人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

自律出来ない世の中にあって

2019-10-09 12:11:19 | 雑感
私は見かけに反して(?)、喜怒哀楽、感情の起伏の激しい人間です。
というか、昔から自制心の効かない、自分で自分を律することの出来ない危うい人間なんです。(特にすぐカッとなるところとか)
これは一寸、社会生活を送る上では致命的な欠陥である、といつも自覚している(つもり)のですが...
どうも、(昔はこんな言葉は聞かれませんでしたが)、発達障害を抱えたまま、いい歳になってしまったようなのです。
歳が歳なもんでもう手遅れでしょう。
そうですi 私は悟った人間とは程遠い人間なんですi
だけどねえ...今の世の中、毎日無差別的な殺人はもとより、イジメ、誹謗中傷、暴力沙汰、暴走行為などのことを見聞しない日はありませんが...私でなくてホントに良かったってマジで思うことありますよ。(夢の中だったらいくつ前科があるだろう...)
自分がこんなだからか、世の中だんだん自律ということが、出来なくなって来ていることはよく分かるのです。
善悪の判断というものも覚束なくなっているようです。
よくニュース報道などで、"教育者としてあるまじき行為"、"治世者としてこんなことが許されるのかi"、などと報じていますが、もういい加減そんなことは、老若男女、上も下も"かくあらねばならない"ことなど、とうにぶっ壊れていることを伝えられるキャスター、コメンテーターは出てこないかなあ、と思います。
報道関係者だって明日は我が身なのではないでしょうか?
世の中全体が制御不能のモンスター化しつつあるようです。

しかし...私は...こんな私だからか...知らされていることがあります。
昔から薄々感じていたけれど、これをハッキリ自覚したのは二年くらい前です。
私は善悪の判断もつかないポンコツ人間ながら、絶対的にイイコトというのが分かったのです。
チョイと意識的になっていて、そこにテンデバラバラな思いが自ずと収斂されるようになり、愛と平安に包まれる、これはずっと書いていることですが、これこそがこのデキソコナイのモンスターの暴走の最大の抑止力になるということが...
それは、法のように従うべきものじゃなくて、自ずとそうならざるを得なくなるものなのです。
私は自分で自分のことが分からず、当然のことながら自分で自分を押さえることが出来ないのです。
もう、外から規制する掟や戒律などではどうともならないのです。
法律で定められている"?...フハハハ、ちゃんちゃら可笑しいではないかi...法の目を誤魔化せば何をやってもいいという、"悪い奴ほどよく眠る"というこの渡世ではないかi
この現実世界では、法で定められていることの内実など、とうに失われているではありませんか?
だけど、愛、平安にあることは文句無しに良いに決まっていますi 他のその様態を奪い、脅かすものは..."決して許されるものじゃありませんよっi"(今日から"相棒"の新シリーズが始まる)。それは自分自身が与ったその恩恵を放棄することになるのですから...
これは理屈じゃなくて、体で感じられることなんです。

律法の時代が終わり、福音の時代が始まるのは、この今の時なのでしょうか?
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