songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

聞こえる幸せ、聞こえぬ不幸 ~突発性低音難聴~4

2014-08-18 17:49:30 | ライフ
【どう聴こえているのか、聴こえていたのか】

1週間たってからは、大体同じような症状でした。
とにかく一番厳しいのが、「ヒヨヒヨ」の、変な音程が、正しい音に混じって聴こえている
救急車の音が、あの、長三度の音程で聴こえてこないのには、自分でもあまりの変な音程に笑ってしまい、不謹慎で悲しくなってしまい、何とも情けない気分でした。
小さい音量でも、おそらく一定音域はすべて「ヒヨヒヨ」にかわってしまう。(ひよこの鳴き声のようになる水笛のような音です)
大きい音は、もちろんこもって、割れる。
思い出したようにやってくる耳鳴りや、栓塞感。

左は正常に聴こえているのでしょうが、やはり左耳も「疲れた」と悲鳴を上げているのがわかります。

一般には、普通には、どう聴こえているのだろうか
そんなことばかり考えながら、音を聴き続けている毎日です。

比較することはおこがましくて申し訳ないのですが、例えばベートーヴェンやスメタナのような人たちが、こういう症状から始まる難聴に見舞われていたとしたら、確かに発狂したくなるような気持ちがわかります。

自らが味わってきた、理想とする最高の音の空間を、二度と味わうことができなくなる

たとえ周りの人々が自分の作った音楽で喜んでくれたとしても、自分にはそれを味わうことができない
そう思ってしまうと、やりきれない気持ちになると思います。実際彼らは、そうなってしまい、しかしその中であれだけの音楽を作ったのだから、感服というほかありません。


私の場合、人が歌ったり演奏したりしているところに、「ここはこうだよ」とアドバイスする立場に立つので、正しく聞こえていないことは、非常にまずいのです。
「こう聴こえているんだろうな」と思いながら、というのは、本当に難しい。


9日たち、10日たち、もはや絶望的な気持ちになりかけていました。家族とも話しました。ダメならばダメで、この聴力につき合って生きていかなければならない。こういうものなのだ、と。それに体レベルで納得するまで、時間はかかるかもしれないけど、と。


【希望と喜び】

ところが、13日目のことです。
吹いてきた風が、なんとなく普通に聞こえてきました。今までは、風が吹いても、左側からしかまともに聞こえていなかったのに。
低音が、再び聞こえ始めてきたのです。

ダメなパターンだと、聞こえなくなった音はもうよみがえることがない、と言われていました。蝸牛の中に音を感じ取る毛が何本かあり、そのうちのどれかが損傷することで聴覚の異常が現れると。その毛は再生されることがないので、一度ダメになってしまったら、一生元に戻ることはない、と言われています。

でも、確かに低音が聞こえてきた。

戻れるんだ。

希望が湧いてきました。


それから二日経ちます。
ずいぶん元通りに近い音が聴こえてきているように思います。
まだ耳鳴りもあるし、音割れ等もありますが、格段に減っています。
何より本日の聴音検査で、確かに聴力回復の兆しが確かめられたのです。
完全に治るかどうかはわかりませんが、日常生活上のストレスはかなり減ると思われます。
音楽も、だいぶ普通に聴こえるので、今、また歌いたいという気持ちになっています。

お気に入りの音楽を聴いて、今までどおりに聞こえる嬉しさと言ったら、たまらないものがあります。なんて幸せなんだろう、と。


すごく考えさせられました。
私はつい二日前まで、とても歌を録音して、自分で楽しみたいなどと思うことはできませんでした。相手にどう聴こえるかわからないし、自分も楽しんで聞くことができないし。
現在、再び楽しみたい気もちにはなっているものの、いつまたこんな状況になるかわからない。年齢的にも、成人病や老化は、もう明日やってきても全然不思議ではない。
そんな時、自分は音楽を楽しむことができるのか。

掛け値なしに音楽が気持ちよく聞こえる今、ものすごく考えさせられるのです。
そして、できる限り本当の回復に向かってほしいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聞こえる幸せ、聞こえぬ不幸 ~突発性低音難聴~3

2014-08-18 01:41:19 | ライフ
【続く症状】

 旅行では、飛行機の機内音とずっと付き合っていました。イヤホンで音楽を聴きますが、右の耳からは、予測されていた音が聞こえてきません。
それどころか、妙な音程の音が、ヒヨヒヨ、ヒヨヒヨと聞こえてくるのです。これがかなり私を苦しめます。
ありもしない音が、音楽の、超不協和音となって右から流れてくるのです。

その後、この症状と、ずっと付き合うこととなります。

運転は長く、エンジン音などで結構な音量。長旅で、神経をずっと使っています。
疲労がたまっていくのが、自分でもわかりました。

もちろん旅は楽しいこともいっぱいあったのですが、症状は様々な形で出てきました。
食事中に多少のアルコールはいただいたものの、結構なめまいを感じたのも、きっと偶然ではなかったと思います。
食べながら、頭からくずれ落ちるのではないかと思ったこともあったので、二日目からは飲むのをやめました。

外に出て、風が吹いても、右と左では感じ方が変わってしまいました。「ああ、本当だったら、左耳のように聞こえているんだな」なんて考えてしまう。


この旅行、台風接近時だったので、帰りが予定日通りに帰れるかで、ずっと気をもんでいました。もし帰れなかったら…
このストレスも、かなりでした。
旅行中の宿で、和太鼓の演奏を楽しめるというので、見に行きました。
素晴らしい演奏だったけど、やはり聞こえ方が違ってしまって、寂しさが残ったり、あまりの音量の大きさに、「あ、しまった」と感じてしまったり。


旅行から帰り、再び医者へ。
聴力は、全く改善していませんでした。ここで6日目。すでに、「治る確率の高いエリア」は過ぎております。

同じ薬をもらいました。ちなみに、こういう途中から、点滴治療などに切り替えても、全く改善にはならないそうです。

それからも、相変わらず、耳鳴りがしたり、不思議な音が聞こえたり、口笛を吹いても、ある音の高さ周辺では変な共鳴が顔の中で伝わったり。
仕事が迫っているので完全な安静は難しく、むしろストレスになったり、です。


不思議なもので、こうなってくると、音楽へのエネルギーを注ぐことが厳しくなってくるのです。

まず、変な音が聴こえてしまうし、肝心な音は聴こえてこないから、鑑賞していてもどんどん辛くなってきます。
大音量は耳に悪いので、いつも以上に控えます。
次の機会、「今度こそ少しは元のような聴こえ方で聴こえないかしら」という、わずかな希望を持って聴き始め、
毎回失望する、の繰り返しが果てしなく続く。

歌いたいという気持ちさえ、ほぼゼロになってしまうから、不思議です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする