人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

死後のことは分からない

2020-04-23 11:44:06 | スピリチュアル?
何年か前、昨日書いたようなことをある人に話したら、私はそのつもりで話した覚えは無いのに、その人は"臨死体験"のこととして受け取ってしまったことがあります。
これはまだ今日のように、覚醒とかワンネス体験のことが取り沙汰されてない頃だったという理由もあったでしょうが、まあ、確かに似ていますね。光の存在といった導き主が現れるとか、自分のそれまでの人生のことがフラッシュバックのように写し出されるとか...何しろ生死の問題に関わることに触れない訳には行かないのですから...
ただ、私は多くの臨死体験の報告に見られるような、ある存在なり、光景なりを見てきたように描写することは困難なのです。
仮に出来たとしても直接目の当たりにしたものじゃなくて、言葉に表せないものをイメージや象徴を借りて、頭脳知で翻訳されたものを仮に表現するしかありません。
こういうものは、当然のことながら何も確証出来ないことなのです。ですから臨死体験者が見てきたように語る理由も私なりに何となく分かりますが、その体験の真実を伝えたいという意図が感じられます。
でもそこには何らの確証もありません。ことに死後の世界の真実性などについては、もう決定的に土台から崩されていると言ってもいいでしょう。
それは"生きている人間"が言っていることだからです。死んで生き返ったとしても、その人は現に生きている事実に変わりはありません。
だから、死後の世界のことは誰一人証明出来ないのです。
従って、私が書いているものも含めてこれらは"主観的覚書"の域を出ないと見なされても仕方の無いことでしょう。
だからと言ってそれを否定している訳じゃないですよi ただ、それは、"分からない"としか言いようがありませんi...私の目はまだ黒いので...
しかし...これは死の問題に限らず、精神的な道全般にも関わることですが、確証は出来ないけど、全身全霊を貫くようにも示されるある確信めいたものはあります。もう、ことの真実性とか実証性のことなどどうでもよくなるようなことですi
それは私自身が感じたことに他ならないのですが、他の人、あなたにおいてはどうだかは分かりませんi...("分からない"ということは多くこのことを含ませているのです)
それは一人一人が向き合うべきものではありませんか?...安易に他人がそう言っている、"人は死なない"という信仰とか、"死後なんてある訳無いi、という科学信仰におもねっていては、あなた自身の真実は開かれないのでしょう。
(このこととは別に今、どうしようもなく死の恐怖に深刻に心を苛んでいる人には、永世などの信仰的なことで安心を求めることも必要かも分かりませんが、遅かれ早かれ死は受け入れなければならないことに変わりはありません)
私はこの死の問題ほど自分自身で向き合わなければならないものはないと思っています。
このことは、ひっきょう自己に向き合うということではないでしょうか?
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