songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

道徳か…

2015-04-19 12:25:42 | ライフ
ワイドナショーで、道徳の教科化についていろいろ話していて、実に面白かった。

出演者みんなそろいもそろって、教科化することへの胡散臭さをあざ笑っている。

昭和30年代、戦前の修身消滅後、「教科」扱いしない、という形で、道徳教育は始まりました。当時も、現在と全く同じ形での批判があったそうです。
学校の教科書のような形で、道徳心など育つはずがない、押しつけにしかならないだろう、と。

そこから、既に60年近くが過ぎようとしています。

事件が起こるたびに、世論は、「心の教育が必要だ」「道徳をもっとしっかりさせよ」

その結果が、これです。

道徳の教科化の前に、今までの道徳教育はどうであったのか、総決算はされているのでしょうか?
客観的なデータは作りにくいでしょうが、それにしても、なんの検証もない。

………


昭和20年から約10年間、日本中、悲惨な境遇の人たちであふれていました。
戦災孤児、家族を失った人、故郷を失った人、ドヤ街の中で、生きていくしかない人たち

人間らしい触れ合いを受けられず、荒れた心の人たちの割合は、今よりも高かったと思われます。
マスコミなどの情報網が今とは比べ物にならないほど乏しかったので、日本中各地で起こっていた、人間という生き物がやるとは思えないような陰惨な事件が当たり前のように横行していたことは想像に難くありません。あまりに多すぎて、ニュースにもならなかったともいえます。
でもそんな子たちにも将来があり、将来の日本が託されている。
そんな子たちを見て、今こそ日本に、あの「修身」で培われた、本来の人間の心を持った世代が育ってほしい、と望んだ人たちもいたことでしょう。
だから、60年前に道徳を立ち上げたいと思った人たちの気持ちがわからないではありません。


でも、現在はどうなのでしょう?


だいぶ前にも書いたことがあるのですが、現状として今学校で行われている道徳の授業は、微妙です。
先に言っておくと、「心のノート」「道徳の副読本」 一昔前のひどい奴に比べれば、格段にレベルアップしています。
そのまま読書教材として読めるものです。これで読書感想文書けばいいじゃん、というものであふれています。

ただ、授業となると、いまだに「どうなんだ?」と疑問に思うことばかり。
大体45分という枠で納めようとすることに無理があります。
一応指導案というもののがあるのでそれに沿って進めることもできるのですが、まあ、つまらない。
「言語化」という大事な要素があるので仕方がないのですが、これについてはいつが機会があれば。

研究指定校などというシステムがあり、例えば道徳ならば、「我々がプランした道徳教育にどれぐらいの成果があるのか、実践して、報告してください」と、指定される学校があります。
指定された学校は、大変です。何とか、そのプラン通りに実践して、その授業を公開したり、その成果を文書やデータにまとめて報告するという。
道徳でその指定校に当たった学校は、…私に言わせれば、悲惨ですね。
お偉い方々が視察に来るものだから、プラン通りの授業を見せなければならない。
でも、人間、そんな筋書き通りの授業や成果が出せるわけがない。
それでも、その通りにやってしまうのが、「優秀な」先生方です。

しわ寄せは、当然生徒のほうに出ます。

まあほとんどの場合、道徳の研究指定校になったところは、事前も事後も悲惨な焼け野原のようになります。


で、以前から強く主張している通り、道徳教育、特に道徳の授業が成立するかどうかは、95%、いや、99%、授業以前の学級の状態がどうであるかが全てなのです。

思っていることを堂々と主張しても受け入れてくれる人間関係になっているかどうか
気兼ねなく、口げんか、いや、口論をしても大丈夫な教室になっているか、
そういう教室ならば、だいたいどんな資料をもってきても、道徳的な心を互いに磨き合う授業が成立します。


逆は、ありません。


授業を通して、子どもたちの心が氷解して、学級の状態が向上するという幻想
それは、ありません。建前と本音の剥離が加速していくだけで、荒れが激しくなるだけです。



文部科学省の人たちは、そういう実態をほんの少しでもわかっていてああいう提言をしているのか、はなはだ疑問です。

そこへ持ってきて、道徳は教科、通知表や要録に様子を記録しろなどと


おそらく全国の教員が最も怒っているところは、そこです。
これ、例のすき屋のバイトボイコットをはるかに上回る、無駄な労力、百害あって一利なしの極致と言ってよいものです。

出来たらマスコミの心ある方々に、現在の指導要録というものがどうなっているのか、それに意味はあるのか、見てもらいたいものです。


この意味のなさ、すさまじいですよ。
ここに道徳の記述が入ってくるというのですから。