私がこのブログを立ち上げたきっかけの一つに、「君が代」に対する恐ろしいほどの幼児性を伴った批判が幅を利かせていると感じ、どうしても言わずにはいられなかったから、というものがあったのですが、
まさか東京(中日)新聞さん、ここでもやってしまうというのはひどい、と感じたのが、今朝10月30日の書評とコラムです。
今度は「蛍の光」ですか。
私も、音楽に携わる者の端くれとして、蛍の光に3番、4番があることは知っていますし、「われは海の子」も元々7番まであったことなども常識として学んでおります。
蛍の光の3,4番、われは海の子の4番以降などは、戦後国の考え方が変わり、このまま歌っていくのはいかがなものかという配慮で削除されていった経緯も知っております。
書評『唱歌「蛍の光」と帝国日本』
(すみませんが本まで読む気にはなかなか…なので書評より)なるほど興味深いところはありました。
スコットランド民謡でありながら日本の心の歌のように定着していた「蛍の光」も、戦時下の内地では、敵性音楽だとして、追放の憂き目にあっていたとか(まるで「埴生の宿」ですね)
「千島の奥も沖縄も」で始まった四番は、やがて「台湾の果ても樺太も」と書き換えられた、とか(無理があって語呂が悪いですよね)。
数奇な運命をたどっている歌なのですね。確かに研究すると面白いかもしれません。戦時下のご都合主義に辟易することも確かにあります。
ただ、もともとの歌詞が生まれた時代背景、作詞の稲垣千穎さんの文学性の高さ、曲の美しさ、元の民謡の「いい味」など、そちら方面をあえて無視して書評しているのにはどうにも「フェアではない」と感じてしまいました
それを決定づける書きぶりが、
『「帝国」日本の領土拡張の野心を反映した』
です。
???
そうなんですか??
いや、まあ確かに、著者の大日方(おびなた)純夫さんは、そういう視点から、この本を書いているのかもしれませんが、(重ね重ねすみません、本まで読む気にはなかなか)
ずいぶん「蛍の光」が、平和を脅かす悪者のような扱いを受けているような気がして、心外でなりません。
一時期日本で、軍部による悪意により、悪用されたことは間違いありません。歌詞を変えたり、追放したり。
でもその歌詞の内容は、「国土を守ろう」であるにすぎず、どこかの国のように、「ここは俺の国だ、宣言したのだからこちらのものだ」と意図したものではないことぐらい、わかるでしょ?
スポーツのイベントまで使って、勝ったときに自分の国旗をマウンドに立てながら、「〇〇は我が国の領土だ」などとパフォーマンスするようなレベルの歌ではありませんよ!!
大日方先生も、そこまでの偏った思想を押し付ける意図で書いたのではないと思いますよ。
中日新聞上の編集日誌が、これまたひどいんです。(一部引用)
「蛍の光に、三番、四番の歌詞があったとは。日本の領土拡大の野望を映していたそうです。」
「戦後77年、徴用工起訴を2面に載せました。改めて戦争の罪深さを思います。」
これ読んだ人、「蛍の光」にどんな印象を抱くでしょう?こんなの読んだら、
「蛍の光とは、日本の領土拡大の野望をうたったものであった」
と、普通は読み取りません??
そりゃないでしょ
あまりにも多くの人に失礼です。
蛍の光3番、4番、で検索してみてください。
どの記事を見ても、冷静に、この曲と歌詞の優れたところを語っています。
「君が代」のところでも述べましたが、この曲歌って、「海外に領土を広げ、侵略することが素晴らしい、戦争を進めるべきだ」
と思う人がいると思いますか?
元々の4番までの歌詞を読んだって、帝国主義、軍国主義で他国を侵略していこう、とする含みは、曲解でしかありません。
その時代の国の領土があるのならば、その国土を守ろうとする心を抱くのは至極当然のことで、その領土の主張の仕方が正当かどうか、とかいうのは全くの別問題です。
そこを飛ばして記事を書いてはいけません。
特に私は、音楽を愛するものとして、君が代の時と同じく、こういう記事を書いて妙な思想に持っていこうとする浅学の主張が、許せないのです。
蛍の光は何百年と生き残った優れた音楽です。歌詞について学ぶのは良いが、その良さをぜひ知ってもらい、愛する値打ちのある音楽を1曲でも多くしていただきたいのです。
まさか東京(中日)新聞さん、ここでもやってしまうというのはひどい、と感じたのが、今朝10月30日の書評とコラムです。
今度は「蛍の光」ですか。
私も、音楽に携わる者の端くれとして、蛍の光に3番、4番があることは知っていますし、「われは海の子」も元々7番まであったことなども常識として学んでおります。
蛍の光の3,4番、われは海の子の4番以降などは、戦後国の考え方が変わり、このまま歌っていくのはいかがなものかという配慮で削除されていった経緯も知っております。
書評『唱歌「蛍の光」と帝国日本』
(すみませんが本まで読む気にはなかなか…なので書評より)なるほど興味深いところはありました。
スコットランド民謡でありながら日本の心の歌のように定着していた「蛍の光」も、戦時下の内地では、敵性音楽だとして、追放の憂き目にあっていたとか(まるで「埴生の宿」ですね)
「千島の奥も沖縄も」で始まった四番は、やがて「台湾の果ても樺太も」と書き換えられた、とか(無理があって語呂が悪いですよね)。
数奇な運命をたどっている歌なのですね。確かに研究すると面白いかもしれません。戦時下のご都合主義に辟易することも確かにあります。
ただ、もともとの歌詞が生まれた時代背景、作詞の稲垣千穎さんの文学性の高さ、曲の美しさ、元の民謡の「いい味」など、そちら方面をあえて無視して書評しているのにはどうにも「フェアではない」と感じてしまいました
それを決定づける書きぶりが、
『「帝国」日本の領土拡張の野心を反映した』
です。
???
そうなんですか??
いや、まあ確かに、著者の大日方(おびなた)純夫さんは、そういう視点から、この本を書いているのかもしれませんが、(重ね重ねすみません、本まで読む気にはなかなか)
ずいぶん「蛍の光」が、平和を脅かす悪者のような扱いを受けているような気がして、心外でなりません。
一時期日本で、軍部による悪意により、悪用されたことは間違いありません。歌詞を変えたり、追放したり。
でもその歌詞の内容は、「国土を守ろう」であるにすぎず、どこかの国のように、「ここは俺の国だ、宣言したのだからこちらのものだ」と意図したものではないことぐらい、わかるでしょ?
スポーツのイベントまで使って、勝ったときに自分の国旗をマウンドに立てながら、「〇〇は我が国の領土だ」などとパフォーマンスするようなレベルの歌ではありませんよ!!
大日方先生も、そこまでの偏った思想を押し付ける意図で書いたのではないと思いますよ。
中日新聞上の編集日誌が、これまたひどいんです。(一部引用)
「蛍の光に、三番、四番の歌詞があったとは。日本の領土拡大の野望を映していたそうです。」
「戦後77年、徴用工起訴を2面に載せました。改めて戦争の罪深さを思います。」
これ読んだ人、「蛍の光」にどんな印象を抱くでしょう?こんなの読んだら、
「蛍の光とは、日本の領土拡大の野望をうたったものであった」
と、普通は読み取りません??
そりゃないでしょ
あまりにも多くの人に失礼です。
蛍の光3番、4番、で検索してみてください。
どの記事を見ても、冷静に、この曲と歌詞の優れたところを語っています。
「君が代」のところでも述べましたが、この曲歌って、「海外に領土を広げ、侵略することが素晴らしい、戦争を進めるべきだ」
と思う人がいると思いますか?
元々の4番までの歌詞を読んだって、帝国主義、軍国主義で他国を侵略していこう、とする含みは、曲解でしかありません。
その時代の国の領土があるのならば、その国土を守ろうとする心を抱くのは至極当然のことで、その領土の主張の仕方が正当かどうか、とかいうのは全くの別問題です。
そこを飛ばして記事を書いてはいけません。
特に私は、音楽を愛するものとして、君が代の時と同じく、こういう記事を書いて妙な思想に持っていこうとする浅学の主張が、許せないのです。
蛍の光は何百年と生き残った優れた音楽です。歌詞について学ぶのは良いが、その良さをぜひ知ってもらい、愛する値打ちのある音楽を1曲でも多くしていただきたいのです。