songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

どんぐり音楽会出演の思い出 その2 膨らんでいった気持ち

2023-04-30 02:05:48 | ライフ
CBCテレビ(名古屋・中部日本放送)「どんぐり音楽会」は、wikipediaさんによれば、1966(昭和41)年から1983(昭和58)年まで続いた長寿番組でした。東海地区在住の小学生たちが参加していたローカル番組で、基本的にはのど自慢番組であり、『天才クイズ』と同様に主にCBCホールで、完全パッケージの公開収録を行っていました。
日曜朝9時から30分の番組で、毎週6,7組ぐらいの小学生が出演していたように思います。バックには生バンドがあって、審査員は3人。それぞれが10点の持ち点を持っていたようで、歌い終わると得点が出るのです。満点は30点。
今一つだと減点されるのですが、まず26点以下になることはありませんでした。

司会は何人関わっていましたが、一番長く勤めていたのが、「キューピーちゃん」こと石川進さん。私が出演させてもらったときも司会は石川さんでした。その後、マイク真木さんに交代し、1983年に番組は終了していました。もうその頃には私も高校生で、番組を見ることもあまりなくなっていました。
すでに1970年代後半にはライバル東海テレビでも似たような番組(こちらは中学生まで出演できた)が同じ日曜日の午前中に放送されるようになり、世の中にカラオケが普及し、子どもによるのど自慢番組の需要がなくなってきていたのかもしれません。

番組についてはまだまだ語りたいこともありますが、それはまたおいおい述べていくとして、

とにかく物心ついたころから、自分はこの番組に出たいと思っていました。小学校に上がったころにはあこがれていたと思います。
自分の好きな歌を歌って、テレビで注目浴びて、褒めてもらう。何ともおいしい話だ、と、幼心に思ったのでしょう。
テレビに出るとはどういうことなのか、何もわかっていなかった私は、その頃何度か、両親に直訴していたように覚えています。
でも両親はそんなたわごとをまともに受け入れるはずがなく、適当にはぐらかされていました。両親としては、(一応東海では視聴率を取っていた番組だったので)こんなところに息子を出して、恥をかかせたくないし両親自体恥をかきたくない。「お前たちは子どもをそうやすやすとテレビにさらさせるような軽薄でミーハーで芸能志望の親か?」と思われたくなかったのではないかと思われます。第一テレビに出演するまでの道のりや、親のすべきことを考えると、とても「少しも自分の得になどならない恥ずかしいことに労力をかける気にはならない」と思うのは至極当然だったように思います。
自分が親の世代になると、その気持ちが非常によくわかります。

そんな親の気持ちや、出演までのいろんなことなど何も考えていない当時の私は、けっこう訴えたような気もしたのですが、親にかわされているうちに、
「いずれチャンスがあれば出たいな」ぐらいの思いに変わっていき、出演への欲求はそれほど高まってはいきませんでした。

「人前で一人で歌うことへの抵抗感」

多くの人は、一人で歌うのを披露する、なんてことはなかなか抵抗のあることだと思います。昔ならばなおさらです。
クラスのみんなが見ている前で、「歌のテストだ」と言われて歌う気分を想像していただければわかるかと思います。

しかし、私が通っていた小学校には、奇妙な伝統がありました。
給食時間、お昼の放送で、毎週1回行われていた「のど自慢の日」

「今日はのど自慢の日です。今日は〇年生の日です。学級から二人、歌いに来てください。」
入学した当初から、これが当たり前に行われていました。歌いに行く人は、当初こそ希望者制だったのが、次第に順番制となり、のど自慢と言いながら、結局全員が放送室で一人で歌うイベントとなっていました。
今から50年近く昔の話です。伴奏など流れず、カラオケもありません。全くのア・カペラで歌い切るのです。

あまりにそれが日常化されていたので、一人で歌うことへのハードルは非常に低い学校となっていました。と言ってもやはり歌の苦手な子もいて、そういう子たちにとっては苦痛なイベントだったろうと思います。

歌う曲はもちろん教科書に載っている曲で、その時に習っている歌を歌うのが通例でした。または、現在学習中でなくても、その教科書に載っていればよかったようにも覚えています。
その中に、上級生の子がよく好んで歌っている曲で、自分も好きなメロディーの歌がありました。
教科書では、「落ち葉」という題名の曲となっていました。
教科書の曲って、ほとんどがメジャー(長調)、能天気で明るい曲が多かったのですが、その「落ち葉」という曲はマイナー(短調)。メロディアスで、ア・カペラで歌われる曲を聴いていると、なんだか誰が歌っても
上手に聴こえていたのです。

「いい曲だな。いつかはあの歌を歌いたいな」と思って聴いていました。
調べたところ、原曲はチャイコフスキー「古いフランスの歌」。このメロディーに日本語の歌詞を付けたものが当時の教科書に載っていたようです。小学校6年生の教科書でした。(音楽教育図書株式会社のもののようです)

そして、気づけば小学6年生の夏。
ふと思い出したのです。「どんぐり音楽会、出てみたいな」
どんぐり音楽会は、小学生しか出演できません。もう残り時間がないのです。いつ来るかわからない変声期。私は当時、変声に対して恐怖に近い恐れを持っていました。
今の声が出るうちに歌声を広く披露したい。その程度の軽い考えで、再び親に声をかけるも、返事はいつもと同じでした。出たい思いとあきらめの気持ちが葛藤する日々でした。
ところが、そこに思わぬ救世主?が現れたのです。静岡の借家を引き払い、この年から我が家で同居するようになった、「祖母」でした。