魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

攪拌

2007-08-04 21:47:47 | Weblog
「あなたの心に打ち込まれた杭は、いずれは溶けますよ。でもぽっかりと空いた穴はいつまでも残るでしょう。それは痛み続け、そこを通る風音があなたを眠らせぬ夜もあるかもしれない。だけど私は、この痛みをいつまでも味わい続けていたいと思うのです。それが、私が生きてきた、そしてこれからも行き続けていくための、証となるからです。私の痛みは私だけのもの。私の空虚は私だけのもの。だれにも冒されることのないものを、私はようやく、手に入れることができたのです」

私が語りはじめた彼は/三浦しをん




読後、上手いなぁと思わず唸ってしまった。



まず構成が好きなスタイルだった。
複数の人間が織り成す関係と個人の内面との調和。
その縦糸と横糸が編む物語の流れ。




30代前半の若さで、直木賞を受賞した実力も確か。
あまりに完成された文章スタイルは、読書の勝手な解釈をする時間を与えない。滑らかで漆黒の文章は読者を強烈に引き込む。物語の最終的な決着を迎えない。それでいいし、それが当然だと思う。



この著者の他の作品も読んでみたいと思った。


material & method

2007-08-04 11:49:54 | Weblog


細菌学は分子生物学の基礎を支える学問である。
現在の実験において、頻繁に行われるようになったPCR法、遺伝子導入・遺伝子破壊、タンパク質の検出などは大腸菌を使用する場合が多い。(このようなテクニックをマウスに用いたことにより爆発的な発展を遂げた学問が免疫学である)




今、S.aureusを用いて様々な遺伝子変異株を作製している最中である。ここでも基本となるテクニックはPCR、 SDS-PAGE、 Western blottingである。このような方法で実際に遺伝子が欠損しているか、遺伝子が導入されているか、タンパク質が産生されているかを調べる。


もちろん、細菌は肉眼で見ることはできない。
言うまでもなくDNAやタンパク質は見ることはできない。
だからPCR、 SDS-PAGE、 Western blottingを用いて何とか人間が見えるレベルで、細菌を見ようとしている。




最近、よく思うことは、人間の目に見えるものが全てではないということだ。このことは科学の領域に限ったことではない。



言葉は、目は見えないけれど、日常の生活に多大な影響を与えているものではないだろうか。

もっと言うならば、言葉を発するきっかけとなる気持ちや想いも見ることはできない。


しかし、一般の人々は気持ちや想いの存在を確信している。




科学の領域における言葉はDNAである。
これはもう疑いようのない事実である。



言葉とDNA。
これらは非常に相同性が高い。
文法とセントラル・ドグマ。






金子みすずはこう言っている。

見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。と