヤ人(マギを中心とする)、(5)バビロン捕囚後のユダ王国人、(6)原始イエス教団ユダヤ人、(7)エルサレム陥落後に中東やヨーロッパに離散したユダヤ人(スファラディやパレスチナ人など)、(8)ハザールの偽ユダヤ人(アシュケナジ)、(9)パリサイ派偽ユダヤ人サウロ=パウロによってアンティオキアに形成された、ギリシア語を喋る人達のキリスト教徒、(10)そのローマにおける発展形態としてのカトリック。これらは全て、厳密に区別すべきだ。そもそも、『ユダヤ』という発音自体、日本の習慣として採用はするが、大きな間違いである。正確には、『八幡』の訓読み(やはた)に近い発音がアラム語では行われていた。『寝ねず(いねず)』を『寝ず(ねず)』と縮合するのと同じ原理で、そこから接頭音の『や』を省いてできたのが、『幡』『波多』『秦』『畑』『羽田』『旗』などである。また、ギリシア語のイエス=キリストは、アラム語では『太秦』の訓読み(うずまさ)に近い発音になる」と。
ここで私は極めて大まかにしか紹介できませんが、飛鳥昭雄氏と三神たける氏による何冊かの古代史連作(ムーブックス)を読むと、遥かに詳しい筋の通った解説を目にすることができます。ここでの皆さんの論争を読んでいると、飛鳥昭雄氏による今述べたような概念規定が役に立つのではと思われ、そのことを伝えたいと思い立った次第です。参考にされてはどうでしょうか?
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