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人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

親神の背中に子神をのせて

2015-05-02 17:13:00 | 日本的霊性
今日は毎年行っている、浦和にある武蔵一之宮、氷川女体神社(祭神奇稲田姫)に参りました。
武蔵一之宮と言うと一般には大宮の氷川神社(祭神素戔嗚尊)が知られていますが、実はより
こじんまりとしたこちらの社と二つあるのです。
なんでお参りするかと言うと、実際はどうなのかは分かりませんが、私は勝手に自分の親神
(自分の守護神ないしルーツ、大本といった神格)として素戔嗚尊、奇稲田姫にみたてている
ためです。
神域にある、古代の祭祀跡の傍らの池ではいつもの様に親亀が子亀を載せて甲羅干ししており
ました…。
私は人生の裏側を垣間見た時、本当にリアルに魂の親とも言うべきものを感じたことが有りま
す。見えざる導師と呼んでいる、それが現臨したようでした。
そしてそれこそは私の本体だと知らされました。この実感は最近特に強くなってきました。
人生はこの取るに足らない自分だけで生きているのではない。
私が生きているその根源には、自己の大本が生きている…
この限りある、大いなる無駄とも思えるこの人生も、このものと共にあることを思えば、かり
そめで済まされるでしょうか? 人の生も世界も夢幻なのでしょうか?
このものと共にある私は、もはや分離した個などではありません。
しかし、裏返せば、かりそめに過ぎないような人生の一コマもこのものが有ることで、一つと
して無意味なものでなくなるはずです。
自殺は是か非か…という議論が有ります。
こういう事はそもそも自分の一存で決められるものなのでしょうか?
自分の自由意志では死を望んでいるのか、それとも根源的意志は生かそうとしているのか?
この自由意志というもの、逆説的ですが本当に自由というものを実感するのは、全く自分の
意志を超えて中から突き上げてきた時なのです。
よく”命を全うするとか、全身全霊をもって…”などと言いますが、そもそもからして表側
のみをもってしては、そんなことは叶うはずもないのではないでしょうか?
なんかの拍子で自分を超え出てしまった時以外は…
個人なんて無いという…じゃこのヘンなブログを書いているのは誰?読んでいるのは…
こういう迷いは、そのうち夢と消えるでしょう。
人それぞれの大本、親神が表に顕れる時節と相成ったからです。
どうしたら悟れるのか? どうしたら世界平和は実現するのか?
それはもはや人間の分際のことではありません。
神の自己開示無しではどうともなりません。
ちゃんと親様の背中に載ってたらいいだけです…。



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ユダは語る3゛聞け!門をたたく音を”

2015-05-01 09:07:26 | 詩的文章
私はユダ…”この世に生まれ出ない方がよかった”と言われたもの

”求めよ、然らば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門をたたけ、さらば開かれん…”
(マタイ伝)

お前も知っていよう、この金言を…

だがあの”人の子”の語ることは逆説に満ちていた

周りの誰もが”神の子”と呼んでいたが、彼自らそう呼んでいたのだ

”求めよ!”…求めてやまないものに駆り立てるこの言葉…

何と人間らしいではないか!

人皆は飽くことなく求め、尋ね、門をたたき続ける

何処に行くとも、何に導かれるとも知らずに…

まるで世の元からの掟に従うように…

だが…私の向こう見ずの熱情は、この”裏切り”の言葉によって裏返された

そして私の”求め”は落ちてしまった…求める以前にあったものに…

私が求める以前に、私が求められていた

私が尋ねる以前に、私が尋ねられていた

私が門をたたく以前に、門はたたかれていたのだ…

私の意志に先立ち、原初の意志が立ち上っていた

そのものが求めてやまないものに駆り立てた

私は聞いた…門をたたく音を…

それは心臓の鼓動か…大地の鳴動か…

まさしく原初からの音信だった

このものによらずば、新しいことは何一つ始まってこない

人の生も、世界も開かれないのだ

このもの自らが人に、世界に開くのだ

神の王国の成就とは、人間の分際のことでは無いのだ!

見よ!噴煙とともに火柱が立ち上がる

聞け!地の底から大地を蹴破る音を!

お前の新天新地が開かれる…

さらば、聞くべし…

お前の門をたたく音を…




















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