songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

「てもでもの涙」 と佐伯美香さん(みかちぃ) その2

2012-11-10 22:45:28 | 音楽
「てもでもの涙」秋元康氏は歌い手のキャラクターを意識して詞を作ることがよくあります。
傲慢不遜な言い方で失礼ながら駄作もありますが、「てもでも」は、まごうことなき傑作です。

見事なほど、ゆきりん、みかちぃという二人が持つ雰囲気にマッチしていて、そして何より、声の質に合っています。

美香さんはAKB研究生(4期生)から、初めて正規メンバー(チームB)になったメンバーです。それだけ才能が買われていたということだと思われます。
一方迎える柏木さん(年甲斐もなく、ゆきりんと書いたほうがわかりやすいので以後ご勘弁)としては、後日談によると正直心中穏やかではなかったそうで

A,K,Bと3つのチームができてスタートしたチームB。これでひとまず軌道に乗ると思った矢先に4期生募集。「何のために?メンバー、もう揃っているんだよ」と思うのが当然でしょう。まあ、当時言われた言葉は「お前らの代わりならばいくらでもいるんだぞ」だったそうなので、まあ、震えもきたでしょう。

みかちぃはその4期研究生で最初の昇格者。チーム内でも、多少は微妙な心も動くでしょう。
また、前回私は「工藤静香をもしのぐ」と紹介しましたが、記録映像から見るに、「てもでも」歌い始めの時期はまだまだ荒削りで、音をはずすこともしばしば。だんだん上手になってきたのです。次第に歌に磨きがかかってきて、輝き始めます。


ところがこの公演(B3rd、2008年)始まってほどなくして、みかちぃはひざの、棚障害という症状に見舞われます。
脚のサポーター、公演の一部不参加、または欠席、などが続き、だんだんとファンにも病状が知られるところとなります。


そんなこんながいろいろと重なり、みかちぃというキャラクターには、どこか悲劇を背負った少女というイメージが漂うようになったのだと思われます。
「てもでもの涙」という曲が、またそれを強烈に助長していきました。


そして2009年1月、ついにみかちぃ休養宣言に至ります。ところが楽曲はすでに独り歩きを始めていて、


最も聴きたいと望まれているのに歌い手が病気で聴けない。何とかして聴きたい、と、思いもしないプレミアが付き始め、信じられないようなみかちぃ、てもでも待望論へと膨れ上がっていきます。折しもB3rd、「パジャマドライブ」公演は初めてのチームBオリジナル曲による公演だったこともあって注目度も高く、2009年1月、AKBにとって劇的な「AX2009」につながっていったのでした。
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