人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私を消し去る?

2023-09-03 09:00:30 | 覚醒
例の反面教師が覚醒、空になることについて、何か書いておりました。
空になるとは、私という思いの集成である記憶を消し去ることなんだ、とか。
それは、事実上私そのものを消し去ることでしょう。
この人が何十年にも渡って師事してきた、五井先生との縁も?
こういうことを平然と書いているということを見ると、一体この人は五井先生から何を学んできたのか、と思いたくなりますよ!
まあ、そんなこんなもすっかり消して、空の境地に幸福を見い出そうとしているのでしょう。
一体、誰が?...幸福に感じる誰が居るというのか?
私そのものを消し去るということは、幸不幸、善悪も、愛も、安らぎも無い、否、生まれることも死ぬことも無い、全くの生ける屍、故.エンライト氏が言っていた、廃人の道を意味するものなのです。
空になるとは、記憶を消してゆくこと...何故自分が為そうとする思いから抜けきらないのでしょうか?
この人は結局、ずっと神的なものとのリアルな関わりを持つことが出来なかったのでしょう。
思い、為そうとする自分を超えた、恩寵の世界...
又、短絡的に私を消さねばならない、と思ってしまうことは、思考次元を超えた純粋意識の次元に目覚める私そのもののことを全く理解していないようです。それは、決して消し去ることの出来ないものなのです。
何故消し去らねばならない、などと出来もしないことを考えるのか?
それは、今まで仮のものに過ぎないと思われたものが、真なるもの、真我として感じられるようになる、というだけのことではないでしょうか?
自然に成されることには、何一つ否定さるべきものは無いのです。
一体、どうやって私という記憶を消し去ろうというのでしょう?
神の力によって?...いや、隙あらば人間の魂を抜き去らんとかかる、虚無の霊、否定の霊によってであろう。私は近年、こうしたものの暗躍を随所に感ずるところがあります。
もっとも、この御仁、そういう抜き差しならぬ世界に現実に足を踏み入れようとしているのでなく、頭の中でああ思ったり、こう思ったり、どうにもまとまりの付かない状態にあるようです。
私の記憶とは、個性を通じて表れているという...つい、こないだは、“審判“が行われると、個性の存続が出来なくなるから、覚醒しないとならない、とか言っていたではないか?
もう、何が軸になっているのかサッパリ分かりません。
大体、何十年間もボーッと信仰生活をしてきた人間が、にわかに“覚醒、覚醒!“と熱病にウカされたように、トラワレだすこと自体、マトモなことじゃありません。
無知なままの、生半可な態度で、神との一体化といったことから切り離された、覚醒体験に足を突っ込もうとすることなど、頭の中で迷っているならまだしも、廃人、宇宙のチリとなるより他ないでしょう。
私は、罵詈雑言ばかりをこの人に浴びせている訳では無いのです。それはこの度のコロナで懲りました。
どこかで、この人の天命の全うされますように、と祈らされているのです。
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