そ の ひ ぐ ら し

その日1日を良く暮らせればよし。
スカイツリーのふもとでちびと小ちびとオットと4人暮らし。

ダイジェスト

2012-05-07 08:39:01 | travel
海の幸に舌鼓をうち、ネモフィラを愛で、
バドミントンして温泉に入ってダムを愛で、
動物とたわむれてパターゴルフでホールインワン出して桃鉄する。

簡単にいうとそんな感じの連休でした。












桃鉄しすぎておしりが痛いです。
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ブルートレイン

2012-01-30 01:37:29 | travel


大晦日に、北斗星という寝台列車に乗った。あこがれのブルートレインだ。
ちいさい頃、こども向けの本のなかに出てきたその言葉を、私は意味もわからずに「ブルート・レイン」という区切りだとなぜか思い込んでいた。
だからそれがblue trainだと知ったときには目からうろこが落ちると同時に、なんとも魅惑的な響きのしていたその言葉が、たったそれだけの単純な意味の単語の組み合わせだったことについて、なんだかがっかりするような気持ちになったのを覚えている。

北斗星にまつわるとても個人的なエピソードを、つれづれなるままに書こうと思う。

年末年始に札幌に行くので、大晦日に北斗星に乗る、と言ったら、母が猛烈に羨ましがった。
聞けば、昔家族で北海道旅行を計画していて北斗星に乗る予定だったらしい。
しかしその計画は、病気だった母方の祖父の死によっておじゃんになってしまった。
その一連のエピソードを、私は全然覚えていなかったけれど、だから私は大晦日の夜に、Ustreamを使って母だけにこっそり生中継してやった。便利な世の中になったものだ。
あとで妹に聞いたら、母はたいそうはしゃいでいたらしい。いい大人なんだから、自分で乗ったらいいのに。好奇心旺盛なわりに、何事にも腰の重い母なのだ。

とはいえ、祖父の死は私にとってはむしろ印象的、象徴的な出来事として私の記憶に強く残っている。
中学3年の6月のことであった。かねてより肝臓を悪くして入院していた祖父だったが、いよいよ具合が悪いというので、母の故郷の岐阜へ見舞いに行くことになった。
父方の田舎は大分、母方は岐阜だったが、私たち娘は岐阜の祖父母とのほうが近しかった。父は仕事で忙しい人だったし、たぶん母も大分へはあまり行きたがらなかったのであろう。
夏休みなどにはだいたい岐阜の実家へ行った。祖父は書道の先生をしていたので、教室にしていた2階の部屋でよく習字をしては赤をいれてもらった。岐阜の家の目の前には名鉄各務原線の踏切があり、ちいさい頃には祖父に肩車されて家の縁側から電車をながめた。同じ道路を北側へ行くとJR(当時は「国鉄」だった)高山線が走っている。名鉄は本数が多いのでしょっちゅう踏切が鳴るが、国鉄は本数が少ないのでそうそうお目にかかれない。幼い私は、大人たちが高山線を「なかなかこない」と言うのを聞いて、名鉄を見て「なかなかくる」と言った。祖父は私のそのせりふを気に入っていたようであった。
その頃から電車は好きだったが、踏切はとても苦手で、線路のむこうにある公園まで遊びに行くときにはいつも逃げるようにして走って踏切をわたった。名鉄の踏切が鳴り出すと、電車を見たい気持ちと踏切のあのこわい感じの間でジレンマを感じながら、「怖いものみたさ」でいつも名鉄の真っ赤な電車を眺めた。たまにパノラマカーが通った。大人になった今、電車はあの頃にも増して大好きで、踏切はいまだにあまり好きではない。できることならなにか乗り物に乗って渡りたい。歩いて渡りたくはない。渡るのではなく電車に乗って踏切を通り過ぎるだけでも、頭の奥の奥の一番奥ではこどもの頃に感じたこわい感じをいまだに思い出させる気がする。

とにかく、思い出の多い岐阜の祖父があまり長くないかもしれない、ということを、頭でわかりながら、心でまでは理解せぬまま、私と妹は母に連れられて岐阜へ行った。父は仕事の都合だったか、アメリカに単身赴任していた時期だったかで不在だった。
6月の土曜日、新幹線に乗って岐阜へ向かった。祖父が元気なときは岐阜羽島の駅まで車で迎えにきてくれたものだが、その祖父が入院していたのだから、名鉄を乗り継いで細畑の駅まで行き、そこから歩いたか、あるいは岐阜駅からタクシーにでも乗ったのだろう。
入院先の病院に行ったが、弱りきって言葉もろくに発せない祖父になにを言ってやればいいのか、14歳の私には到底わからなかった。
岐阜の母の実家で一晩を過ごし、翌朝祖母とともにもう一度病院に顔を出し、帰るね、と祖父に声をかけて病院を出ようとしたところで、祖父は息をひきとった。まるで、娘と孫の顔が見られたからもう思い残すことはない、とでも言うように。

それで、そのまま通夜と葬式が行われることになり、妹と私は忌引で学校を休むことになった。
とはいえ、急なことだったので誰も何も準備をしていない。誰かが千葉から荷物をとってこねばならなかった。父は出張先だか単身赴任先だかにいて、すぐには来られないので父には頼めない。それで最初は母が千葉に帰って喪服や制服や必要なものを取ってくる、と言ったのだと思うが、私は、私が行く、と手を上げたのだった。
それで、ひとりで新幹線に乗って千葉の家に帰り、母に指示された荷物をまとめ、ひとりで一晩を過ごし、翌朝、ふたたび岐阜へ向かった。
梅雨の時期にも関わらず、真夏のような青空の日だった。新幹線の窓からひとりでその空をぼーっと眺めて、Original LoveのIt's a wonderful worldを聴きながら、今日の空になんとよく似合う曲だろう、と思った。そして、あ、私は大人になった、と思った。14歳の私にとって、ひとりで旅ができるということは、とてつもなく大人びた出来事なのだった。じいさんが死んだというのに不謹慎だな、と思いながら、私は使命感に満ちて、わくわくしていた。「はじめてのおつかい」であった。

岐阜に着いて、その日の夜には通夜が、その翌日には葬儀が行われた(と思う)。葬儀には父もいたはずだから、多分前の晩のうちに岐阜に着いたのだろう。
葬儀のとき、長時間の正座で足がしびれて、立ち上がれなくて思わず笑ってしまい、母に怒られた。
棺に入れられ、燃やされて骨と灰になった祖父を見て、とても不可解な気持ちになったのを覚えている。つい一昨日まで、病床に臥していたとは言えひとりの人間として存在していた祖父が、骨と灰になるとはいったい何事か。祖父の体は、そして魂はいったいどこへいってしまったのか。死とはいったいなんなのか。14歳の私にとって、初めて直面する人の死とは、ただただ不可解な出来事だった。

というようなことを、北斗星の旅を決めてからいろいろと思い出した。
不思議なことだが、大人になってからのほうが、子供の頃のことをよく思い出すような気がする。
大人になるなんていうのは、年齢的にはともかくとして、精神的にはありえないのかもしれないが、それでもこのときの経験はやっぱり大人への入り口であったと思う。振り返ってみれば、じいさんが私に、大人への階段をひとつのぼるステップを用意してくれたように思う。旅好き・乗り物好きになったのはこのときの原体験があるからだと思うし、祖父が生前好きだったらしい写真撮影を私が好きなのも不思議な縁だ。旅と写真は切っても切れない関係だ。

以上が私の、北斗星にまつわるとても個人的なつれづれである。
もしも最後までお付き合いくださった方がいたら、ありがとうございます。感謝します。
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離陸する飛行機

2012-01-16 11:08:27 | travel
飛行機の離陸するときが好きだ。
滑走路にまっすぐ前を向いて、いくぞ!っていう感じで一気に加速して、機首が上がり、ふわりと浮き上がったと思うと、
さっきまでいた地上世界はあっという間に過去のもの。みるみるうちに巨大なジオラマになる。
このわずか3分の出来事は、何度飛行機に乗っても毎回ちいさな窓にかじりついてまじまじと見てしまう。
あるいは空港で誰かを見送るときも、その人が乗った飛行機が地面から離れる瞬間にはじんとしてしまう。
やがてちいさな点になって見えなくなるまで、じぃーっと見てしまう。
こどもじみていると思うのだが、あまりにもドラマチックで、目が離せない。

飛行機が離陸するときはいつも、あたらしい生活がはじまるときの期待と不安の入り交じった興奮状態を思い出す。
人生の転機に、新天地へ向かうとき、自分のなかの「いくぞ!」が最高潮に達するのが、飛行機が離陸する瞬間なのだ。
だから、日帰りの出張だろうと、週末の1泊旅行だろうと、条件反射のようにあの感じがよみがえって、わくわくしてしまう。

旅はスマートに、慣れた手つきでそつなくこなしたいのだけど、これだけはどうしてもだめだ。
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4/10(日)のPhotomemo日記

2011-04-11 02:55:25 | travel
14:22本日のランチは Little India @錦糸町。
soleil8756' s Photomemo soleil8756' s Photomemo
14:45地震にも負けず、634mに到達したスカイツリーの周辺は今日 もひとでいっぱい。
soleil8756' s Photomemo soleil8756' s Photomemo soleil8756' s Photomemo
15:34東京スカイツリーの目の前、咲花cafeでひとやすみ。
soleil8756' s Photomemo soleil8756' s Photomemo soleil8756' s Photomemo
from Photomemo/soleil8756
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Incredible India! インド旅行記(5)

2011-01-31 17:13:43 | travel
12月30日(木)

4時半起床。5時にホテルをチェックアウトし、Agra Cantt駅へ向かう。
今日はDelhi経由で、友人の結婚式があるChandigarhへ。移動日である。
宿から駅まではオートリクシャー初体験。宿のおっちゃんに聞いていた相場を参考にワーラーと交渉。
結局3人で目標価格のRS80(160円)で交渉成立。
すんなり乗れてトラブルもなし。

6時発のDelhi行きの電車に乗る。往路よりもたくさんの駅に泊まってくようだ。
途中、 Cabinを出て廊下から車窓の景色を写真に収めようとしていると、
乗務員のおっちゃんがここから撮りなよ!と走行中の電車のドアを開けてくれた・・・あぶねーってば!
でもこんな絵は二度と撮れまいと、身を乗り出そうとすれば案の定
「ぷわん!」
と対向列車が通り過ぎてゆく・・・あわわ、死ぬ、死ぬってば、本当に。
必死でドアにつかまりながら闇雲に撮りまくりましたさ。
途中の停車駅では、列車に水や食料を運び込む人たちが線路に降りて堂々と列車の間を渡ってゆく。
カメラを向けると「撮って!」とこちらに笑顔を向けてくれる。
あぁ、まさに『世界の車窓から』の世界。

11時過ぎ、New Delhi駅到着。Chandigarh行きの電車は夕方なので、昼間は観光にあてる。
駅のクロークに荷物を預けて身軽に観光しようかと考えたが、
クロークがものすごい行列だったため、諦めて荷物は持ったまま行くことに。
地下鉄でConnaught Placeへ出る。
最初に宿泊したホテル近辺で見かけていたHaldiram's というフードコートでランチをとり、
Costa Coffeeというカフェでゆるりと休憩。
その間に私は近くのCyber Cafeへ行き、約4日ぶりにemailなどチェックする。
結婚式関連でいくつかのupdateを受け取ってcafeに戻る。

夕方、ふたたびNew Delhi駅へ。
Chandigarh行きの電車は17時15分発。Waiting Roomで他の旅行者と会話などして待つ。
しかし時間が近くなっても我らの乗る電車が電光掲示板に表示されない。
窓口のおっちゃんに聞いてみると、「んー、5時半くらいには出るよー」との答え。
うん?遅れているのか・・・
まぁとりあえず移動しとくか、と荷物をひっぱってプラットフォームに行ってみる。
プラットフォームの電光掲示板にもその前の列車の表示。
やっぱり遅れてるのかなぁ、とふと目に入った目の前の電車の車体の行き先表示は
Kalka Shabdabi Express・・・手元のe-ticketと照らし合わせる。
ん!?これやっぱり我々が乗る列車ではないか!?
慌てて自分たちの席を探していると近くのおじさんが駅の係員を呼んでくれて、
乗るべき車両の場所を教えてくれた。ありがとう、おじさん。
なんとか乗り込む。ほどなく列車は発車。17時15分、定刻通りであった。
はぁー・・・窓口のおやじを信じなくてよかった。頼りになるのは自分たちだけだわ。

今度の列車はCabin式ではなく、車両の真ん中に通路があって両側に2席ずつ並んでいる、
日本でもおなじみのタイプ。
ほどなくしてミネラルウォーターが配られ、フリードリンクがふるまわれ、
そのうち軽食までやってきた。新聞まである。ほぉ。飛行機みたいだ。
そりゃあ新幹線と比べちゃいけないけど、なかなか快適。ほっと一息つく。

夜9時少し前、Chandigarhに到着すると外は雨。なんと・・・
雨具もろくに持っておらず、薄手のパーカのフードでしのぎながらタクシーを探す。
プリペイドタクシー(あらかじめ決まった価格で目的地まで乗せてくれる)スタンドを探すが見つからない。
仕方ないので普通のタクシー乗り場で値段交渉。
目標価格はAgraの駅からホテルと同じRS225。しかしタクシーがRS400とふっかけてくる。
さらにオートリクシャーもたくさん寄ってきて囲まれる。俺ならRS200で行くけどどう?ってな案配。
リクシャーがタクシーより安いんは当たり前じゃボケ。
っていうかこの雨のなか旅の荷物抱えてリクシャーなんか乗れるかい。ずぶ濡れるわ。
タクシーは周囲にリクシャーしかいないのを見て強気。なかなか価格交渉に応じない。
仕方ないので彼奴らの輪を離れて別のタクシーのほうへ歩いて行こうとすると、
ようやくRS200で行くと言ったので、晴れて交渉成立。

今夜からの宿Shivalik Viewは近代的で綺麗なホテル。
ようやく熱いシャワーをたっぷり浴びられた。
体も心も温まる、長い1日の終わりであった。
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Incredible India! インド旅行記(4)

2011-01-31 16:21:04 | travel
12月29日(水)

5時半起床。まだ真っ暗な6時、ホテルを出て歩き出す。
目的地は今回の目玉、Taj Mahal。
ホテルからは歩いて5分である。それでこの宿に決めたようなもの。

Taj Mahalのチケット売り場は早くも観光客の列ができている。
チケットカウンターはインド人用と外国人観光客用に分かれている。
驚きは値段設定。インド人はRS10(20円)、外国人観光客はRS750(1500円)!
海外旅行するような余裕があるやつは金を落としてゆけ、ということなのね・・・。
そこまで露骨だとまぁもういいかって気にもなるもんです。

さて、6時半にチケット販売が始まり、7時に開門。
と同時に夜が白々と明け始め、朝もやにかすんだTaj Mahalが見えてくる。幻想的。

建築物はなにしろひとつひとつが大きい。
そしてそのひとつひとつに、白と黒の大理石、赤土を組み合わせたり、
彫刻したところに色の綺麗な天然石(ルビーやサファイア?)を埋め込んだりして精緻な装飾を施してある。
これは気が遠くなるような時間とお金のかかる建築工事であったろうなぁ・・・
悠久のときを経てなお人々が訪れる巨大な墓。
見て回っている1時間ばかりの間にも太陽がどんどんのぼり、光の加減が変わってゆくのもまた美しい。

ひとしきりながめて歩いて一度ホテルへ戻り朝食をとる。
ホテルの屋上がレストランになっていて、そこからTaj Mahalを望むことができる。
もうひとつのホテルの決め手であった。

部屋に戻って態勢を整えてから今度はAgra Fortへ向かう。
片道30分、ひたすら歩く。
牛、馬、らくだ、いろんな動物が車をひいてゆく。もちろん人も。
Agra Fortもばかみたいにでかい。
Delhiへ遷都する前のムガル帝国の首都である。
愛妃のために莫大な資金を投じて巨大な墓を建てたことで失脚したシャー・ジャハーンは、
息子の手によりこの城に幽閉されて、愛妃の眠るTaj Mahalを眺めていたそうな・・・
しかし旅行者は気楽。
日本人旅行者の男の子としばし交流し、あぐらをかいて写真を撮り、
無邪気なインド人の子供たちと戯れるのであった。

再び30分歩いてホテル近辺まで戻り、Jonny's Placeというレストランでランチをとる。
部屋に戻り、シャワーを浴びる。
友ふたりが昼寝しているあいだ、私は成田空港で買った『ノルウェイの森』を読み進める。


夕方、友ふたりが起きだしたので、ホテルの屋上へ行って夕暮れのTajを眺めつつ、
Chaiを飲んでガールズトークに花を咲かす。
この旅がきっかけで再会した友と、初めましての友。
みんな29歳同い歳、それぞれに思うところがあって、それぞれの人生の岐路にたっている。
示唆に富む話ばかりで面白い。

日が暮れたので夕食をとりにホテルの斜向かいのレストランShankara Vegisへ入る。
カレーやターリーを食す。美味。
店員のおじさん(おにいさん?)が気さくで面白くて話し込む。
はじめは今回の旅のことなど通りいっぺんの話をしていたのだが、
そのうち旅の友1号ともちゃん(T自動車勤務)が車の話を始める。
おにいさんはどこの車が好き?やっぱりTATAなの?なんでなんで?ってな調子。
それを横で聞いているえっちゃんと私。ううむ、すばらしい自社(車)愛と情熱だなぁ。

話はさらにおにいさん自身の商売に移る。
自分たちは周囲のレストランに比べれば高めの値段設定だけれども、
値段に見合ったクオリティ(料理も、店内のクレンリネスも)を提供すれば
お客さんはちゃんと満足して帰ってくれる。
だけど旅行者相手の商売にリピーターはつかないから、口コミが命。
君たちも国に帰ったらどんな形でもいいから他の旅行者に情報提供してあげてね。
うちの店のことだけを宣伝してくれって言ってるんじゃないよ。
それが他の旅行者を助けるし、僕ら商売人のことも助けるんだ。とな。
ふむふむ。それなりに筋の通った考え方を持っている商売人じゃないか。
That was an interesting talk.
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Incredible India! インド旅行記(3)

2011-01-09 16:22:44 | travel
12月28日(火)

ホテルで朝食をすませ、Old Delhi界隈へ向かう。
ホテルのフロントのおっちゃんにリクシャーの相場を聞くと、
リクシャーはぼったくる、メトロで行けと実に明快なアドバイス。
それに従ってRajiv Chowk(Connaught Placeの地下鉄駅)からメトロに乗る。
なるほど、3駅でわずかにRS10(約20円)!
これより安い交通手段はなかなかあるまいな。

メトロは綺麗で都会的。駅名の表示はロンドンのTubeそのまま。
思わぬところに英国統治時代の面影をみる。

Chandni Chowkでメトロを降りて、まずはLal Qila (Red Fort) へ。
駅を出ると雨。うむむ、ちょっと薄着で来ちゃったな・・・
カメラが濡れるので思うように写真も撮れず、歩くこと約10分。
霧でかすんだ行く手に、だんだんと巨大な赤土の城が見えてくる。
栄華を極めたムガル帝国のかつての輝きを垣間見る。

Lal Qilaのあとは、そこからほど近いJamma Masjidへ。
入場しようとすると、なにやら人々が一様に入口で靴を脱いでいる。
靴を脱いで入った先には天井のない広場が続いていて、空はまだ雨模様。
地面が濡れてるなか、裸足やら靴下やらでみんなぺたぺた入ってゆく。
いやいや、裸足は寒いし、靴下の替えなんて(ホテルにはあるけど)持ってないし・・・
仕方なく、入場を断念。

Chawri Bazarという昔ながらの商店街を通ってメトロの駅へ。
ここはすごかった。雑多で道が狭いのに人も車もものすごい数が往来している。
+とも-ともつかない、ものすごいエネルギーを感じる。

午後は再びConnaught Placeへ。
紅茶好きなのでどうしても行きたかったのが紅茶店。
Mittal Storeは50gでRS50(約100円)からという破格のお値段。
大量に購入。

さて、昨日デリーにたどりつけなかったもうひとりの旅の友、えっちゃんと合流するためホテルに戻る。
屋上のテラスで、買ってきたマフィンと一緒にチャイを飲みながら待っていると、
4時半過ぎにえっちゃん無事到着!
そう、携帯なんかなくたって、
ちゃんと決めてさえおけば人は異国の地でもちゃんと待ち合わせができるのである。

ということで旅の仲間が揃い、いざAgraに向けて出発。

電車は18時40分New Delhi駅発。
日本にいる間にインターネット経由で座席は確保ずみ。
座席番号だけ確認が必要だったため、e-ticketのプリントアウトを持ってNew Delhi駅のカウンターに並ぶ。

窓口は旅の人々で大混雑。
しかもインド人たちときたら、順番なんか守りやしない。
横からどんどん入ってきて自分の要望をやいやい叫ぶし、駅員も交通整理をしないので、
順序よく並んでいる我々の番がいつまでたってもやってこない。
そうこうしているうちに発車時刻まで15分を切り、
このまま行儀よくしていては乗り遅れる、と私もついに強行手段に出る。
横から割り込んでこようとするやつらを腕で制止し、
私より先にちゃんと並んでいる2,3組の客にごめんね・・と心で謝罪しつつ、
自分のe-ticketを窓口に無理矢理突っ込み、
あたいらチケットはあるんだからとっとと座席番号だけ教えやがれ!
ってな勢いでようやく座席番号を確認。

あとは荷物をひっぱって自分のプラットフォームまで猛ダッシュ。
ホームで赤いジャケットのポーターに自分の号車の位置を教えてもらい、なんとか乗車完了。
ふぅ、インドでの電車の旅は心身ともにたくましくなれそうじゃ。

我らの座席はFirst Class AC(=Air Conditioned)、すなわちインドの電車では最上級の座席。
キャビンには我ら3人だけ。
これは気楽じゃわい、とばかりにくつろぎ、ガールズトークに花を咲かせて、深夜22時半、Agra到着。
さて、明日はどんなびっくりが待っているやら。


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Incredible India! インド旅行記(2)

2011-01-05 22:34:25 | travel
12月27日(月)

翌朝、7時半のフライトでシンガポールからデリーに向かう。
いよいよ機内に日本人はいなくなった。
今回も機内は綺麗だ。エコノミーなのに、シートがしっかりしててけっこう心地よい。
5時間弱でデリーへ到着。

デリーは曇って霧がかかっている。到着ロビーからなんだかけむい。
入国、荷物のピックアップ、両替で約1時間かかってようやく完了。
ホテルに頼んでおいたピックアップのおじさんと合流してデリー市内へ。

空港を出ると砂埃。
すぐ近くの空き地にはテントを張った路上生活者たち。
道路はタクシーもバスもオートリクシャも人力車もごっちゃまぜ。
ウィンカーもださずに車線変更するし、ってか車線なんかそもそも無視だし、
みんなクラクション鳴らしまくって自分の行く手を開けさせようとする。
その合間を歩行者は堂々と横断してくから、こりゃ、すごいな。

空港から20分ほどで Connaught Place という市街中心のホテルへ到着。
昨晩、ひと足先に着いてた今回の旅の友1号、ともちゃんと無事に合流。
ホテル近辺のレストランでまずはランチついでに旅の始まりの祝杯をあげて、
Connaught Place 周辺、それから New Delhi 駅前のバザールを散策。

Connaught Place はもともと英国統治時代に造られたイギリス人の街。
名の知れたブランドショップもあるのだけれど、
なんせ大改修中であちこち掘り返されてて埃っぽい。
New Delhi 駅前のバザールにいたってはろくすっぽ舗装もされていなくて、
あちこちで美味しそうな匂いと異様な匂いが混ざり合っている。
見るからに旅行者な私たちふたりに次から次へと声をかけてくる、
みやげもの屋の店員たちにリクシャーワーラ(ドライバー)たち。
はー、これはカオスだ。

歩きまくっていったんホテルに帰り、疲れた足を休めたあと、
近くの Embassy といういいレストランで現地のカレーを食す。
そのあと、深夜に旅の友2号、えっちゃんが到着するため、
ホテルから私たちも一緒にピックアップに行く予定であったのだが・・・
ホテルのフロントに電話あり。なんとトランジットの北京で足止め食らってるというのである。
デリー行きの飛行機が飛ばなかったらしい。
明日の早朝の別便で出て、昼には着くと思うと言うので、
夕方5時に、滞在中のホテルで待ち合わせることを約束して電話を切る。

明日夜には Agra に向かうための電車をすでに予約してるんだが、間に合うか、えっちゃん!?
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Incredible India! インド旅行記(1)

2011-01-05 21:55:34 | travel
12月26日(日)

土曜から着手していた旅の荷造り。
だけど家のことやらこまこまとしたことが片付かず、あたふたと支度をして14時、家を出る。
タクシーで葛西駅まで飛ばして、成田行きの空港バスに乗り、15時すぎ、成田空港到着。
フライトは19時だから、少し早すぎた。
なんせ5年ぶりの海外旅行である。
しかも、行き先はインド。
まー、いろんなことがあった2010年のしめくくりにふさわしかろう。

チェックインを済ませてから、日本で今年最後の食事ということで、そばを食す。
よし、これで心置きなくインドで年が越せる。

フライトは19時。今回はシンガポール航空利用。
深夜にシンガポールに到着し、翌朝のフライトでデリーに向かう旅程。
シンガポール航空は初めて使ったけど、サービスもよいし機内食もなかなか美味しいし、
それにCAの制服が素敵!アジアンビューティたちが所作美しく動き回る様に見とれてしまう。

深夜1時過ぎ、シンガポールのチャンギ空港に到着。
チャンギ空港はとっても綺麗。
ターミナル間は建物直結の電車で移動ができるし、
無料でインターネットが使える端末も置いてあるし、
仮眠室やシャワーまであって(有料だけど)、
私のように一晩空港内で過ごすトランジットの客のことまでちゃんと考えられている。
24時間営業のスターバックスでコーヒーを飲みつつ、本を読みつつ、仮眠をとって待つ。
店員も暇そう。客席のソファーでごろごろ携帯いじってる。自由だわ。
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あけましておめでとうございます。

2011-01-05 21:53:20 | travel
2011年になりました。
本年も不定期にマイペースに更新してゆきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

さて、すでにいろんなところで声高に言ってきましたが、
今年はインドで新年を迎えました。

なんでそんなことになったかというと、
前にもちらりと書きましたが、年明け早々に友人の結婚式に招かれたからです・・・
友人(新婦)は中国人。
相手の男性がインド人のため、彼の地元でヒンドゥー教式にて執り行われることとなったのでした。

10月のはじめにチケットを取りにHISへ行ったところ、通常の年末年始休みの
スケジュールではすでにどこもほぼ満席。
それで前後に休みをつけて、どうせなら観光もかねてゆっくり行こうと、
8泊12日のやや長旅になったわけです。

ということで、これから何回かに分けてインド旅行記をお送りします
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